詩22篇の修辞(1)
詩22篇の修辞(1) 「雌鹿」を取り巻く「四つの動物」の暗喩
はじめに
- 詩篇22篇の表題にある「暁の雌鹿」という表現はこの詩22篇にしか出てきません。雅歌によれば、「愛する人」のことを「雌鹿」にたとえています。詩篇22篇では、この「雌鹿」ともいうべき作者が四つの動物によって取り囲まれていると考えることができます。その四つの動物とは「雄牛」(複数)「野牛」(複数)「犬」(複数)「獅子」(単数)です。これらの動物は「力の強いもの」の暗喩として用いられています。
- この詩篇がメシア詩篇であることを考えるなら、「雌鹿」は御父から愛された御子、他の四つの動物は御子イエス・キリストを取り巻く者たちと言えます。それゆえこの詩22篇は、きわめて預言的な詩篇と言えます。
(1) 「雄牛」
12節の「数多い雄牛」(パルפַּר・・若い雄牛を意味する)、同じく12節の「バシャンの強いもの」(アビールאַבִּיר))。「バシャン」とはガリラヤ湖東岸地方を意味します。「強いもの」を「野牛」(関根訳)、「猛牛」(岩波訳、バルバロ訳)と訳しているのもあります。
これはイスラエルの指導者たちをたとえていると考えられます。彼らはキリストを捕らえて、不当な裁判を行ない、群衆を先導してローマの総督ピラトを脅して十字架へと追いやりました。
(2) 「野牛」
20節の「野牛」(レエムרְאֶם)は複数で使われており、「野牛(たち)の角」という表現で使われています。これは今日、「オーロックス」と呼ばれる野牛で、この野牛の角は大きく、枝分かれしており、先端は針のように尖っているようです。その角の先端に受刑者の両足と両肩を縛り付けて荒野に放ち、受刑者が死ぬまで駆け回らせたそうです。まさにキリストの十字架刑は、人を野牛の角の上に置くようなものでした。
どう猛な野牛は、「十字架につけろ」と一斉にわめき叫んだ群集たちを指していると考えられます。
(3) 「犬」
「犬」ということばは16節と20節に出てきますが、前者は「犬ども」で複数です。後者は「犬の手」と単数です。本来、ユダヤ人が「犬」という言い方をするのは「異邦人」に対してです。そのことを考えると、複数は「ローマの兵士たち」を指し、単数は「ローマ総督ピラト」を指すと考えられます。
(4) 「獅子」
13節には「ほえたける獅子」、21節には「獅子の口」という表現があります。「獅子」(「アルイェー」אַרְיֵה)はいずれも単数で使われています。
ユダヤ人でイエスの弟子であった使徒ペテロは、「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩きまわっています。」(ペテロの手紙第一5:8)と書いています。「獅子」はサタンを表わす暗喩です。サタンは十字架において、最大の攻撃をキリストに対してなしました。しかし、「雌鹿」である御子イエス・キリストを倒すことはできませんでした。
〔参考文献〕
T・アーネスト・ウィルソン著「メシヤの詩篇」(伝道出版社、2001)
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