****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

あなたは私のために食事をととのえ、

瞑想(12) 「あなたは私のために食事を整え」(v.5-a)

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  • 「羊飼いと羊」の関係(You are my shepherd)が、5節から「主人と客人」(You are my Host)の関係に変わります。
  • 客人を自分の食卓に招く主人のたとえは、人を気前よく歓迎する神の恩寵を表しています。従って、5節のテーマは「神の歓迎(Welcome)」ということになります。5節前半では「私の敵の前で(※)、あなたは私のために食事を整えて(くださいます)」と告白されています。(※2017年に刊行される新改訳では「敵の前で」を「敵をよそに」と改訳しています。)
  • 5節「整える」と訳された「アーラフ」(עָרַךְ)、ここでは未完了形パウル態の「タアローフ」(תַּעֲרֹךְ)が使われていますが、「備える」「整える」「並べる」、prepare, set up set in order, arrange, disposeという意味です。旧約では71回、詩篇では4回(23:5/69:22/78:19/128:3)使われています。この詩23篇では「食事、食卓―table」「シゥルハーン」(שֻׁלְחָן)が備えられ、並べられています。
  • 食事を準備し、整えて、食卓に招くとは、招こうとする者に対する招く者の歓迎の心をあらわすものであり、ここでは神の食卓に招かれた者の幸いを見ることができます。神の食卓に招かれること、神の食卓にあずかるということは、神の最高のもてなしを受けることを意味します。しかもこの食卓は「私のために(原文では「わたしの前に」)」整えてくださっています。
  • ユダヤ人にとって、共に食卓に着くということは親密さを表し、招く相手を最大級の好意をもって受け入れていることのしるしでした。彼らは心に一物のある者とは決して食事をすることはありません。ユダヤ人にとってともに食事をするということ、ともに食卓を囲むということは、親密さを表す行為なのです。
  • ヨハネの福音書は幕屋の構造に従って構成されています。しかもその幕屋の至聖所は21章にあります。そこにはイェシュアが自分を裏切った弟子たちのために、朝の食事を用意し彼らを招いている記事があります。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と。それは、主が彼らを心から赦し、心から彼らを受け入れる歓迎の行為なのです。
  • 神はエジプトを脱出したイスラエルの民に、荒野において食事(マナ)を備えられました。しかも約束の地カナンの地に入るまでの40年間にわたって食事を与えられましたが、この神の親密な思いを表わす好意は、いつの時代においても変わりません。ダビデもまさに「敵の前」で食事が与えられるという経験をしました。

①サウル王の追跡にあっていた時、ナバルの妻アビガイルによって。(Ⅰサムエル25章)
②アブシャロムの謀反によって都落ちした時、メフィボシェテに仕えるしもべツィバによって (Ⅱサムエル16章)
③アブシャロムの謀反によって都落ちした時、バジライとその友らによって(Ⅱサムエル17章)

  • このように、ダビデと彼に従う一行は、まさにひっ迫する身の危険の中で、神は「敵の前で」食事を与えられました。また、この「敵の前で」の「敵」とは、神との親密なかかわりを妨げようとするすべてのことを指しているともいえます。その「敵」は必ずしも外側にあるものだけではなく、自分自身の内側にもあるのです。そうした「敵」がたとえあったとしても、「神の食卓」は絶えることなく、しかも永遠に備えられているのです。そして今も、主イエスは私たちに対して、「見よ。わたしは、戸の外に立って、たたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をする」(黙示録3章20節)と招いておられます。
  • 神の歓迎を経験したダビデは、サムエル記第二9章で、無ニの友であったヨナタンの息子のメフィボシェテに対して恵みを施したことが記されています。それは、「いつも王の息子たちの一人のように、王ダビデの食卓で食事をしてよい」というものでした。主の食卓に招かれた者たちは、いつもその歓待を受け、豊かな美味しい食事をいただくことができます。それは主の教会の姿でもあります。
  • ルカの福音書には食卓の場面が数多く記述されています。共観福音書の3箇所とルカ固有の6箇所とであわせて9箇所もあります。ルカは意図的にそうしているのであって、ルカにとって食卓は救いの終末的な祝宴を予表しています。
  • 特に、ルカの福音書15章の「放蕩息子のたとえ話」は、父の放蕩息子に対する歓迎(もてなし)がいかなるものであるかをよく表しています。このたとえ話の前にある14章には、神の盛大なる祝宴に招待されながらも、いろいろな理由で断って応じなかった者に対する神の怒りと悲しみが記されています。


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