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「私たちの罪(負いめ)をお赦しください」

第6日 「私たちの罪(負いめ)をお赦しください」

はじめに

  • マタイとルカの〔語彙〕の微妙な違い
  • 〔マタイ〕
    「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある者たちを赦しました。」

  • 〔ル カ〕
    「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者たちをみな赦します。」
  • マタイとルカのテキストには微妙な違いが三つ見られます。一つは、マタイの「負いめ」はルカでは「罪」ということばになっていること。二つ目は、マタイの「赦しました」ἀφήκαμεν という表現が、ルカでは「赦します」ἀφίομεν(赦している/塚本訳)となっていることです。そして三つ目は、ルカにはマタイにない「みな(皆)」ということばが入っているということです。
  • 訳語と原語
    「負いめ」と訳された「オフェイレーマ」όφείλημα。名詞で複数形。debts.
    「負いめのある者」と訳された「オフェイレーテス」όφείλετης。名詞で複数形。debtors.
    「罪」と訳された「ハマルティア」άμαρτιαは「的外れ」という意味。名詞で複数形。sins.
    「赦す」という動詞は「アフィエーミ」αφίημι。嘆願形で「アフェス」αφες。forgive.
  • しかし、これらの違いはこの祈りを理解する上で妨げとはなりません。むしろ、その違いを相補的に理解することが賢明です。

(1) 神からの赦しと人を赦すことの密接な関係

  • 「主の祈り」の後半の第二の祈願において重要なことは、「神に対する負いめ(罪)の赦し」が、「自分たちに対する負いめのある者たちを赦す」ことと密接な関係をもっているということです。この関係において大切な点は、使徒パウロが「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32)、「互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)と述べているように。あくまでも神の恵みによる無条件の赦しが大前提としてあり、その前提に立って、他の人を赦すべきことを勧めています。神の無条件の赦しが先行しています。ではなぜ、「私たちの罪(負いめ)をお赦しください。」と祈る必要があるのでしょうか。
  • それは、神からの赦しと人を赦すことの密接な関係を正しく保つことが必ずしも容易ではないからです。主人(王)のあわれみによって膨大な負債を帳消しにしてもらったしもべ、そのしもべが自分から借り (自分が帳消しにされた負債から比べるならば、ごくわずかな負債) のある者を赦さずに、借金を返すまで牢に投げ入れたイエスのたとえ話(マタイ18:21~35)にあるように、私たちもそのような事態になることが多々あるからです。
  • 神に対する負債、負いめ、的外れな罪を完全に赦されたことを正しく受け止めことと、自分に対して負いめのある者、あるいは自分に対して悪いことをした者を赦すことと同義的な関係にあるのです。それゆえ、私たちは「私たちの罪(負いめ)をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者たちをみな赦します(赦しました)。」という祈りをする必要があります。しかも、赦すことは間髪を置かず、すかさず赦すことが必要です。日ごとに私たちが神からの無条件の赦しを受けていることを絶えず意識しながら生きるために、この祈りはとても重要な祈りと言えます。

