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ダマスコ、クシュ、エジプトへの審判と回復

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14. ダマスコ、クシュ、エジプトへの審判と回復

【聖書箇所】17章1節~19章25節

ベレーシート

  • 17章1節~19章25節には、三つの国に対する神の審判と回復の預言が記されていますが、かなり解釈の難しい箇所でもあります。しかし、いずれにしても。イザヤ2章2節で「終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。」とあります。「主の家の山」とはシオンの山であり、そこが世界の中心となって、世界中の国々から人々とが主を礼拝し、主のお教えを聞くために流れるようにして集まってくるのです。そうした「国々」の中に、今回触れる「ダマスコ」、「クシュ」(エチオピア)、「エジプト」の中の人々がいるのです。
  • 17~19章の中での鍵語は「その日」(新共同訳では「その日には」)です。「バッヨーム・ハフー」(בַּיּוֹם הַהוּא)というこの語彙は、神の歴史のマスタープランにおいて最終的な段階を示すものであり、神の主権性が究極的な形においてあかしされる時なのです。

1. ダマスコについての神のさばきと「残りの者」の思想

(1) ダマスコに対する神のさばき

  • 「ダマスコ」と言えば、使徒パウロが回心した場所であり、また、アラムの王の将軍ナウマンがいたところでもあります。この「ダマスコ」はアラム(シリヤ)の首都です。イザヤ7章に記されているように、アラムは北イスラエルと反アッシリヤ同盟を結び、それに加入しようとしなかった南ユダを攻めますが、結果的にはアッシリヤの王ティグラテ・ピレセル3世による侵略によってアラムの王レツィンは殺され、ダマスコは陥落して(B.C.732)、アッシリヤの属州となってしまいます。以後、ダマスコは地方都市のひとつとなり、勢力を張ることはなくなりました。
  • 12~13節にはアッシリヤが襲い掛かって来る様子が海の大波としてとして描かれています。

    【新改訳改訂第3版】イザヤ書17章12~13節
    12 ああ。多くの国々の民がざわめき──海のとどろきのように、ざわめいている。ああ、国民の騒ぎ──大水の騒ぐように、騒いでいる。
    13 国民は、大水が騒ぐように、騒いでいる。しかし、それをしかると、遠くへ逃げる。山の上で風に吹かれるもみがらのよう、つむじ風の前でうず巻くちりのように、彼らは吹き飛ばされる。

    【新改訳2017】イザヤ書17章12~13節
    12 ああ、多くの国々の民のざわめき。彼らは、のざわめきのようにざわめく。ああ、国民のどよめき。彼らは、激流のどよめきのようにどよめく。
    13 国民は、大水のどよめきのようにどよめく。しかしそれは、叱りつけると遠くへ逃げる。山の上で風に吹かれる籾殻のように、つむじ風の前でうず巻くちりのように、彼らは吹き飛ばされる。

    ※「多くの国々の民」ことを
    ①「海」(「ヤッミーム」יַמִּים)、
    ②「大水(激流)」(「マイム・カビーリーム」מַיִם כַּבִּירִים)、
    ③「大水」(「マイム・ラビーム」מַיִם רַבִּים)
    にたとえています。それらがアッシリヤによって「ざわめき」「騒いでいる」のです。これらの語彙は黙示録にも登場します(7:1,2,3、10:2,5,8、12:12, 18、13:1、18:21)。

(2) ダマスコに対する「その日」

  • ところがそんなダマスコの中から、「刈り入れ」の時に残されるほんのわずかな落穂のように、あるいはオリーブの収穫の時に打ち落とされずにかろうじて枝に残される「うれた実」のように、ほんの少しですが、「その日」、真の神を信じる者たちが残されることが預言されています。

    「その日、人は自分を造られた方に目を向け、その目はイスラエルの聖なる方を見、自分の手で造った祭壇には目を向けず、自分の指で造ったもの、・・を見もしない(17:7~8)。


2. クシュに対する神のさばきと救いの預言

  • 18章は難解です。クシュの国は「羽こおろぎの国」とたとえられています。それは「いなご」のことです。この国は、使いをすばやく、「背の高い、はだがなめらかな国民のところ」に、「あちこちで恐れられている民のところ」に、「多くの川の流れる国」に、「力の強い、踏みにじる国」に送りました。これらが示す国とは「エジプト」ことを指しています。
  • カナンの地の人々があごひげを伸ばすのに対して、エジプト人はひげを剃る習慣から「はだがなめらかな国民」と表現されています。またエジプトが「多くの川の流れる国」と称されるのは、ナイル川とその支流による水が豊かで肥沃な穀倉地帯であったからです。
  • なぜクシュがエジプトに早急に使者を送るのかと言えば、クシュはエジプトと同盟を結んで、自分たちを攻撃しようとする強国に対抗しようとしているからです。
  • しかし、4節を見るならば、神はそれを静観するだけで助けることはしません。6節によれば、クシュもエジプトもその強国によって侵略され、滅ぼされます。ところが不思議なことに、神のさばきを通過した後、つまり、7節で「そのとき」(「バーエーット・ハヒー」בָּעֵת הַהִיא)、エジプトの中から、「万軍の主のために」、「万軍の主の名のある所、シオンの山に、贈り物が運ばれて来る」と預言されています。この預言は未だ成就していません。しかしその預言が実現する時には、エジプトから神に立ち返る者が起こされ、主の主権が認められます。18章は次章の19章と合わせるとより理解できるようです。
  • 新約聖書の使徒の働き8章には、エルサレムに巡礼したエチオピア(クシュのこと)の宦官がイェシュアをメシアと信じてピリポから洗礼を受ける記事がありますが、この出来事はそうした神の約束の初穂なのかも知れません。

