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3. ルツ記の構造と内容

歴史書(1)の目次

ルツ記 3. 構造と内容

起〔第1章〕承〔第2章〕転〔第3章〕結〔第4章〕
  • 上記のように、ルツ記の構造は「起承転結」の4幕からなる愛のドラマである。

起 (第1章)

(1) ナオミにふりかかった度重なる苦難の嵐と試練の中に咲いたいちりんの花
①飢饉のために約束の地を離れざるを得なかったエリメレクの一家。モアブの地で、10年の間にナオミの夫エリメレクと二人の息子に先立たれる。脚注1

②不条理とも思える試練の中で、もしナオミが自分の運命を嘆き、神に対して愚痴をこぼしていたとしたら、ルツ記は生まれなかったに違いない。ナオミの神に対する信仰は異邦人である二人の嫁オルパとルツに多大な影響を与えた。特に、ルツは折に触れて、姑ナオミの人格的感化を強く受けたようである。ナオミの苦しみは、やがて異邦人ルツが神の民に加えられるために必要であったのかも知れない。
⇒ローマ8:28、詩篇119:71, 75 参照。


(2) ルツの堅い決心・・「後戻りか、前進か」
①ナオミは故郷の地ベツレヘムが神の祝福にあずかったことを耳にし、故郷に戻る決心をする。そして二人の嫁に少なくとも、再婚の望みがある実家に帰るよう説得する。ナオミについて行ったとしても何ら生活の保障と希望がないと思われたからであった。

②「帰る」ということばが6節から22節に10回ほど出てくる。「帰る」は二つの方向、すなわち、モアブへ帰るか、ベツレヘムへ帰るかが迫られる。オルパとルツはどちらを選択するか、いわば人生の岐路に立たされた。脚注2

③ルツの信仰告白
15、17節には、ルツ記の中でも重要なルツの信仰告白が記されている。それは「あなたの神は、私の神です。」ルツはこのとき、自分の再婚、良縁の機会を犠牲にして、姑ナオミとともに歩む道を選んだ。ここにルツのナオミに対する愛とナオミの信じる神への信仰が見られる。人間的にみるならば、何の保障もないにもかかわらずである。


脚注1
聖書は父祖の地を離れて異邦の地に滞在したエリメレクを一言もとがめてはいない。また、モアブの地での不幸が神の呪いであったとする解釈もあるが、聖書の中にではその点において沈黙している。

脚注2
ここでもモアブに残ったオルパに対して、何ら否定的な注釈はない。神の愛の寛容さがそこに感じられる。


承 (第2章)

(1) ルツの落ち穂拾いとゴーエールの登場
①当時のイスラエルの国で、人の畑で落ち穂拾いをするのは孤児とか、未亡人、貧しい者、在留異国人といった、いわば「社会的弱者」のために設けられた公の救済(福祉)の道であった。レビ記23章22節参照。

②律法の規定と現実とのギャップ。
それを示すことば・・9節、15節、22節(不親切、邪魔者扱い、いじめ)

③ところが「はからずも」、ルツが出かけていった畑はボアズという人の畑であった。宗教的出会い!


(2) 神の摂理と人間の意思との関係
①ボアズのルツに対する親切
ルツはボアズの親切を意外に思っている。11節、12節でボアズはルツの「どうして親切にしてくださるのですか」の問いに答えている。

  • 姑ナオミのためにしている 
  • 父母、故郷を捨てて知らない地に来たこと 
  • 神に対する信仰

これらを考えると、ボアズの親切は、単にボアズ個人から出た人間的な親切だけではなく、ルツの神に対する信仰と愛の行為に対する神の報酬と結びついている(12節)。⇒ピリピ2:13, 14参照。

②ナオミの驚き
ボアズの名前がルツから出たときのナオミの驚きと喜びは尋常なものではなかった。それだけ、彼女たちの立場が弱く、みじめで、困窮していたことを物語っている。先祖から譲り受けた土地を買い戻し、絶えんとする家系を残す権利をもっているボアズとの出会いは、彼女たちにとって望みの光をもたらすものであった。


転 (第3章)

(1) ナオミの妙案
①果たして思惑通りに、ボアズがゴーエールとしての考えがあるかどうかを探るひとつの妙案をナオミはルツに示した。これはナオミがルツの幸せのために「身の落ち着く所」を祈っていた結果でもある。

