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「夢」と「預言の成就」

2. 「夢」と「預言の成就」

【聖書箇所】 マタイの福音書1章20節、2章12, 13, 19, 22節

はじめに

  • 今回の瞑想のテーマはクリスマスに関係する聖書から、「夢」というシンボルを通して、そこに何が隠されているかを探るというものです。新約聖書で「夢」と訳されるギリシャ語は「オナル」で、όvαρ新約聖書には6回。しかもこの名詞はマタイにしか使われていません。英語では a dreamと訳されます。
  • 使徒の働き2章17節、これはヨエル書からの引用句でありますが、「終わりの日には、・・・老人は夢を見る」とあります。原文直訳では「夢で夢を見る」とありますが、「多くの夢を見る」という意味です。ここではマタイが使っている「オナル」όvαρとは別のことばで、「夢を見る」という「エヌプニアゾウ」έvυπvιάζωという動詞と「エヌプニオン」έvυπvιοvという名詞の複数形が使われています。新約ではこの箇所にのみ使われているギリシャ語です。終わりの日に聖霊が注がれるようになると、若者たちは幻を見、老人は「夢を見る」というヨエルの預言です。
  • ヘブル語で「夢を見る」は「ハーラム」(חָלַם)、名詞の「夢」は「ヘレム」(חֶלֶם)です。ヤコブが夢を見た(創世記28:12~15)り、ヨセフが夢を見た(創世記37:5, 9)りした場合の動詞は同じく「ハーラム」です。ヤコブの場合はその夢の中で主が語りかけますが、ヨセフの場合は夢の中で主が語りかけることばは一切ありません。それぞれとても印象的で、ひとつの動画の1コマを見ているようです。そして重要なことは夢の内容はすべて将来起こることを暗示しています。

1. マタイがこだわる「夢」の取り扱い

  • ところで、マタイが使っている夢は、夢の中である重要な事柄が示されるという点では旧約のヤコブやヨセフらと同様ですが、夢の中で語られた事柄がすべて旧約の「預言者たちが語ったことが成就するためである」としているところが異なっている点です。将来起こることがらではなく、すでに起こっている現実が、かつて預言者が語っていたことの成就だとしている点です。
  • 以下、マタイが扱っているクリスマス関連の記事における夢と預言の成就の関係をチャートにしてみると以下のようになります。チャートではマタイの27:19の箇所は割愛しますが、ここでもローマの総督ピラトの妻がイエスのことで夢を見て、夫にイエスにかかわらぬように進言しています。

画像の説明

  • マタイはすでに「14」という数字にこだわりましたが、ここでは「」にこだわっています。マタイ1章、2章に登場する夢を見た者―マリヤの夫と東方の博士たちーは、将来起こる出来事ではなく、ほぼ現在起こっている出来事が、かつて預言者たちが語ったことの成就なのだという点に結びつけているのです。
  • 預言者を通して言われた事が成就するため」という定型句はマタイ独自のものではありません。
    マタイはこの定型句を9回(1:22/2:15/2:23/4:14/5:17/8:17/12:17/13:45/21:4)。
    ルカは2回(21:22/24:44)。
    ヨハネは9回(福音書8回。12:38/13:18/15:25/17:12/18:32/19:24/19:28/19:36、
    黙示録1回―10:7)です。
    マタイとヨハネはユダヤ人です。その二人がこの定型句を同じく9回も使っているのは、彼ら自身が旧約における預言者が語った預言がどのようなかたちで成就されたのか、そこに大きな関心をもったことは至極当然のことと思います。

2. 夢と預言の成就がどう結びつくのか

  • さて、ここからが瞑想の本番です。つまりマタイがなぜ「夢」にこだわり、それを預言の成就と結びつけているかという点です。
  • イスラエルの時代において預言者の活動がなかった時代、つまり、族長の時代には夢で神は後に起こることを語り、かつ警告しました。しかし、預言者が登場するようになってからは、夢による啓示はなくなります。この事実が重要です。
  • イスラエルの歴史において、預言者が台頭してくるのは、ソロモン以降です。神の民が他の国のようになりたいと思い始めてから、少しずつ、神の民としての歩みは神のみこころから外れていきます。そこに登場するのが預言者たちです。彼らは本来の神とのかかわりをトーラー(モーセの律法)に基づく基準によって、民に警告を与え、悔い改めるように警告します。しかし、結果としては王をはじめて、神の民は預言者たちの言うことに耳を傾けず、むしろ迫害して自分たちの繁栄を求め、自分の思いの道を突き進み、その結果として、神が与えられた土地も神殿もすべて失います。
  • しかし、預言者が語ったように、さばきの期間、神の民たちは三世代にわたってモーセの律法の価値を再発見し、心を尽くして、思いを尽くして、力を尽くして神を愛する道を選びとるようになります。新しい神からの霊的な力を与えられて枯れていた骨がつながり、生きるものとされます。回復後、神の律法と神殿は再建されますが、長引く異邦人による圧制のもとにおいて、自分たちの領土をもつことのできない軋轢は次第に神への愛を薄れさせていき、かつ律法主義へと傾斜していきます。
  • ヨセフの時代には、かつてのような預言者は現れませんでした。マタイが「夢」にこだわるのは、「夢」そのものが預言者喪失のシンボルだからと言えます。そしてその「夢」の中で主の御告げが語られ、まさに、それが「預言者を通して言われた事が成就するため」と結び付けられているのは、今まさに、新しい預言者の登場によって、かつて旧約において「預言者を通して言われた事が成就する」新しい時代を迎えようとしていることを象徴的に表わそうとしたのかもしれません。
  • ちなみに、マタイの3章からは何とバプテスマのヨハネが預言者として登場します。歯に衣を着せぬメッセージで、多くの人々を恐れさせて悔い改めに導いた人です。しかしそれでも真の偉大な預言者であるイエスの前座的働きでしかありませんでした。「天の御国」(神の恵みによるすばらしい統治)を告げ知らせるべく真の預言者であるイエスの出番がやって来たのです。そして、この方の語ること、この方の教えること、またこの方がなされるすべての事柄が、「預言者を通して言われた事が成就される」ためだったのです。
  • マタイのこだわった「夢」は預言者なき時代の神の啓示のシンボルです。しかし、今や真の預言者であるイエスが現われ、この方こそ神の真の預言者、最後の啓示者であるということを指し示そうとしているのではないでしょうか。

2011.12.5


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