****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

すべての信者の模範となったテサロニケの花嫁

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1. すべての信者の模範となったテサロニケの花嫁

ベレーシート

  • 「セレブレイト・スッコート」の瞑想タイムのテキストとして、テサロニケの手紙を選びました。パウロが初めて書いた手紙です。この手紙を読むと分かるように、彼はイェシュアが宣べ伝えた福音、すなわち「御国の福音」を宣べ伝えていたことが分かります。その中に十字架の「恵みの福音」も包含されています。テサロニケの手紙の特徴は、「死者の中からよみがえられた御子イェシュアが再び来られるということ(「再臨」=「パルーシア」παρουσία)が随所に書かれていることです。パウロはわずか三週間の伝道の中でそのことをしっかりと教えていたのです。つまり、神のご計画の全貌を教えていたということです。
  • 第一次伝道旅行の時にどんな話がなされたのか、開拓された教会宛の手紙がないのでそのことを検証することはできませんが、イェシュアがメシアであることを論証したということは、神のご計画の全貌である「御国の福音」を語っていたことは明らかです。パウロがダマスコにおいて「目からうろこのようなものが落ちて」以来、彼は、「イェシュアがキリスト(メシア)であること」を旧約聖書を通して証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちを「うろたえさせた」とあります。パウロの聖書による論証力(説得力)がきわめてすぐれたものであったため、ユダヤ人からの迫害を招くことになったのです。「うろたえさせた」と訳されている原語は「スンケオー」(συγχέω)の未完了形で、「混乱状態に陥るほど狼狽させ続けた」という意味です。この語彙は「使徒の働き」にのみ5回使われています(2:6/9:22/19:32/21:27, 31)が、パウロの宣教活動は常にユダヤ人たちによる迫害を受けたのです。
  • その迫害は第一次のみならず、第二次伝道旅行においても顕著でした。その迫害のゆえにテサロニケではわずか三週間という短期間の働きをもって中断を余儀なくされ、後ろ髪を引かれる思いでパウロたちはその地を離れました。ところがテサロニケの教会は、そうした迫害による苦難の中にあっても、その一帯の地域(アカヤ、マケドニヤ)において模範的な教会として成長しつつあったのです。

1. パウロ、シルワノ、テモテという麗しきパートナーシップ

  • テサロニケに宛てた手紙の差出人は第一、第二のいずれにおいても、「パウロ、シルワノ、テモテから」とあります。この三者のチームには隠された秘密があります。その秘密とはこのチームが一つの家族の体を成しているということです。第一次伝道においてパウロの同伴者(パートナー)は「バルナバ」でしたが、第二次伝道においてパウロは「シラス」(ユダヤ名表記)を選びました(使徒15:40)。「シラス」はヘブル語で「シェイーラー」(שְׁאִילָא)と表記されます。パウロのヘブル名は「サウル」で「シャーウール」(שָׁאוּל)と表記されます。驚くべきことに、「シェイーラー」にしても「シャーウール」にしても、語幹はשׁאלで「神を尋ね求める」ことを意味しています。同じ霊性をもったパウロとシラスはいわば夫婦のようです。夫役はパウロで終始すべてをリードして行きます。シラスはいわばパウロの助け手です。
  • この二人の間に、第一次伝道旅行の際、ルステラで出会った若き青年テモテがパウロの霊的な子として加わっています。「テモテ」という名前はギリシア語で「ティモセウス」(Τιμόθεος)です。これは「敬う、尊敬する」を意味する動詞「ティマオー」(τιμάω)と「神」を意味する「セオス」(θεος)の合成語で、「神を敬う」というのが「テモテ」の名前が意味することです。
  • テモテの母と祖母はユダヤ人であったため、テモテは幼い頃から聖書(旧約)によって養育されたと考えられます。昔も今もユダヤ人の母親は百パーセント「教育ママ」だと言われているからです。しかし父親がギリシア人であったため、テモテはパウロという人物に聖書の理想的な父親像を見出したと思われます。パウロもテモテに対して、信仰による「わが子」「愛する子」として、霊的な父親ぶりを発揮し、彼を一人前の主の器として育成していきます。彼ら三人は生涯独身だったと思われますが、主に導かれたこの麗しき三人は、苦難を共にした「一つの家族」と言えます。それゆえに私たちは、彼らの揺るぎなきパートナーシップに注目する必要があると思います。