②当時の習慣に従い、ルツはナオミの指示どおりに従った。この行為はボアズの権威の下に身を置くという意思の表現であった。しかしもし拒絶されるならば、深く傷つけられるかも知れなかった。ルツはボアズにゴーエールとして自分を妻として迎えてくれるかどうかを迫ったのである。


(2) ボアズのルツに対する評価(10節)
①「先の真実」
おそらくルツがどこまでもナオミに従っていくという決心とそれを裏づける行動を指す。

②「あとからの真実」
ルツは若い女性であるゆえに、若い男性に心惹かれても決して不思議ではなかった。にもかかわらず、ボアズと結婚してナオミのために世継を残そうとしていることを指す。ルツのナオミに対する愛を見る。

(3) ボアズの真実

①「買い戻しの権利」というものは、それを持つ者にとって、必ずしも喜ばしいものではなかった。なぜなら経済的負担を余儀なくされたからである。しかしボアズは、あえて自発的にそれを引き受けることを約束する。そのあかしとして大麦6杯をプレゼントする。これは「責任をもって事に当たります」という意思表示であった。


結 (第4章)

(1) ゴーエールとしてのボアズの愛

①愛とは単なる約束だけでなく、実際的な行動を起こすものである。

②ボアズよりももっと法的に近い「買い戻しの権利を持つ親類」がいた。その親類のホンネ。⇒6節。

③断る正当な理由があった。ルツがモアブ人であること。律法にはモアブ人はその10代目の子孫さえ、主の集会に入ることはできないとされていた。とすれば、ルツを助けて扶養する義務は法的にはない。ともすれば「自分自身の相続地までそこなうことになるかもしれない」という恐れがあった。彼は親切心がなかったわけではない。しかし親切心だけでは、落ちぶれた人間を徹底的に買い戻す(贖う)ことはできないのである。

④リスクが余りに大きすぎる。ボアズのルツに対する愛がなければ、買い戻すということはあり得ない。ボアズは自分の財産を投げ出してでも、自分の損得を考えずに利害を無視して、エリメレクの財産を買い戻し、合わせてルツとナオミの生涯までも責任を負うことを、公の前で告白したのである。

⑤ルツにとって、ボアズはまさに神が備えてくださったゴーエール(贖い主)である。そもそも異邦人である彼女を偏見をもつことなく、真実な愛をもって妻として迎え入れてくれるボアズと「はからずも」出会ったことが彼女の生涯が祝福されることになった要因である。


(2) ナオミに対するもう一人のゴーエールとしてのオベデの誕生

①14節以降、「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう(オベデが生まれた時点)、買い戻す者(ゴーエール)をあたなに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように」とある。このゴーエールをボアズのことと考えやすいが、これはオベデ、つまりルツが産んだ息子のことである。オベデはナオミにとって、単に可愛くて仕方がない初孫という存在ではなく、もうひとりのゴーエールなのである。

②ナオミのため、そしてルツのために相続地を買い戻してくれたのは確かにボアズである。しかし「もう一人のゴーエール」である「その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。」(15節)の「その子」は前節のゴーエールを受けている。「元気づけ」も直訳では「いのち(魂)を回復する」、また「老後をみとる」は、「老年(白髪)を養い支える」である。つまり、ゴーエールとはただお金を出して不動産を回復してくれる人であるだけでなく、生涯そのものを取り戻してくれる者でもある。

③ナオミにとって、膝に抱かれた幼いオベデが、どんなにか老女に生きる喜びを回復してくれたことか。16,17節の「ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。近所の女たちは、『ナオミに男の子が生まれた。』と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。表現は当時の習慣に従い、オベデがナオミの養子という立場になったことを意味している。


(3) ボアズもオベデも「永遠のゴーエール」である主イエス・キリストをあかししている

①裕福で権力のあるボアズが、貧しいルツとその相続地に対する一切の権利を満たして彼女と結婚したように、永遠のゴーエールであるイエス・キリストは十字架の死によって悪魔が求めるすべての負の財産を買い戻して精算してくださった。それゆえ、私たちは完全に自由の身となって、キリストの花嫁とされた。

②幼いオベデがナオミにとって生きる喜びを回復してくれたように、真のゴーエールであるイエス・キリストは私たちに神との愛の交わりに生きる本来の喜びを回復してくださった。ちなみに、オベデはヘブル語では「アーヴァド」(仕える)の分詞形で「仕える者」という意味である。真のゴーエールは、私たちに神との永遠の信頼の交わりをもたらすために、ご自分を無にして仕える者となってくださったのである。



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