3. エジプトに対する神のさばきと救いの預言

  • イザヤ書19章で最も重要な箇所は4節にある「わたしは、エジプト人をきびしい主人の手に引き渡す。」、そして「力ある王が彼らを治める。」と預言されていることです。このことはなにを意味しているのでしょうか。エジプトがある強国(アッシリア)によって攻撃されるのです。そのために、エジプトの国の民は非常に狼狽し、内乱が起こります。「きびしい主人にの手に引き渡されて」、その支配下に置かれます。実は、それがエジプトに対する神のさばきなのです。
  • すでに18章3節に「角笛が吹き鳴らされる」ということばがあります。これは戦いの合図のラッパのことであり、ある強国がクシュとエジプトに戦いを仕掛けてくることを意味しています。その「ある強国」とはいったいどこの国なのでしょうか。しかも、この「ある強国」(アッシリア)が倒される時に、エジプト(クシュも含めて)やアッシリヤの民の中からも悔い改めて、真の神を求める者が起こされ、主に仕える「その日」が到来するのです。そのことを理解するには、ダニエル書11章40~45節にそのヒントがあります。

    【新改訳改訂第3版】ダニエル書11章40~45節
    40 終わりの時に南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。
    41 彼は麗しい国に攻め入り、多くの国々が倒れる。しかし、エドムとモアブ、またアモン人のおもだった人々は、彼の手から逃げる。
    42 彼は国々に手を伸ばし、エジプトの国ものがれることはない。
    43 彼は金銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が彼につき従う。
    44 しかし、東と北からの知らせが彼を脅かす。彼は、多くのものを絶滅しようとして、激しく怒って出て行く。
    45 彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。

  • 南の王であるエジプトと戦いを交える「ある強国」とは、「北の王」のことです。「北の王」はエジプトに侵入して、そのすべての宝物を手に入れますが、東と北からの知らせが来たので、彼は激しく怒りながらそこを出て、「海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る」のですが、「ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。」のです。「北の王」が天幕を張る場所は「海と聖なる麗しい山との間」です。「聖なる麗しい山」とは「エルサレム」しかありません。エルサレムの近くのメギドの山(ハルマゲドン)です。「北の王」とは、エゼキエル書38章によれば「ゴグ」のことだと推測されます。ゴグは大軍を率いてエジプトにも侵入しますが、東と北からの知らせが彼を脅かしたため、彼は激しく怒ってエジプトから退却し、さらに、メギドの平野まで退却を余儀なくされます。その場所で、ゴグの大軍は神の怒りによって滅ぼされるのです。
  • このことが成就するのは、キリストの再臨によってメシア王国(千年王国)がこの地上に成就するとき以外はあり得ません。反キリストの支配による大患難の終わりに、エジプトもアッシリヤも、反キリストを打ち滅ぼし、神の民イスラエルを反キリストの手から救い出したのを見て、神を恐れ敬う者に換えられるのです。
  • 最後に、イザヤ書19章16節以降にある「その日」についてまとめておきましょう。

    【新改訳改訂第3版】イザヤ書19章16~25節

    16 その日、エジプト人は、女のようになり、万軍の【主】が自分たちに向かって振り上げる御手を見て、恐れおののく。
    17 ユダの地はエジプトにとっては恐れとなる。これを思い出す者はみな、万軍の【主】がエジプトに対して計るはかりごとのためにおののく。
    18 その日、エジプトの国には、カナン語を話し、万軍の【主】に誓いを立てる五つの町が起こり、その一つは、イル・ハヘレスと言われる。
    19 その日、エジプトの国の真ん中に、【主】のために、一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには、【主】のために一つの石の柱が立てられ、
    20 それがエジプトの国で、万軍の【主】のしるしとなり、あかしとなる。彼らがしいたげられて【主】に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。
    21 そのようにして【主】はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は【主】を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、【主】に誓願を立ててこれを果たす。
    22 【主】はエジプト人を打ち、打って彼らをいやされる。彼らが【主】に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。
    23 その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。
    24 その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真ん中で祝福を受ける。
    25 万軍の【主】は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」

  • 黄色の部分は、神がエジプト、イスラエル、アッシリヤが全地の祝福となると約束しています(イザヤ19:23~25)。この地域の広さは、新しい天と新しい地が造られるとき、天から下される聖なる都である新しいエルサレムとほぼ同じ規模の大きさです。その聖なる都は正立方体で、その高さ、長さ、広さは12000スタディオン(2220キロ)で、その大きさは中東のナイル川からユーフラテス川に至っています。
  • 永遠の都を待ち望んでいたアブラハムに与えられた神の約束の地は、まさに「エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。」(創世記15:17~18)

    【新改訳改訂第3版】創世記15章17~18節
    17 さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。
    18 その日、【主】はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。

  • トム・ヘス著「エルサレムのために祈れ!」(マルコーシュ・パブリケーション、2008年、『補遺』265~289頁)を参照。


2014.8.23


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