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σοφίᾳ

σοφίᾳ  知恵、 φρόvησις 思慮深さ、σύvεσις 判断力・理解力

  • ギリシャ語には精神の特性を表わす三つの語彙があります。第一の語は「知恵」と訳されるソフィアσοφίᾳ、第二の語は「思慮分別」と訳されるフローネーシスφρόvησις、第三の語は「理解、判断、結び合わせること(二つのものを一つに合わせる能力、統合」を意味するシュネシスσύvεσιςです。これら三つの特性はすべてイエス・キリストのうちに見出すことができます。
  • 「ソフィア」σοφίᾳは、新約聖書で51回。ほとんど「知恵」と訳されます。「ソフィア」σοφίᾳは、原理的、究極的なものに関する完全な知恵を意味します。究極にして永遠なるものを知る知恵です。
  • 形容詞は「ソフォス」σοφός NT/20 ほとんど「賢い」と訳されます。

  • 「フローネーシス」φρόvησιςは、新約聖書で2回。思慮深さ、分別と訳されます。原理的な知恵を意味する「ソフィア」に対して、より実際的な知恵、すなわち理解する知恵、日常生活の実際的な問題を処理できる知恵、ある状況の中においてなすべきこととなすべきではないことを知る実際的知恵を意味する語彙です。時には、この実際的な知恵は自負や思い上がりに堕落する危険があります(ローマ11:25, 12:16, コリント第一4:10, 第二11:19)。
  • 形容詞は「フロニモス」φρόvιμοςNT/14 「さとい、抜け目がない、賢い」と訳されます。岩の上に自分の家を建てる人は「フロニモス」です(マタイ7:24)。世の中に出て行く弟子たちは、へびのように「フロニモス」であるべきでした(マタイ10:16)。明かりの油を忘れなかった乙女たちは「フロニモス」でした(マタイ25:2, 4)でした。

  • 「シュネシス」σύvεσιςは、新約聖書で7回。「フローネーシス」と同様に実際的な知恵を意味します。物事を判断し、区別する能力、互いに異なるものを統合する能力、批判し、評価しする能力を意味します。いかなる現実的状況の中にあっても、行動の正しい目的と方法を判断し、試み、選択し得る知恵です。
  • 形容詞は「シュネトス」σύvετός  NT/4「知恵ある、賢い」
  • 興味深いことは、真に賢い人間は「原理的な知恵」と「実際的な知恵」の両方を兼ね備えているということです。


  • 「フローネーシス」φρόvησιςは、新約聖書で2回、ルカ1:17とエペソ1:8とにあります。ルカ1:17の「フローネーシス」をいろいろな聖書の訳をみると以下のようです。
    新改訳では「心」、新共同訳では「分別」、口語訳では「思い」、フランシスコ会訳「道」、柳生訳では「知恵」、永井訳では「慧(さとり)」、文語訳では「聰明(さとき)」・・・です。
  • ちなみに、文語訳の「聰明」ということばをWeblioで調べると次のように説明されています。「かしこい ・ 利口な ・ さとい ・ 利発な ・ 賢明な ・ 英明な ・ 明哲な ・ 理知的な ・ 思慮深い ・ 俊敏な ・ 明敏な ・ 目から鼻にぬけるような」
意義素類  語
知識、経験、理解、常識、および洞察を働かせる能力利巧 ・ 英明 ・ 悟性 ・ 分別 ・ 利口さ ・ 別ち ・ 智 ・ 智恵 ・ 知力 ・ 悧巧さ ・ 智識 ・ 知 ・ 聡慧 ・ 知識 ・ 叡知 ・ 聡明さ ・ 分ち ・ 分かち ・ 般若 ・ 賢さ ・ 悧巧 ・ 賢慮 ・ 大賢 ・ 俐発 ・ 賢 ・ 才気 ・ 睿智 ・ 賢明さ ・ 聡明 ・ 叡智 ・ 智慧 ・ 才力 ・ 明達 ・ 知恵 ・ 英知 ・ 明哲 ・ 怜悧さ ・ 利巧さ
思慮深く分別があるという特質利巧 ・ 英明 ・ 利口さ ・ 利発 ・ 明哲さ ・ 悧巧さ ・ 聡慧 ・ 聡明さ ・ 堅実 ・ 賢さ ・ 悧巧 ・ 大賢 ・ 悧発 ・ 俐発 ・ 賢 ・ 賢明さ ・ 聡明 ・ 明達 ・ 明哲 ・ 怜悧さ ・ 利巧さ
識別して、評価することによって意見を形成する特性明敏 ・ 智恵 ・ 聡明 ・ 智慧 ・ 知恵
関係を理解して区別する知能裁き ・ 審判 ・ 判断力 ・ 分別 ・ 鑑識 ・ 判断 ・ 捌き ・ 明敏 ・ 裁決 ・ 智恵 ・ ジャッジメント ・ 洞察力 ・ 裁判 ・ 刑罰 ・ 審査 ・ 判定 ・ 判決 ・ 批判 ・ 聡明 ・ 智慧 ・ 知恵 ・ 物心
  • 使徒パウロは、コリント人への手紙について誤った知恵について語っています。
    それは「この世の知恵」(1:20, 26, 2:6, 3:18)であり、「ことばの知恵」(同、1:17)です。
    前者はこの世をいかに渡り、この世の宝を貯える道をよく知っている知恵ですが、大切な事柄については知らない知恵です。後者の「ことばの知恵」とは、キリストの十字架を無力にしてしまう知恵です。それらは世の中の時代状況から語っているものであり、何を語るかよりも、いかに語るかにより関心が向くものでした。その関心とは言葉の巧みさであり、その目的は賞賛を博することであって、自分を誇示するものでした。自分を誇示するような説教家、教師をパウロは知っていたのです。説教は賞賛を求める時、常に堕落するのです。なぜなら、「ことばの知恵」は真に神を知るに至らないからです。今日もまたこうした「ことばの知恵」は死滅することなく生き残っているのです。



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