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「ミドゥバール」という名称とその意味

1. 「ミドゥバール」という名称とその意味

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  • このたび(2012.10.21)、新たに、「ミドゥバール・ミニストリー」を建て上げるよう主に導かれました。あとで「主の導き」の項で詳しく説明しますが、北海道で開催された「荒野の学校」でのキム・ウヒョン監督との出会いが契機となっています。
  • 「ミドゥバール」(מִדְבָּר)とはヘブル語で「荒野」を意味します。不思議なことに、ヘブル語の「ミドゥバール」(מִדְבָּר)は「語る、告げる」を意味する動詞「ダーヴァル」(דָּבַר)に、接頭語の「メーム」(מ)という文字がついて名詞化された言葉です。それは、「口」という意味だけでなく、「荒野」という意味にもなるのです。脚注1
  • 一般的に「ミドゥバール」といえば「荒野」を意味することばとして用いられることが多いのですが、その本質的な意味は「口」、すなわち、神の語る口、その口から出るすべてのことばの意味も含んでいるのです。つまり、「荒野」とは神の民が「神のみことばを聞き、それによって養われる場所」、「神の語りかけを聞く場所」を意味するのです。
  • 神がモーセを通してイスラエルの民に律法を与え、幕屋の建設することを教えられたのは、イスラエルの民はエジプトを出てから、荒野に入ってからのことでした。実際の荒野において神はご自身の民を40年間にわたって養われました。第二世代目が蜜と乳の流れる地である約束の国に入る前に40年間荒野で訓練されたのは、彼らが主の命令を守って、主の道に歩み、主を恐れることを教えるためです。申命記8章1~6節には次のように記されています。

1 私が、きょう、あなたに命じるすべての命令をあなたがたは守り行わなければならない。そうすれば、あなたがたは生き、その数はふえ、【主】があなたがたの先祖たちに誓われた地を所有することができる。
2 あなたの神、【主】が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
3 それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は【主】の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
4 この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。
5 あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、【主】があなたを訓練されることを、知らなければならない。
6 あなたの神、【主】の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。

  • 神の民が荒野を歩ませられたのは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべてのもので生きるということを悟るという目的のためでした。人間には頼るべきものを常に求める本能があります。つまり、生存と防衛の保障です。そのためには、他人を押しのけても自分の命のために行動しようとする利己的な存在です。神さえも自分の命の保全のために利用しようとする世界です。まさに荒野は人間の本性である罪が最も見出される場所であるゆえに、その罪を直視し、神の前に真の悔い改めに導かれる場所でもあるのです。
  • 「荒野」を意味するギリシア語は「エレーモス」έρημοςです。英語では「デザート」desertと訳されます(ちなみに、食後のデザートの綴りはdessert)。新約聖書にはこの「エレーモス」という言葉が48回も使われているのですが、32回は福音書で使われています。
  • イェシュアの前のバプテスマのヨハネは荒野で叫ぶ者の声として、実際に荒野で「悔い改めよ」と宣べ伝えました。イェシュアは公生涯に入られる前に、御霊に導かれて荒野に行かれました。40日間そこにとどまり、悪魔の誘惑を受けられました。イェシュアはしはしば人里離れた場所、つまり、荒野に退かれて祈りの時を過ごされました。イェシュアは弟子たちにも荒野に行って休息を取るようにとも言われました。イェシュアと弟子たちはしばしば群衆から離れて荒野へ退かれたのです。モーセが新たな世代の神の民に、「あなたの神、【主】が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。」と言ったように、イェシュアが荒野で行われたすべてのことは、御子イエスにおいて実現される救い、イェシュアの語られた福音の重要な啓示となっているのです。イェシュアが五千人の給食の奇蹟をなされたのは、「寂しい所」(マタイ14:15)、「へんぴな所」(マルコ6:35)、「人里離れた所」(ルカ9:12)でした。訳語は異なりますが、これらはすべて、なんと「荒野」を意味するギリシア語「エレーモス」έρημοςです。人のすべての必要を保障してくれるのはだれなのか、それは天から下ってきたいのちのパンであるイェシュアだとその奇蹟を通して啓示しています。
  • また、使徒パウロも回心してからすぐに「アラビヤ」に行って、そのあとダマスコに戻っています。その「アラビヤ」も、パウロにとって、それまでの一切のかかわりから離れて、神の視点から自分を見つめ直すための重要な荒野経験へと導かれたと考えられます。何がそこで示されたのかパウロは語っていませんが、新たな神の啓示を受けたことは間違いありません。
  • 旧約における「荒野」は神の臨在の場であり、神の民が訓練を受ける場であり、新たな神の導きが示される場でした。たとえば、カルメル山においてバアルの預言者と対決して勝利した預言者エリヤが、イゼベルの一言で気落ちし失望落胆しながら荒野にあるシナイ山に出向いていきます。エリヤはそこで神の「かすかな細い声」を聞き、自分がこれからしなければならない新たな導きを得ています。
  • イスラエルの歴史において、亡国とバビロン捕囚は、これはある意味で神がご自身の民を懲罰的な意味において、「荒野」に放り出されたようなものでした。しかし彼らは、そこで「鹿が谷川の流れを慕いあえぐ」ようにして神を求めるエネルギーに変えました。また、預言者エレミヤは捕囚の民に対して次のように励ましました。

【新改訳改訂第3版】 エレミヤ書29:11~14
11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
14 わたしはあなたがたに見つけられる。──【主】の御告げ──わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにし、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。──【主】の御告げ──わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」

  • このように、「荒野」、「ミドゥバール」は、神の民とされた私たちが常に整えられる場であり、神の秘密(奥義)が示される場でもあり、将来と希望を与えられる場でもあります。それゆえ、私たちは「荒野」に身を置き、神からの悟りの光を受ける必要があるのです。これが「ミドゥバール」の意味するところであり、「ミニストリー」としての建て上げの主旨です。

2012.10.23


脚注1

ヘブル語のアルファベットに織り込まれた表意性について

ヘブル語は三つの文字(子音)を組み合わせることでひとつの意味が生じます。
この組み合わせを「語根」と呼びます。ヘブル語ではこの語根のことを「ショーレシュ」שֹׁרֶשׁ言います。たとえば、「開く」という動詞はヘブル語で「パータハ」פָּתַחです。これに接頭語の「メーム」מと言う文字を付加して名詞化すると、「マフッテーハ」מַפְתֵּחとなり「かぎ」(鍵)を意味します。旧約では3回(士師記3:25/歴代上9:27/イザヤ22:22)使われています。

ちなみに、イザヤ22章22節には「わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。」とあります。ここに出て来る「かぎ」が「マフッテーハ」מַפְתֵּחです。このイザヤのみことばは黙示録3:7に引用されています。「また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。』・・。ここでの「かぎ」を表すギリシア語は「クレイス」κλείςで、黙示録では6回(1:18「死とハデスとのかぎ」/3:7「ダビデのかぎ」/9:1, 20:1「底しれぬ穴を開くかぎ」ルカ(11:52「知識のかぎ」)、マタイ16:19「天の御国のかぎ」)として使われています。特に、マタイ16:19の「かぎ」は重要です。


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