****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

その日には

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補完No.4. 「その日には」

【聖書箇所】4章1~6節

ベレーシート

  • イザヤ書は、審判と救い、滅びと回復という二つの柱によって構成されています。1~39章までが「審判」で、40~66章までが「救い」という大区分もできますが、この二つのメッセージは常にワンセットで、さまざまな箇所に見ることができます。さばきについての預言の後には必ず回復のメッセージがあるのです。このパターンが繰り返されます。
  • 3章では、神がエルサレムとユダから人間的なすべての支えと頼りを取り去られるという預言が語られていました。そして4章の1節、2節では「その日」、つまり「終わりの日」の回復の預言が記されています。
  • 4章には、多くの言葉が同義的な表現として使われています。

【新改訳2017】イザヤ書4章1~6節
1 その日、七人の女が、一人の男にすがりついて言う。「私たちは自分のパンを食べ、自分の服を着ます。私たちがあなたの名で呼ばれるようにして、恥辱を取り去ってください。」

2 その日、【主】の若枝は麗しいものとなり、栄光となる。地の果実はイスラエルの逃れの者にとって、誇りとなり、輝きとなる。
3 シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖なる者と呼ばれるようになる。みなエルサレムに生きる者として書き記されている。
4 主が、さばきの霊と焼き尽くす霊によって、シオンの娘たちの汚れを洗い落とし、エルサレムの血をその町の中から洗い流すとき、
5 【主】は、シオンの山のすべての場所とその会合の上に、昼には雲を、夜には煙と燃え立つ火の輝きを創造される。それはすべての栄光の上に覆いとなり、
6 その仮庵は昼に暑さを避ける陰となり、嵐と雨から逃れる避け所、また隠れ家となる。


1. 「その日、七人の女が、一人の男にすがりつく」とは

  • 4章1節は、位置づけと意味がとても難しい箇所です。多くの注解書では、4章1節を3章16節からの区分の最後の部分としています。しかしここではあえて、4章1節をさばきに対する悔い改めを含んだ部分として理解し、その場合、その後の部分とどのようにつながるのかを考えてみることにしました。
  • 1, 2節に「その日」(直訳では新共同訳のように「その日には」です。「バッヨーム・ハフー」(בַּיּוֿם הַהוּא)とあります。「その日には」とは、2章2節にある「終わりの日に」と同じ意味です。1節にも、2節にも同じく「その日」とあるからには、2節以降の内容は1節と同義的パラレリズムとみなすことができます。とすれば、「七人の女が、一人の男にすがりついて」というフレーズは、2節にある「イスラエルの逃れの者にとって、主の若枝は麗しいものとなる」という意味にもなります。

2. 「七人の女」とは

  • 七人の女」とは同節で「私たち」に言い換えられています。この「私たち」は2節では「イスラエルの逃れの者」(「逃れの者」は集合名詞としての単数で表現されている)と言い換えられ、それは悔い改めた者たちです。「七」は完全数ですが、必ずしも「七」という意味ではなく、神のあわれみによる「イスラエルの逃れの者」のことです。そして3節では「シオンに残された者」「エルサレムに残った者」「聖なる者」とも言い換えられています。

3. 「一人の男」とは

  • 1節の「一人の男」という表現も、2節では「主の若枝」と言い換えられます。「若枝」(「ツェマハ」צֶמַח)はメシアの称号です。「逃れの者」「残された者」「残った者」である七人の女たちは、すがりつくことになる「若枝」によって、自分たちに与えられた「パン」(=神のことば)を食べ、「服」(=義の衣)を着るようになるのです。しかし「一人の男」に対する「七人の女たち」の願いは、「あなたの名で呼ばれるようにして、恥辱を取り去って」もらうことだけなのです。しかしこの「だけ」を意味する「ラク」(רַק)というヘブル語がうまく訳されていません。

4. 呼応表現と語呂合わせ

(1) 呼応

  • 1節にある「私たちがあなたの名で呼ばれるようにして」は、3節の「シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖なる者と呼ばれるようになる。」で呼応しています。また、1節の「恥辱を取り去ってください」が、4節の「シオンの娘たちの汚れを洗い落とし、エルサレムの血をその町の中から洗い流すとき」に呼応しています。

(2) 語呂合わせ

  • 5節の「覆い」(「フッパー」חֻפָּה)と6節の「仮庵」(「スッカー」סֻכָּה)が、発音においても意味においても語呂合わせになっています。ちなみに、「覆い」の「フッパー」(חֻפָּה)は、旧約聖書ではこのイザヤ書4章5節とヨエル書2章16節と詩篇19篇5節の3回しか使われていません。ヨエル書では「花嫁の部屋」として、詩篇では「花婿の部屋」として、イザヤ書では「婚礼の時の覆い」として使われています。ただし、イスラエルの場合の「フッパー」(חֻפָּה)は、「教会」(花嫁)とは異なり、妻として復縁するためのものです。

ベアハリート

  • メシア王国には、神による「残りの者」(レムナント)がいます。彼らはみな「いのちの書」に書き記された者たちです。彼らは主の山であるシオンの全地域に集められ、それぞれの嗣業が与えられるだけでなく、すべての集会(会合)の上に、主の導きと守りの象徴である「雲」と「煙と燃え立つ火の輝き」が新たに創造されます(「バーラー」בָּרָא)。それらは「残りの者」たちにとって「覆い(天蓋・仮庵)」(「フッカー」חֻכָּה)となり、彼らの「陰」(「ツェール」צֵל)、「避け所」(「マフセ」מַחְסֶה)、「隠れ場、隠れ家」(「ミストール」מִסְתוֹר)となるのです。

2018.1.9


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