(2) この祈りは平和を作る者(ピース・メーカー)となるための祈り

  • また、この祈りは神の子とされた者が、「平和を作る者となる」ためにも重要な祈りと言えます。
  • 主イエス・キリストは「平和の君」(Prince of peace)として御父からこの世に遣わされました。「平和の君」なるイエスがこの世に赤子として遣わされたときに、天の御使たちは次のように賛美しました。
    「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
    地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(天軍賛歌)
    この「天軍賛歌」はキリスト教の歴史の中で作られた賛美歌に盛り込まれるようになります。讃美歌98番では「あるには栄え、み神にあれや つちにはやすき ひとにあれや」と・・」、讃美歌119番では「あめにはみさかえ、神にあれや、つちにはおだやか 人にあれ」とあるように、「平和」が「やすき」とか、「おだやか」ということばで表現されてしまいました。しかし、これは聖書の伝える真の「平和」の意味を残念ながら正確には伝えていません。
  • 平和についての考え方は、大きく分けて三つあります。(脚注)
    第一は、「ローマ的平和」ともいうべきもので、圧倒的な軍事力によって実現される抑止的平和です。この平和観は今日でもアメリカをはじめとする世界の多くの国家的戦略として存在します。
    第二は、「ギリシャ的平和」で、心の平静、争いのない状態としての平穏的平和、この平和観は多くの個人の心の中にある考え方です。
    第三は、「ヘブル的平和」、あるいは「聖書的平和」ともいうべき、神と人、人と人とのかかわりにおける共同体的社会的平和です。単に争いのない「平和」を意味するだけでなく、神と人、人と人とが和解することによってもたらされる共同体的な、神の主権によって創造される祝福に満ちた平和で、「シャローム」ということばがそれを意味しています。使徒パウロはこの平和を正しく理解していました。ですから、彼の手紙にはその「平和」の概念を表わす思想で満ちています。そのパウロがエペソ人への手紙2章でこう述べています。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊し、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定からり立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをこ自身にあって新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのから゛として、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」(2:14~16)
  • パウロはユダヤ人と異邦人(聖書は人類をこの二つの範疇の中にとらえています)との間にある根強い「隔ての壁」があることを述べています。この「隔ての壁」は、平和を妨げる分裂の根であり、偏見と敵意をその中に持っています。
  • 私たちはどのようなときに敵意を抱くのか。それは自分の存在が脅かされるとき、自分が傷つけられ、あるいは自分の愛するもの、大切にしているものが傷つけられ、壊され、奪われようとするとき、そのような危険を感じるときです。敵意とは、徹底的に敵を排除しようとする感情であり、その根底には「恐れ」が支配しています。ですから、敵意とは「極めて自己防衛的な本能的感情」ということが言えます。敵意を持つとき、人は身を固くし身構えます。攻撃に備え、すぐさま反撃に移れるように対処します。敵意によって憎しみが憎しみを生むという連鎖が人間の歴史の中に繰り返されてきました。
  • 神の民である「ユダヤ人」と「異邦人」との間にもこの「敵意」が存在していました。ユダヤ人の自己防衛感情によって異邦人と自分たちとの間に「隔ての壁」を作りましたが、その壁はなんと神の賜物として与えられた神を礼拝する様々な仕方を規定する「戒めの律法」でした。この「戒めの律法」をキリストが廃棄されたのです。どのようにしてか。それは「キリストを信じることだけで十分」としたことでした。この壁が崩れることによって、敵意の入り込む隙がなくなってしまったのです。ここに「キリストこそ私たちの平和」という宣言が確立します。自分を自分で守ろうとするとき(たとえ神の事柄が付随していたとしても)、敵意を生み、平和を実現することができません。自分を自分で守ろうとすることが聖書のいう「的外れ」的な罪です。罪の性質である自己防衛本能が神にゆだねられ、神による防衛が保障されないかぎり、敵意は存在し続けます。
  • さまざまな領域において敵意は存在します。教会間にあってもそうです。「あそこの教会に行ってはだめよ。信仰がおかしくなってしまうから。あそこは聖書的じゃないから」と言って、自分たちが正しいと思っている神学によって敵意は簡単に作り出されてしまいます。しかしその背後には自分たちを守ろうとする防衛的心理が隠れています。神のことばである聖書によってさえも「隔ての壁」を作り、敵意を呼びこんでしまうのが私たちです。なんと罪深いことでしょうか。自分たちの拠って立つ伝統や神学ではなく、生けるキリストこそ【平和】を実現する道です。そのキリストは十字架において敵意を廃棄されました。私たちもキリストの十字架のもとへ立ち返るとき、はじめて自分のうちにある「隔ての中垣」を打ち壊すことができるのです。
  • こうした視点からも、主の教えられた祈りー「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者たちをみな赦します。」―を考える必要があると信じます。なぜなら、これは「平和を作る者」たち、すなわち、神の子どもとされた者たちの祈りだからです。


(脚注)

  • 「平和」についての考え方は、ジョン・ドライヴァー著「教会―イエスの共同体」(棚瀬多喜雄訳、すぐ書房、1982年) 89~105頁を参照。

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