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顧み

詩77篇 「思い返す」 חָשַׁב ハーシャヴ

〔カテゴリー瞑想〕

  • 5節「私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返した。」

Keyword; 「思い返す」 think, consider, devise, plot,
10:2/21:11/32:2/35:4,20/36:4/40:17/41:7/44:22/52:2/73:16/77:5/88:4/106:31/119:59/140:2, 4/144:3

◆「思い返す」と訳されたハーシャヴחָשַׁב(chashav)は、旧約で112回、詩篇では17回使われています。基本的には「考える」という動詞ですが、悪を企んだり、陰謀を図ったりという悪い面もあったり、自分の歩んできた道を顧みて、反省したりという良い面もあります。119:59では「顧みる」と訳されています。

◆人が自分の過去を考えるならば、人に対して悪さを図ったり、人を陥れることを考えたりしたことは一度や二度ではなかったと思います。自分のそうした悪い面を思い返して、静かに反省する時を持つことは、私たちがより良い人生を歩むために必要なことです。
詩119篇59節では「私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ、足を向けました。」と述べています。詩77篇5節の「私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返した」というのも、単に、昔の出来事を思い返すだけでなく、そこになんらかの自己反省を含んでいると考えてよいと思います。

◆瞑想における自己反省は、私たちの生き方の転換点となり得ます。イエスが話された放蕩息子のたとえ話で、弟息子が父から受け継いだ財産を使い果たし、今にも飢え死にするようなみじめな姿になり果てたとき、はじめて、彼は我に帰りました。弟息子は自分の道を思い返して反省しました。今の自分の姿は自分がそもそも父のもとから離れたことが間違いだったことを認め、父のもとに帰る決心します。かつては「私に財産の分け前をください」と言った彼が、今や「あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と思うようになっていました。同じ願いでも、「分け前をください」という願いと、「雇い人のひとりにしてください」という願いとでは雲泥の差があります。

◆瞑想の中で自分の過去の姿をしばしば思い返して静かに顧みることは、自分を高慢から守るうえでとても大切なことだと思います。また、このハーシャヴחָשַׁב(chashab)は、自分がかつて苦しみを通った折に、神の恵みと導きのほかに、自分のうちにそこを通過させた要因としてのなにかがあったかを思い返すという意味もあるかもしれません。自分のうちにある処し方の特徴―良い意味でのーを思い返してみるのも良いかもしれません。

◆ハーシャヴחָשַׁב(chashav)をdevise(企む), plot(悪いことを図る)と訳している聖書もあますが、反面、自分を神にあって建て上げていくために、健全な自己反省をもって計画する姿勢を表わす動詞でもあります。

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