2. きわめて感染力の強いテサロニケ教会の背景

  • テサロニケの教会は「マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になった」(Ⅰテサロニケ1:7)とあります。それほどに影響力のある教会となったのは、神の視点から見るならば、「神に愛され」「神に選ばれた」からですが、その証拠に、彼らは「迫害」と「苦難」に耐えることができたと言えます。
  • 「主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニヤトアカヤに響き渡った」(Ⅰテサロニケ1:8)とあります。雷のように「響き渡った」と訳された動詞「エクセーケオー」(ἐξηχέω)はこの箇所しか使われていませんが、これは神に対する信仰がテサロニケからあらゆるところに「伝わって行った」「広がって行った」「知り渡った」を意味する「エクセルコマイ」(ἐξέρχομαi)と同義です。いずれも完了形で感染力の強さを表しています。そのように、彼らがきわめて強い感染力をもった教会として成長したのには、他にも理由(わけ)があります。

(1) 福音が確信によって受け入れられたこと

  • 「確信」という名詞は「プレーロフォリア」(πληροφορία)で、新約ではこの箇所以外に3回使われています(コロサイ2:2、ヘブル6:11、10:22)。「確信」は聖霊によってのみ与えられるものですが、その意味するところは、「神の秘められたご計画とその中心にいるイェシュアを悟るようになること」です。このことが重要です。神を信じていたとしても、それはあくまでも自分たちに何か良いことをしてくれる程度の神として信じていることが多いのですが、ここでの確信とは神のご計画、神の心を知ることへの確信です。その確信は、キリストの再臨によって実現する神の隠されたご計画(空中再臨)への待ち望みに対する、テサロニケ教会の信仰に現わされています。

(2) まことの神に仕えるために、もろもろの偶像から神に立ち返ったこと

  • テサロニケの教会の人々は、偶像(複数)から立ち返って、それから生ける神に仕えるようになったのではありません。事実は逆です。彼らは生けるまことの神に仕えるという目的のために、もろもろの偶像から立ち返ったのです。これは真の「悔い改め」の見本です。このことは彼ら自身によってではなく、他の人々によって言い広められました。なぜなら、そのことが誰の目にも明らかだったからです。

(3) 御子イェシュアの再臨を待ち望むようになったこと

  • テサロニケの教会の特質は、花婿なるキリストの再臨を待ち望む花嫁としての姿です。パウロは以前にキリストの再臨について語ったのですが、教会の人々の中に、再臨に対する誤解が生じていたことが、手紙を書くことになった理由です。再臨に対する正しい理解が第4章で取り上げられています。
  • 1章10節に「やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになった」とあります。「やがて来る御怒り」とは、反キリストによる未曾有の患難時代のことです。そこから「救い出す」とは、患難時代が起こる前に、主の「空中再臨」によって救い出されることを意味しています。テサロニケの人々はこのことを語ったパウロの教えを喜びをもって受け入れたのです。ここで使われている「待ち望む」という動詞「アナメノー」(ἀναμένεω)はこの箇所にしか使われていない語彙です。「メノー」は「とどまる」ことを意味する動詞で、それに接頭語の「アナ」がついています。「アナ」は「上に」という意味の他に「徹底して」という意味があります。たとえば「アナゼーテオー」(ἀναζητέω)という動詞は「探す」という意味の動詞ですが、それに「アナ」が付くと「探し回る」「徹底して探す」「熱心に捜し出す」「見つけるまで探す」という意味になります。それゆえ「アナメノー」は「一縷の望みとして待ち望む」ことを意味する語彙だと言えます。
  • この「アナメノー」をヘブル語に訳すと「ハーハー」(חָכָה)となります。この動詞は旧約聖書では14回使われていますが、その意味は「期待して、一縷の望みとして待ち望む」ことを意味するのです。「ハーハー」(חָכָה)は、神のご計画の実現を心待ちにする「カーヴァー」(קָוָה)、および、主を信頼して静かに待つ「ヤーハル」(יָחַל)とは異なったニュアンスをもっています。
  • 空中再臨こそ教会の望みであり、慰めです。この再臨の時には一瞬にして、主にあって死んでいた者は眠りから覚めてよみがえり、その時に生きている者は朽ちないからだに変えられます。主にある者たちは、聖霊によって、このことのすばらしさを確信する必要があるのです。

(4) テサロニケの人々が自ら模範となろうとしたこと

  • 日本語の訳では伝わらないニュアンスがあります。「こうして、あなたがたは・・すべての信者の模範となったのです」(7節)という訳がそうです。「模範となった」とありますが、原文では「模範となろうと務めた」と訳せます。なぜなら、「なった」の文法情報はアオリスト中態だからです。中態は「再帰」を表わすもので、ヘブル語のヒットパエル態と同様に、自らをして、自覚的に、主体的にそうなろうとすることを意味するからです。
  • テサロニケの教会は自然的結果として、自動的に「模範となった」のではなく、最初から自覚的に「模範となることに努めた」教会だったのです。パウロたちもそのような教会になることを意識しながらふるまったと思います。それゆえにテサロニケの教会は、きわめて感染力の強い教会となることができたのだと理解します。そのことは次章で明確に語られています。

2015.9.28


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