****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

あなたの知らない理解を越えた大いなる事

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67. あなたの知らない、理解を越えた大いなる事

【聖書箇所】 エレミヤ書 33章3節

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【読み】
ー ーライ ヴェーアネー ヴェアーラー レー ゲドーート ウーヴェツート ー イェダーーム

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
【口語訳】
わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。
【新共同訳】
わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。
【岩波訳】
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたに知らせよう。あなたの知らないような、偉大で近づき難い事どもを。」
【NKJV】
'Call to Me, and I will answer you, and show you great and mighty things, which you do not know.'

【瞑想】

エレミヤ書33章は「慰めの書」(30~33章)と言われる最後の章であり、かつ、総括的な章です。おそらくいろいろな時と場所でエレミヤに語られた神の心臓にふれる重要な事柄がこの章に寄せ集められています。それらを「あなたがたの知らない、理解を越えた大いなる事」(33:3)というタイトルでまとめることができます。

「理解を越えたこと」(口語訳「隠されていること」、新共同訳「隠されたこと」、関根訳「及び難いこと」、NKJV訳-mighty things、TEV訳-marvelous things)と訳された原語は、動詞「バーツァル」בָּצַרの分詞・受動態・複数です。「バーツァル」は、ぶどうを摘み取る、小さくする、卑しめるという意味がありますが、この動詞が分詞・受動態で用いられる時には、「近づきがたいこと」「要塞化されたこと」「防御工事がされたこと」から「理解しえないこと」「隠されたこと」という意味が派生しています。それに「大いなる」(「ガードール」גָּדוֹל)という形容詞がついています。神のみこころにある「大いなる秘密」(神の心臓)、簡単に知ることのできない「理解を越えた大いなること(複数)」が33章にまとめられているのです。そのことを、「主に呼び求める者」に告げ知らせる(「ナーガド」נָגַד)と主が語っておられるのです。

主なる神は人間に知らせることなく、大切な事をなされる方では決してありません。主はご自身のご計画とその秘密を、主を呼び求め、主を尋ね求める者に必ず啓示してくださる方です。ですから「わたしを呼べ」と呼びかけているのです。

主の「隠された、理解しえない大いなる事柄」とは全イスラエルの回復のことです。しかしこれは今日の多くのキリスト教会において、これまでの置換神学の弊害により、正しく理解されていません。

全イスラエルの回復とはアッシリヤによって散らされ北イスラエルとバビロンの捕囚となったユダを意味します。神は全イスラエルの回復のために、
第一に、完全な赦罪が与えられます。
「わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。」(8節)

第二に、エルサレムは世界の中心地になります。
「この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。」(9節)

第三に、それを実現するのはダビデの家から出る「若枝」によってです。
「その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を芽ばえさせる。彼はこの国に公義と正義を行う。」(16節)
この「若枝」はメシアを意味します。「若枝」と訳された原語は「ツェマハ」צֶמַחで、「芽生えさせる」はその動詞「ツァーマハ」צָמַחです。


旧約聖書における「メシアとしての若枝」を表わす語彙について

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(1) 「ツェマハ」(צֶמַח)
エレミヤ23:5、ゼカリヤ3:8/6:12、イザヤ4:2
(2) 「ホーテル」(הֹטֶר)
イザヤ11:1
(3) 「ネーツェル」(נֵצֶר)
イザヤ11:1、ダニエル11:7
(4) 「ヨーネーク」(יוֹנֵק)
イザヤ53:2


最後に、
エレミヤ書33章3節のみことばは、私たちが自分の都合の良い解釈をしてしまやすい箇所の一つです。そのことによって、ここで主がなそうとしてることを理解することが出来なくなってしまいます。33章3節のフレーズは森の中にある一本の木を見ているようなものです。一本の木は大きな森全体の中のごく一部です。「木を見て、森を見ず」式の読み方ではなく、「森を見て、木を見る」式の読み方を身に着ける必要がありますが、それには多くの時間を必要とはしません。正確なキーワ―ドがあれば正しく理解することができるのです。そのキーワードとは「全イスラエルの回復」という神のみこころの中心に触れるものです。この鍵をもって聖書を読むことで、今まで見えなかったものが見えてきます。これまで理解し得なかった事柄の中に、底知れず深い神の統治と神の愛に触れることができると信じます。私たち異邦人は、使徒パウロが言うように、イスラエルに接ぎ木された者なのです。ですから、神がイスラエルに対して約束されたことを正しく理解する必要があるのです。


2013.4.22


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