ステパノの殉教ーその栄光といのちの冠
「使徒の働き」を味わうの目次
10. ステパノの殉教ーその栄光といのちの冠
【聖書箇所】 7章1節~60節
ベレーシート
- 使徒の働き7章には、ステパノが「聖なる所(神殿)と律法に逆らうことばを語るのをやめない」ということでむりやり議会に連れて行かれて、議会で大祭司が「そのとおりか」と尋ねたことから語り出した弁明が記されています。ここには救済の歴史がきわめて明瞭にまとめられています。ステパノの弁明には救いの歴史のアウトラインが記されていますから、それを学ぶ恰好のテキストとして用いることができるほどです。
- 神の啓示の舞台は歴史に現われていますから、どうしても神のご計画を知るためにはイスラエルの歴史をしっかりと頭に入れる必要があります。そうでないと、聖書の流れがつかめません。
- ステパノが、単に教会の配給の奉仕の責任を担わされただけでなく、イスラエルの歴史を良く理解し、それをコンパクトにまとめて、自分のものとしていつでも人に語れるように備えていたことが重要です。アブラハムの召命から始まって、ソロモンの神殿建設、およびバビロン捕囚までの範囲に及ぶ歴史です。
- ステパノは神の歴史を学ぶ中で、神殿に対する考え方、律法に対する自分なりの考え方をしっかりと持って歩んでいました。それはステパノだけでなく、初代教会の信仰的スタンスでした。それが当時の指導者たち、つまり、神殿を重んじる大祭司や祭司長たちのサドカイ派の人々や律法を重んずる律法学者やパリサイ人たちの考え方と衝突する結果となったのです。
1. 大祭司の尋問に対する答え
- 尋問の要点は二つでした。ひとつは神殿を汚すようなことを語ったのかどうか、もうひとつは律法とその慣例を批判し変えようと教えたかどうかということでした。ステパノの弁明では、結論としては以下の通りです。
(1) 神は、人の手で造った家(神殿)には住まない
(2) 御使いによって定められた律法(モーセの律法)を、あなたがたは守ったことがない
- この結論は、議会にいた者たちを激怒させました。聖書には「はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした」とあります(7:54)。「煮え返る」は、直訳で「のこぎりでバラバラに引き切る」という意味です。新約聖書では使徒の5章33節とここの7章54節の二回のみ使われている語彙です。「怒り狂うさま」を表すことばです。議会におけるユダヤ当局の人たちが、自分たちの拠って立っている土台に対する挑戦でした。しかもステパノの言ったことばが正しかったために怒り心頭だったのです。
- その上、ステパノが「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」(7:56)と言ったので、彼らの怒りは頂点にまで達し、心を一つにして彼に殺到し、都の外に追い出して、次々と石を投げたのです。ステパノの死にざまは、実にイエスと似ています。完全にイエスの霊が彼を支配しているのを見ます。
2. 「冠」を意味する「ステパノ」という名前
- 名は実質を表すと言いますが、「ステパノ」という名前の意味は「冠」(Crown)です。彼の生きざまはまさに名前のとおりでした。最初の殉教者としてのステパノの最期は、まさに「冠」を与えられるにふさわしいものでした。
- 新約聖書には「冠」を意味する「ステファノス」στέφανοςという言葉が18回使われています。
(1) イエスの頭にかぶせられた「いばらの冠」(マタイ27:29/マルコ15:17/ヨハネ19:2, 5)
(2) 「朽ちない冠」(Ⅰコリント9:25)
(3) 「喜び、誇りとしての冠」(ピリピ4:1/Ⅰテサ2:19)
(4) 「義の冠」(Ⅱテモテ4:8)
(5) 「いのちの冠」(ヤコブ1:12/黙示2:10)
(6) 「しぼむことのない栄光の冠」(Ⅰペテロ5:4)
(7) 「金の冠」(黙示4:4, 10/9:7/14:14)
- こうした冠をいただける者とは、
(1) 死に至るまでに忠実な者
(2) 試練に耐え抜いて良しと認められた者
(3) 神を愛する者
2013.2.28
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