イスラエルの歴史を踏み直すイェシュア
アドベント瞑想3の目次
6. イスラエルの歴史を踏み直すイェシュア
【聖書箇所】 マタイの福音書 2章13節~18節
【新改訳改訂第3版】マタイの福音書 2章13~18節
13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
14 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、
15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。
16 その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。
17 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。
18 「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」
ベレーシート
- ヘロデ王がイェシュアを捜し出して殺害を企んだことにより、その結果として二つのことが起こったとがマタイ2章13~18節に記されています。その一つは、イェシュアの家族がエジプトへ逃れなければならなかったこと。もう一つは、ベツレヘム近辺に住む二歳以下の男の子がひとり残らず殺されるという悲惨な出来事が起こったことです。こうした原因と結果は、決して偶然に起こったことではなく、いずれも神の深い計画のうちにあったことなのです。ですから、「預言者を通して・・・言われたことが成就するためであった(成就した)」と記されています。すべて起こった出来事の中に神の必然性があります。
- 結論を先に言うならば、この二つの出来事の中には、イェシュアがイスラエルの歴史を踏み直さなければならないという必然性があったのです。
- イェシュアを殺害するために、ヘロデ王は二歳以下の男子のすべてを殺したとあります。二歳以下というのは、東方の博士たちがイェシュアの誕生を知らせたという最初の星の出現の時から計算して割り出されました。イェシュアはこのとき少なくとも 1歳から2歳だったということになります。決して、イェシュアが誕生された頃ではありません。東方の博士たちがイェシュアに会うことができたのは、イェシュアがすでに立って歩くことのできた年頃です。聖書も「胎児、乳飲み子」を意味する「ブレフォス」βρεφοςという語彙(ルカ2:12, 16)ではなく、「幼子、子ども」を意味する「パイディオン」παιδίονという語彙が使われています(マタイ2:8以降)。
- イェシュアがやっと歩けるようになったとしても、エジプトへの逃避行は大変な旅であったことと思われます。すでに「この子は反対を受けるしるしとして定められている」と生後40日にエルサレムの神殿に詣でたとき老シメオンから聞かされていたとはいえ、そのことば通りだと両親は思ったことでしょう。「夢見るヨセフ」は御使いの指示に従い、即座に、家族とともにエジプトに逃れました。しかしその滞在期間は、イェシュアが少年になるほど長くはなかったようです。まだイェシュアが「幼児」(パイディオン)と呼ばれている頃に、彼らはイスラエルの地(ナザレ)に帰り、そこで「知恵と年かさ」を増していきました。イェシュアが「ナザレ」(ナザレはメシアの称号のひとつである「若枝」―「ネーツェル」と語根が同じ)で育ったということにおいても、実に深い意味が隠されていますが、それについてはここで扱うことはしないでおこうと思います。ただ、イェシュアの生涯のすべての事柄や出来事は、予め、神の緻密なご計画によって仕組まれ、啓示されています。偶然はないのです。その視点をいつも持ちながらイェシュアの生涯を見ていくときに、歴史の中にある隠されたかかわりが見えてきます。
- さて、今回の瞑想で最初に取り上げたいことは、なぜ「ラケル」が登場しているのかという疑問です。マタイは「預言者エレミヤが預言したことが成就した」と記していますが、エレミヤは何を預言したのでしょうか。それとラマとどのような関係があるのでしょう。ラマでいったい何が起こったのでしょう。ラマとラケルとの間にいったいどんなかかわりがあるというのでしょうか。それらを知るためには歴史的な背景を調べる必要があります。
1. 悲嘆にくれる神の民に希望を与えているエレミヤの預言
- マタイはエレミヤ記31章15節を引用して、「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」と記しています。
- ラケルはヤコブの最愛の妻です。だれの目にも美しく愛らしい女性であったようです。しかしその結婚生活は必ずしも幸せとは言えなかったようです。それは夫のヤコブにもう一人の妻(自分の姉レア)がいたからです。夫のヤコブはラケルを愛し、優しかったようですが、当時においての妻としての実力という点では、明らかに姉のレアの方が勝っていました。レアは多くの子(男子)を産んでいたからです。ラケルはその意味で立場は苦しかったのです。レアが6人の息子と1人の娘を産んだあとに、ラケルははじめて息子のヨセフを産んでいます。ヤコブにとっては11番目の子どもでした。ヨセフという名前は母ラケルが付けた名前です。その名前は「主がもうひとりの子を加えてくださるように」という意味で、願いを込めてつけられた名前です。ラケルの祈りは聞かれて、もうひとりの息子(ヤコブにとっては最後の息子となる)が生まれるのです。ところが、その息子の出産は大変な難産でした。子どもは無事に生まれましたが、ラケルはそのお産によって命を落としたのです。
- 祈りが聞かれて与えられた子が母の肌のぬくもりも顔も知ることなく生きて行かなければならないことを思ったとき、それだけでもラケルは胸が締めつけられる悲しみを覚えたに違いありません。それゆえラケルはその子を「ベン・オニ」(悲しみの子)と名付けたのです。ラケルの気持ちのすべてが、その子どもの名前に表されているのです。ところがヤコブは、縁起でもないと思ったのか、その子の名前を「ベニヤミン」(右の手)と改名してしまいました。しかしラケルの遺言はどこまでも「悲しみの子、ベン・オニ」なのです。生まれたばかりの子を残して悲嘆のうちにこの世を去らなければならなかったラケルの心の痛みを、だれよりも深く理解した人物がいました。この人物こそ預言者エレミヤなのです。ここにラケルとエレミヤとのつながりがあります。
- エレミヤはなんとベニヤミン(ベン・オニ)領にいた祭司の家系です。エレミヤの先祖にかつてダビデに仕えた有名な祭司アビヤタルがいます。しかし、ダビデの王位をめぐってアドニヤとソロモンとの抗争において、アビヤタルはアドニヤを支持したことで、彼の運命はそこから下降線をたどり、結局ベニヤミン領の寒村アナトテに追放されてしまいます。それから三百年後にその家系からエレミヤが預言者として神に召し出されたのです。そうした不遇な痛みのある家系の中に育ったエレミヤには、ラケルの痛みを共有できる感受性があったと思われます。
- そのエレミヤがすでにアッシリヤの支配によって滅ぼされた北イスラエル、そしてやがてバビロンによってユダ王国の首都エルサレムと神殿が崩壊し、多くの民たちがバビロンの地へ捕囚となる現実が近づきつつある頃に語ったのが、マタイに引用されたエレミヤ書31章15節のことばー「 【主】はこう仰せられる。『聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている。』」-でした。
- 「ラマ」という地名はエルサレムの北9kmにあるベニヤミン族の領地です。北イスラエルとユダの境界線に位置しています。この「ラマ」はやがてエルサレムの民が捕囚となっていくときの集合地となった場所です。ちなみに、エレミヤはバビロンに連行されかけますが、このラマで釈放されています(エレミヤ40:1)。バビロンの包囲によって経験したエルサレムの住民の想像を超えるような悲惨さは、「哀歌」が伝えているところです。まさに、「ラマ」は神の民が経験した想像を超えた悲しみの象徴的な場所なのです。すでにアッシリヤによって異教の地に捕え移されて消息が分からなくなった同胞たちの痛恨の声、それにやがてバビロンへと捕囚の運命にある同胞の痛恨の声に、死の床で生まれたばかりの子との離別を強いられた母ラケルの痛恨の声とが入り混じった声―その声をエレミヤは聞いたのです。まさに、「ラケル」は自分の子を失い、自分の国を失い、心の支えを喪失したすべての者の象徴的な存在なのです。
- しかし、エレミヤが語った31章15節のことばはそれだけで完結するものではありません。次節の16、17節が記されていることを見落としてはなりません。
【新改訳改訂第3版】 エレミヤ書31章16節~17節
16 【主】はこう仰せられる。「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。─【主】の御告げ─彼らは敵の国から帰って来る。
17 あなたの将来には望みがある。─【主】の御告げ─あなたの子らは自分の国に帰って来る。
- ここでエレミヤは、悲嘆にくれ、安易な慰めを拒んでいる同時代の同胞(霊的なラケル)に、目の涙を拭いて、希望を持って生きることを力強く語っているのです。イェシュアの出現によって殉教した幼子たちの死、そこにも多くの母ラケルがいたのです。そのラケルたち(母たち)の涙を拭くことのできる方は、エジプトからもう一度、イスラエルの歴史を踏み直してくださるイェシュアなのです。
2. イスラエルの歴史を踏み直すイェシュア
(1) 幼児虐殺の背景
- イェシュアが誕生した頃、ユダヤを治めていた支配者はヘロデ大王でした(マタイ2:1~22、ルカ1:5)。彼の治世はB.C.37~4ですから、イェシュアが誕生した時期はすでにその治世の終わりに近づいた頃でした。彼は治世第15年目にユダヤ人の関心を買うために神殿改築事業をしました。それは、労力も費用も、そして年月も惜しみなくかけた壮大な事業でした。その規模は他に類がなかったほどだと言われています。
- しかし一方ではローマに追従し、異教的なものを国内に盛んに持ち込んでは、信仰深いユダヤ人の反感を買っていました。ヘロデは神殿改築事業の他に、今も現存する高さ50mの人工の丘の上に建てた建造物ヘロディウム(右図)をベツレヘムの南東5kmのところに建てました。それが完成する頃には、彼の家庭では王位継承をめぐって陰惨かつ醜悪な様相を露呈する末期症状にありました。
- マタイの福音書2章に登場するヘロデ(大王)は10人の妻を持ち、15人の子を得ています。聖書に記されているヘロデの息子の名前は、ヘロデ大王の第3の妻の子の「ヘロデ・ピリポ」(マタイ14:3、マルコ6:17)、第4の妻の子の「ヘロデ・アンティパス」(マタイ14:1~12、マルコ6:14~28、ルカ3:1, 19)、第5の妻の子「ピリポ」(ルカ3:1)の三人だけです。そのような事情の下にあるヘロデ大王のところに、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東の方でその方の星を見たので、拝みにまいりました。」と東方の博士たちがやって来たのです。ヘロデと彼を取り巻く指導者たちの驚きはどれほどのものであったか、想像に難くありません。二歳以下の幼児の虐殺はこのような背景のもとになされたのです。
(2) 神の計画の中にあったエジプトへの逃避とそこからの呼び出し
- マタイの福音書2章15節によれば、ヘロデの迫害を免れるためにイェシュアの家族がエジプトに逃避したのは、神の計画であったことが分かります。「・・これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。』と言われた事が成就するためであった。」と記されているからです。
- これはホセア書11章1節にある預言です。そこにはこう記されています。「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。」(新改訳)と。これはモーセの時代の時です。イスラエルは神がエジプトから呼び出した自分の子として語られています。イスラエルに対する神の愛が、子に対する父の愛のように表わされています。神の子となるために呼び出されたのではなく、神の子であるゆえに呼び出されたのです。ところがホセア書11章2節以降では、子が父である神の愛に対して裏切ったことが記されているのです。それゆえに、「これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。』と言われた事が成就するためであった」とあるのは、もう一度、イスラエルに代わって神の子であるイェシュアをエジプトから呼び出し、イスラエルの失敗の歴史を踏み直させるという神の意図が隠されているからなのです。
- かつてヤコブの息子たちはカナンでの飢饉によってエジプトに逃れ、そこでイスラエルの民として成長します。しかし400年後、エジプトの王パロの圧制による苦しみを経験し、モーセを通してエジプトから脱出します。そのころのイスラエルはまだ神にとっては「幼子」のごとしだったのです。神とイスラエルの関係を父子関係に例えれば、出エジプト当時のイスラエルは「幼子」として表現されますが、それが夫婦関係で例えられる場合には「若き婚約時代の誠実な愛」の関係なのです(エレミヤ書2章2節)。
- ちなみに、岩波訳では「新婚」と訳しています。そのヘブル語では「ケルーロート」(כְּלוּלוֹת)という言葉です。旧約では「婚約」は結婚とほとんど同義だったため「新婚」と訳されてもいるのです。そのため、イェシュアがマリヤの胎にいたときはまだ婚約中でしたが、内実としてはほとんど「結婚」を意味していました。
- 神とイスラエルの関係も最初は新婚時代のような初々しい誠実な愛の従順な関係があったのです。しかしそうした愛を捨て去って、イスラエルは別の夫(偶像)を求めて神から離れてしまいました。それゆえ神は、本来、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」という真の目的を果たすために(満たすために、成就するために、完結させるために)、再度、神ご自身が遣わした幼子イェシュアを遣わすことによって、歴史を踏み直させる必然性があったのです。
最後に
- ところで、イスラエルの歴史とイエスの踏み直しの生涯(歴史)は「型」です。この「型」のオリジナルはアブラハムにすでに預言的に啓示されています。彼が飢饉によってエジプトに下りましたが、そこで神がパロを裁いたことで、アブラハムの一族郎党はエジプトの富を携えてエジプトを出、約束の地に戻って来ました。このような預言的啓示は、神の歴史において何度も繰り返され、最終的な成就を示唆しているのです。このような聖書解釈法をユダヤ的視点からの解釈法、すなわち「ミドゥラーシュ」(מִדְרָשׁ)と言います。
- ユダヤ的視点では、預言を予告としてではなく、パターンであると見なします。つまり未来に起ころうとすることを理解するためには、過去に起こった出来事を知る必要があります。しかも預言の成就は複数です。そしてその一連の成就は最終的な成就に関することを教えているのです。
2012.12.25
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