****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

「私の妹、花嫁よ」(2)

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雅歌は、花婿なるキリストと花嫁なる教会のかかわりを学ぶ最高のテキストです。

14. 「私の妹、花嫁よ」(2) ―花嫁の処女性

【聖書箇所】 4章8〜16節

ベレーシート

  • 花婿の心を奪ったのは、花嫁の「たった一度のまなざし」と「首飾りのただ一つの宝石」であると記されています。しかしそこで強調されているのは、「まなざし」でも「首飾り」でもなく、「たった一度の」「ただ一つの」と訳されたヘブル語の「エハッド」(אֶחַד)の女性形「エハット」(אֶחַת)です。それが花婿の心を完全に奪ってしまったのだと考えます。そこでひとつのこと(One Thing)というのは何なのでしょうか。それは、花嫁の真実さと貞潔です。すなわち、花嫁の処女性なのだと私は解釈します。そしてそれは、花嫁(=教会)の処女性とは何なのかという問いにつながって来ます。
  • 使徒パウロはコリント人への手紙で以下のように記しています。

【新改訳改訂第3版】コリント 人への手紙第二 11章1~3節
1 私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います。いや、あなたがたはこらえているのです。
2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
3 しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。


●「キリストに対する真実と貞潔」を失わせるのは、「思い」だということが分かります。ここで使われているギリシア語は「ノエーマ」(νόημα)の複数形で「思い・思考・決意」を意味します。それゆえ、花嫁は花婿のことばによってのみ思考を一新しなければなりません。思考によってすべての行動が生まれるからです。花嫁にとって必要不可欠なことは「ただひとつ」、つまり「真実と貞潔」です。そこに花婿の心が奪われるのです。

  • 雅歌4章10~15節では、花嫁の真実と貞潔さがさまざまな象徴によって表わされています。

1. 「あなたの着物はレバノンのかおりのよう」

  • 花嫁の「着物」と訳されたヘブル語は「サルマー」(שַׂלְמָה)で、人が普通に着る「着物、外套、衣」のことです。昼は外套になり、夜は毛布にもなります。花嫁の着物がレバノンのかおりのようだというのは、ある種の純潔性を象徴しています。「レバノン杉」は虫がつかず、腐らないという崇高な特質を持っています。したがって「あなたの着物のかおりはレバノンのかおりのようだ」というのは、他の男を知らないという意味で、花嫁の「貞潔さ」を表していると言えます。
  • 花嫁である教会は花婿であるキリストのかおりを放つようにしてくださっているのです。このかおりこそ、花婿にとって価値ある「ただひとつ」なのです。

2. 「私の花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉」

処女性の表象.JPG
  • 4章12節に、「私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉」とあります。これらはすべて花嫁の処女性を表している表現です。「閉じられた」「封じられた」という表現の中に、花婿以外にだれも入ることのできないように、鍵がかかっているような状態で「閉じられている」様子が表わされているのです。尾山訳では、これら三つを一括して「私のかわいい花嫁は、私のものだ」と訳しています。「閉じられているが、それは私のため、私のもの」だとの意訳ですが、的を射ているように思います。「庭」(「ガン」גַּן)も、「源」(「ガル」גַּל)も、「泉」(「マヤーン」מַעְיָן)も、すべて花婿のために取り置かれているのです。
  • これらはまさに「エデンの園」の情景を彷彿とさせます。「最上の実をみのらすざくろの園」はまさにパラダイスです。というのも、「ざくろの園」の「園」という語彙は「パルデース」(פַּלְדֵס)で、英語の「パラダイス」の語源となっています。真実と貞潔をもった花嫁の園からは良いものが多く産出されるのです。それを雅歌はさまざまな香料によって表現しています。つまり、「香料」は神に喜ばれることを意味しています。
  • 花婿と花嫁の結婚は、エデンの園の回復を意味します。「庭の水、湧き水の井戸、レバノンからの流れ」(15節)とあるように、地の呪いが解かれて、荒野に水が湧き出で、荒れ地に川が流れます。これは「生ける水の川」(ヨハネ7:38)である聖霊を指し示しています。多くの花が咲くだけでなく、ありとあらゆる果樹が実ります。
  • かつてのエデンの園にはアダムとエバしかおりませんでしたが、やがて花婿なるイェシュア・ハマシアッハが来られる時には、エデンの園が地上に回復するのです。花嫁の不安は喜びと感謝へと変えられます。なんとすばらしい神のご計画でしょうか。
  • 「メシア王国」(千年王国)はこの地上でのエデンの園の回復であり、旧約時代の多くの預言者たちがそのヴィジョンを垣間見ていたのです。それを知るためには旧約の預言書を読まなければなりません。
  • 「御霊も花嫁も言う。『来てください。』」(ヨハネの黙示録22:17)とあるように、終末の希望についての確かな教えを学び、そしてそれを知ることは、花嫁である教会の花婿に対する真実と貞潔につながると信じます。

3. 閉じられた庭を開いて待つ花嫁

  • 4章16節は、閉じられた庭を開いて花婿の訪れを待ち望む花嫁のことばです。

【新改訳改訂第3版】雅歌 4章16節
北風よ、起きよ。南風よ、吹け。
私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。
私の愛する方が庭に入り、
その最上の実を食べることができるように。

  • 「そのかおり」とは「花婿のかおり(複数)」のこと。
  • 「愛する方が庭に入り」とは花婿に「自分の庭として入っておくれ」という意味。
  • 「その最上の実を食べることができるように」とは「花嫁の庭で、選りすぐりの実を食べておくれ」の意味。「最上の実」(新改訳)「選りすぐりの実」(新共同訳)とは、「花嫁」自身に他なりません。
  • 文法的には、「漂わせておくれ」「入っておくれ」「食べておくれ」という部分は、すべて未完了形と同形の指示形(=話し手の気持ちを表わす)となっています。これは雅歌1章2節にある「あの方が私に口づけしてくださったらよいのに(「口づけしておくれ」)」と同じ用法で、雅歌のひとつの特徴となっています。

2015.8.26


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