****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

あなたがたはわたしにとって聖なるものとなる

文字サイズ:

レビ記は、「キリストの十字架の血による贖いの神秘」を学ぶ最高のテキストです。

18. あなたがたはわたしにとって聖なるものとなる

前へ | 次へ

ベレーシート

  • 19章ではシナイ契約で啓示された十戒をもとに、異教的風習に従わないように命じています。なぜなら、異教的風習は神にとって「道ならぬこと」、「破廉恥なこと」、「忌まわしいこと」だからです。20章では異教的風習に従った場合の罰則について語られています。その罰則の目的は、イスラエルの民がエジプトから救い出されたのは神の聖を示すためであり、そのために神によって選り分けられた存在だからです。以下は、淫行を行う者に対する刑罰について記されています(2~21節)。

1. モレクを慕う者への刑罰

モレク礼拝.JPG
  • 「モレク」(「モーレフ」מֹלֶךְ)とは雄牛の頭の形をした青銅の像で、カナンの宗教の総称であり、アモン人の神でもあり、「ミルコム」(מִלְכֹּם)とも呼ばれます(Ⅰ列王11:33)。モレクを礼拝する者は、自分の子ども(乳児)をいけにえとしてささげて焼き殺したりしました。イスラエルの歴史において、晩年のソロモンがこの「ミルコム」に従いました(Ⅰ列王11:5)。またユダの王アハズの時代にもエルサレムのベンヒノムの谷でモレク礼拝がなされました(Ⅱ列王16:3)。この残虐な「忌みきらうべきならわし」はアハズの息子であるマナセもしています。
  • モレク礼拝に対する刑罰は死であり、必ず石で殺されなければなりませんでした。またそのことに目をつぶってモレク礼拝をした当事者を殺さなかった者にも刑罰は及び、民の間から断たれ(切り離され)ました。

2. 霊媒や口寄せを慕う者たちへの刑罰

  • モレク礼拝のみならず、霊媒や口寄せを慕う者たちに対しても、民の間から断たれるという刑罰が課せられました。モレク礼拝、および霊媒や口寄せを慕うということは、霊的な淫行とみなされたからです。それは、神である主とイスラエルの民がシナイ山において合意に基づく結婚の契約を交わしたという背景があるからです。結婚という神聖な関係が淫行によって破壊される時、近親相姦の罪へと傾きます。

3. 死に価する姦淫罪・性行為(10~21節)

  • すでに18章6~18節には近親相姦の禁止のおきてが述べられています。具体的には以下の通り。

①母 ②父の妻(継母) ③姉妹 ④孫娘 ⑤継母の娘 ⑥叔母 ⑦義理の叔母 ⑧嫁 ⑨兄弟の妻 ⑩同時に母娘をめとること ⑪同時に姉妹をめとること

  • さらに、20章10~21節にも具体的な姦淫と性倒錯について述べられています。

    (1) 死刑に価する罪
    ①他人の妻 ②父の妻(継母) ③息子の嫁 ④ホモ・セックス ⑤娘とその母 ⑥獣姦 ⑦姉妹 ⑧月経中の性行為

    (2) 以下の性行為の罰は、子どもが生まれないこと
    ①叔母 ②兄弟の妻 

  • こうした罪は、やがて主によって追い出されることになるカナンの地に住む国民の風習であり、主は「彼らをはなはだしくきらった」とあります(20:23)。

主の民に対する主の要求は以下の通りです。

【新改訳改訂第3版】レビ記20章23、24節
23 あなたがたは、わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国民の風習に従って歩んではならない。・・
24・・・わたしは、あなたがたを国々の民からえり分けたあなたがたの神、【主】である。




画像の説明

●レビ記20章の場合には、19章にはない語彙「リー」(לִי)が入っています。これは前置詞の「レ」(לְ)に1人称単数男性の語尾が付いた形です。「わたしに対して」「わたしに向かって」という方向性と、新共同訳のように「わたしのものとなり」という所属性を意味する訳となっています。その部分を取り除いて考えると、レビ記19章2節と20章26節の違いは動詞の「ハーヤー」(הָיָה)が19章2節では未完了形であるのに対して、20章26節では継続ヴァヴ+完了形となっています。この違いは一体何なのでしょうか。その違いを文法的にどのように理解すれば良いのでしょうか。

●動詞の未完了形は、基本的に現在や未来の動作や状態を意味します。と同時に、話し手の願望や意志、懇願、要請といった心的態度を表すときにも未完了形で表現します。したがって、前後の文脈からそのニュアンスを汲み取って訳す必要があります。19章2節では、主なる神がイスラエル人の全会衆に対して「わたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者であるべきだ(聖とならなければならない)」とする要請的な訳となっています。

●新改訳の20章26節「あなたがたはわたしにとって聖なるものとなる」(新改訳)は他の訳とは明らかに異なっています。この違いは何なのでしょうか。前後のコンテキストを見ると、新改訳の場合、24節に「あなたがたは彼らの土地を所有するようになる」(未完了形2人称男性複数)とあり、それに続く25節で「あなたがたは、きよい動物と汚れた動物・・を区別するようになる」(継続ヴァヴ+完了形2人称男性複数形)と続き、26節でも「聖なるものとなる」(ここも25節同様に、継続ヴァブ+完了形2人称男性複数形)となっています。つまり、24節からの未完了形の意味がそのまま継続された形となっています。新改訳では24節の未完了形の意味を未来における状態として訳しているのに対し、口語訳、新共同訳、バルバロ訳では19章2節と同様に(未完了形を)話し手の要請のニュアンスで訳し、そのニュアンスが25節、26節へと継続されていると考えられます。

●このように未完了形は、「~した」という意味の完了形、「必ず~のようになる」という意味の預言的完了形以上に、幅の広いニュアンスをもっています。


2016.6.10


a:1468 t:2 y:2

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional