****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し完成します。******

5.神の恵みによって再建事業の待望

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5. 恵みによる神の再建事業


  • 律法主義的信仰生活と恵みによる信仰生活とは共存することはできない。信仰生活において律法主義の人は、恵みによる信仰生活に入ることは難しい。恵みによる信仰生活-つまり、キリストが私を通して現われる生き方―をするためには、律法主義的信仰生活を捨て去らなければならない。しかしそれは、私たちが長い間にわたって築いてきたライフスタイルのパラダイムシフトを求められることとなり、内なる抵抗が起こってくるのである。
  • 私たちはキリスト教的な価値観、あるいは宗教的に規則に導かれているのではなく、主イエス・キリストご自身に召し出されている。主は「わたしのところに来なさい。」(マタイ11章28節)と招かれ、さらに「わたしにとどまりなさい」(ヨハネ15章4節)と招いておられる。なぜなら、私たちは「キリストを離れては何もすることができない」からである(ヨハネ15章5節)。
  • いのちの源は律法ではなく、キリストご自身である。また、キリストは神のみこころそのものである。この方によって、私たちは全く新しくされ、再建されるのである。
    「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5章17節)
  • キリストのうちにあること、キリストにとどまること、全てはそこからはじまる。キリストが御父のうちにあり、御父にとどまったと同じように。そうすることによって、御父が御子を通してご自身を現わされたように、キリストが私を通して現わされる。これが歴代誌の指向するダビデの幕屋礼拝の本質であり、エズラ、ネヘミヤ記が願った神の再建事業なのである。そしてこの再建事業は、今もなお続いている。ここにキリスト教会の今日的課題がある。しかもそれは、私たちによってではなく、主キリストのよってのみ実現されうるのである。

「祝福の源である父の御名があがめられますように」(完)



〔参考文献〕
●千代崎 秀雄著「主の前に立つ」(一粒社、1990)
●スティーブ・マクベイ著「恵みの歩み」(尾山謙仁訳、ファミリーネットワーク、2000)
●スティーブ・マクベイ著「恵みの支配」(尾山謙仁訳、ファミリーネットワーク、2001)
●スティーブ・マクベイ著「恵みの地」 (尾山謙仁訳、ファミリーネットワーク、2003)


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