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2章6節「ただ、豊かな水が地から湧き上がり、大地の全面を」


創世記2章6節

【新改訳2017】
ただ、豊かな水が地から湧き上がり、大地の全面を潤していた。

【聖書協会共同訳】

しかし、水が地下から湧き上がり、土の面をすべて潤した。

ו וְאֵד יַעֲלֶה מִן־הָאָרֶץ וְהִשְׁקָה אֶת־כָּל־פְּנֵי־הָאֲדָמָה׃

べレーシート

●天からの雨を神は地に降らせませんでしたが、地から湧き上がる水が大地(土)の全面を潤していたことが、6節に記されています。ここにも人の創造と深いつながりがあると思われすが、この段階では機能していません。

1. 地から湧き出る「エード」(אֵד)

●「エード」(אֵד)という語は、口語訳と七十人訳が「」と訳し、新改訳改訂第三版、新共同訳、フランシスコ会訳が「」、岩波訳が「地下水」と訳していますが、新改訳2017では「豊かな水」と訳しています。それは、地から湧き上がる水が大地の全面を潤すほどのものであったからだと推察します。他にも「水蒸気」とか「」といった意味があります。

●「エード」(אֵד)は、この箇所以外にはヨブ記36章27節の2回しか使われていません。

【新改訳2017】ヨブ記36章27節
神は水のしずくを引き上げ、それが雨を滴らせて、水の流れとなる。

※ここでは「水の流れ」と訳されていることばが「エード」です。「エード」は天からの雨と連動して、神の霊的な水の流れを作るのに必要であることが分かります。しかしそれが可能となるのは、人に「いのちの息」が吹き込まれければなりません。


2. 「湧き出る」というイメージ

●この「豊かな水」(単数)が地から「湧き上がり」と訳された言葉は「アーラー」(עָלָה)です。これはイェシュアに関係する重要な語彙です。イェシュアはしばしば山に登られましたが、その行為は預言的です。へブル語の「アーラー」(עָלָה)は、単に「登る、上る」を意味するだけでなく、「(いけにえを)ささげる」とか「反芻する」といった意味があります。「反芻する」動物はきよい動物であり、全焼のいけにえや罪のいけにえとして祭壇にささげられる牛や羊です。つまり、イェシュアが「山に登る」という行為は、やがて聖なる山エルサレムにおいて神にささげられる神の子羊イェシュアが、地にあるすべてのものに渇くことのないいのちの水を注ぐというイメージを暗示させます。

●「湧き上がる」に「アーラー」(עָלָה)が使われていることに預言的啓示を見ることができます。それはイェシュア・メシアの十字架が立てられたゴルゴタこそ、世界の中心として、いのちの水が限りなく湧き出て、継続的に全世界へと流れていくという啓示です。このいのちの水を飲む者の心は渇くことがなく、まさに「潤った園」のようです。

【新改訳2017】エレミヤ書 31章12節
彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、【主】が与える良きものに、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油、羊の子、牛の子に喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。

【新改訳2017】イザヤ書 58章11節
【主】は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。あなたは、潤された園のように、水の涸れない水源のようになる。

●これらの聖句では、回復された原初のエデンの園が「潤った園のように」と描写されています。

●また「湧き上がる」と「~の下から流れ出る」が、泉のイメージだとするなら、エゼキエル書47章にある「神殿の敷居の下から流れて出る水」をイメージさせます。その水は次第に川となって、その流れ行く(「ヤーツァー」יָצָא)所はどこででも、あらゆる生き物が生きることを物語っています。さらに、すべてのものが「生きる」(חָיָה)というイメージと「潤う」(שָׁקָה)という語彙も異なりますが、その本質は同じです。ちなみに、「潤う」(שָׁקָה)は、創世記2章10節に「一つの川がエデンから湧き出て(יָצָא)、園を潤していた(שָׁקָה)」とあります。これはイェシュアのいう「人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:38)という尽きることのない聖霊をイメージさせます。

【新改訳2017】箴言4章23節
何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く

●「いのちの泉はこれから湧く」と訳されていますが、
原文は「いのちの泉はこれから」(「ミンメヌー・トーツオート・ハッイーム」מִמֶּנּוּ תּוֹצְאוֹת חַיִּים)です。「泉」と訳された語彙が動詞「ヤーツァー」(יָצָא)から派生している名詞「トーツァーオート」(תּוֹצָאוֹת)です。

●水が地から湧き上がって(「アーラー」עָלָה)全地を潤しているイメージ。神殿の敷居の下から流れて出る水の流れ行く(「ヤーツァー」יָצָא)所はあらゆるものが生きるイメージ。エデンから一つの川が湧き出て(יָצָא)園を潤しているイメージ。いのちの(「トーツァーオート」תּוֹצָאוֹת)は人の心から湧くイメージ。そしてこれらは、人が「いのちの息」を神によって吹き入れられることで生きるものとなったことと結びついているのです。つまり、水といのちが結びついています。これは「いのちを与えるのは御霊である」ことを啓示しているのです。


2020.4.1

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