詩24篇の修辞
詩24篇の修辞 「門よ。おまえたちのかしらを上げよ」という擬人法
- 詩篇24篇は、詩22篇と詩23篇とともにメシア的詩篇の「三部作」と言われてます。詩22篇では「キリストの受難」(過去)、詩23篇では「キリストを通して与えられるいつしくみと恵み」(現在)、そして詩24篇では「キリストの栄光の王としての再臨」(将来)をその内容としています。
- 「門」は、エルサレムの城壁の門のことであり、複数形で、しかも擬人法で使われています。「門よ。おまえたちのかしらを上げよ」とは、門を開くことを意味しますが、なにゆえに門を開くのかといえば、それは「栄光の王」が入って来ようとしているからです。「戸」は、おそらく神殿の入り口の「戸」を意味していると思われます。この詩24篇はメシア詩篇としてまさに預言的な詩篇なのです。
- ちなみに、「栄光の王」という言葉がこの詩篇では5回使われています。聖書全体を見ても、このことばは詩24篇にしか使われていないきわめて重要なことばなのです。
- ある注解者はこの詩篇の背景に、ダビデが契約の箱をエルサレムに運び入れたときの出来事を示唆していますが、ダビデの時には「ダビデの幕屋」と言われる粗末なテントの中に「契約の箱」を安置したのであって、また神殿はありませんでした。エルサレムにおける最初のソロモン神殿はやがてバビロンによって破壊され、捕囚からの解放後、ゼルバベルによって第二神殿として再建されます。ヘロデ王の時代にはそれがさらに拡張され華美にされますが、AD70年、ローマ軍によって破壊されます。とすれば、「栄光の王」であるキリストがエルサレムの門、神殿の戸の中に入ることができるのは、第三の神殿がなければなりません。それは「主の山」、「聖なる所」であるエルサレムに再び建設されなければなりません。
- それは「主の山」、「聖なる所」であるエルサレムに建設されなければなりません。その第三の神殿の建設される時期は、キリスト再臨前の7年~3年半前の間に建設されます。その時期は全世界を統率する指導者が現われ、平和が実現しますが、その後、その指導者は反キリストの本性を表して、自分を礼拝させ、礼拝しない者はすべて殺されます。バーコードのような「獣の刻印」が押されてすべてが管理されます。そして神の民であるイスラエルのに対して全面戦争(ハルマゲドンの戦い)が起こり、その時にキリストは再臨して敵を打ち破って千年王国を樹立します。ユダヤ人もそのとき民族的に救われます。キリストは地上において「王の王、主の主」として、つまり「栄光の王」としてエルサレムの神殿に入り、そこを世界の中心として支配されます。
- エゼキエル書40~48章には、「栄光の王」が入る第三の神殿のことが預言されています。なかでも、エゼキエル46章の千年王国時代の第三の神殿の敷居の下から流れ出るいのちの水の流れのヴィジョンは有名です。最初は足首ほどの流れが、やがてはひざほどに達し、さらに腰に、そして泳げるほどの水に。その水は海に注ぎ、その川の流れ行くところ、あらゆる生物は生き、水はよくなり、すべてのものが生きるようになるとあります。
- 詩24篇はまさに預言的なメシア詩篇であり、再臨による千年王国の「栄光の王」としての視点がなければ解くことのできない詩篇なのです。
7
門よ。おまえたちのかしらを上げよ。
永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。
8
栄光の王とは、だれか。
強く、力ある【主】。戦いに力ある【主】。
9
門よ。おまえたちのかしらを上げよ。
永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。
10
その栄光の王とはだれか。
万軍の【主】。これぞ、栄光の王。
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