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ノアの系図と息子ハムの呪い

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8. ノアの系図と息子ハムの呪い

【聖書箇所】創世記9章20節~11章9節

はじめに

  • 9章18節以降から、はじめてノアの三人の息子たちの名前が登場します。セム、ハム、ヤペテの順となっています。ところが、24節では「末の息子が自分にしたことを知って」カナンをのろっています。これをどのように理解すべきでしょうか。私は思うに、ノアの息子のハムを、22節でわざわざ「カナンの父ハム」と記されていることから、24節の「末の息子」という部分は、「カナンを末の息子にもつハム」のことを言っているように思います。「ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン」(10:6)とあるように、カナンは確かにハムの4番目の息子であり、末っ子だからです。
  • カナンはやがてイスラエルが約束の地に入って行くとき地に住む人々の先祖です。10:15~18では「カナンはシドン、ヘテ、エブス人、エモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人・・・を生んだ」とありますが、これらの民はやがてイスラエルによって聖絶の対象となります。なぜ、そのようになるのか。その根源となる出来事が9:20~27の出来事でした。
  • ノアは世界ではじめてぶどうの栽培に成功した人のようです。しかし、ノアはぶどう酒を飲み過ぎて失態を演じてしまいました。そのこと自体はノア自身の問題ですが、聖書はノアの失態そのものを問題にしていません。むしろ、ノアに関する限り、泥酔で裸になるという失態は責められるところがあるかも知れませんが、父の失態に対して彼の息子たちがどう対処したかが、ここでは問題とされているのです。

1.ハムの隠れた反逆が明らかにされた出来事

  • ノアの三人の息子のうち、ハムは父の醜態を見た時、彼はそのことを他の兄弟に告げ口し、暴露しました。ところが他の二人の息子、セムとヤペテは父の醜態を覆い隠すということをしました。この違いは一体なんなのでしょうか。
  • 人間には、自分の上に立つもの、権威を与えられている者が失敗したり、恥辱にさらされることを喜ぶ傾向があります。これは私たちが生まれ持っている肉の性質です。神によって立てられている権威を持つ者が失敗すれば、あるいは醜態をさらすならば、その弱みにつけ込んで、権威の覆いから自由になれると考えるのです。ノアの失態は、ハムの中にある肉の性質、つまり権威に対する「反逆の霊」があることを、かえって暴露する結果となったと言えます。
  • 他の二人の息子はどのように対処したかといえば、後ろ向きになって行き、父の醜態に顔を向けようとはしませんでした。そして上衣で父を覆いました。つまりノアの失態は、息子たちにとって権威に対するテストとなったのです。父ノアの権威は神の代理としての権威です。その権威に対して、だれが服従し、だれが反逆したかを明らかにする結果となりました。

2. ハムの子孫に対する呪い

  • ノアが酔から覚めたとき、ハムとその子孫は呪われ、ハムはその兄弟たちのしもべとなることが預言されました。これまでノアが口にしたことばはひとつもありませんでしたが、聖書ではじめて記されたノアのことばは、皮肉なことに、息子ハムとその子孫の呪いのことばでした。
  • 「カナンはのろわれよ。兄たちの、しもべのしもべとなるように」(創9:25)。まさにカナンの父ハムが、セムとヤぺテのしもべとなるようにとの宣告を受けたからこそ、権力ある者となろうとします。権力は神に背く心のかたくなさから生じた実です。
  • ハムの息子は4人です。10:6にはそれらの名前が記されていますが、末の息子であるカナンについては先に記しました。ここではハムの長子であるクシュの子孫に注目したいと思います。クシュの息子は、セバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカと続き、もうひとり未子の「ニムロデ」が生まれます。この人物こそ問題児です。ちなみに、「二ムロデ」(נִמְרֹד)の語源は「マーラド」(מָרַד)で、神に「反逆する」という意味です。
  • 「ニムロデは地上で最初の権力者となった」(10:8)とあります。9節には「彼は主の前に力ある狩人であった」とあります。ところで、「主の前に力ある狩人」とはどういうことでしょうか、主と力ある狩人がどのような関係にあるというのでしょうか。「彼は主の前にいる」という点に注視(留意)すべきです。
    へブル語では הוּא־הָיָה גִבֹּר־צַיִד לִפְנֵי יְהוָהとあります。それは、彼のすることがすべて主によって見られ、知られていると同時に、彼が主から離れたものであるということを意味しています。つまり、神こそが至高者であるということを表しているのです。また「力ある狩人」(「ゲボール・ツァヴィド」גִבֹּר־צַיִד)ですが、「狩人」であることが主とどのように関係があるのでしょうか。むしろ「強奪者、征服者」と訳すほうがより理解できます。強奪と征服という彼の行為が、主の御前で(「リフネー・アドナイ」לִפְנֵי יְהוָה)なされたことを意味しているのです。
  • ニムロデの王国は「シヌアルの地」(「シヌアル」は後のペルシア)にありました(10:10)。そのシヌアルの地を牙城として、彼は領土をどんどん広げて大きな町を建て、統治者として治めました。彼は後の二大強国であるアッシリヤ帝国とバビロン帝国の首都となる「ニネベ」と「バベル」の町を建てます。
画像の説明
  • なぜ「バベル」と呼ぶのか、その由来が11章の「バベルの塔」の話です。人々はシヌアルの地に移動し、そこに定着したとあります。そして彼らは互いに、「さあ、れんがを作ってよく焼こう」と言い、石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青(今日の「アスファルト」に匹敵すると言われています)を用いるというきわめて高度な技術をもっていたのです。
  • その彼らの特徴をよく表わしている言葉が、11章4節にある「さあ、われわれは町(都市)を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから」という言葉です。これは神に対する明らかな反逆の意志であり、自分たちの力によって自分たちを守り、自分たちの力を誇示して「名を上げる」というのです。「名を上げる」とは自分たちの存在を誇示することであり、神ぬきの世界を築くことを意味します。
  • そんな彼らの行為に対して、神は彼らが一つになることがないように、ことばを混乱させて、意思が通じないようにして、町(都市)を建てることができないようにしたのです。これが「バーヴェル」(בָּבֶל)で「バビロン」の由来となっています。主が全地の話しことばを混乱させ、そこから主が人々を地の全面に散らされたのです。「混乱する、乱す、混乱させる」という言葉は「バーラル」(בָּלַל)です。
  • 神に背を向けて歩んだカインの末裔は洪水によってすべて滅亡しましたが、神とともに歩もうとしたセツの系譜のハムから、カインと等しい者たちが台頭してきたのです。そうした流れの中に、セツからセムへ、そしてセムの子アルパクシャデ、アルパクシャデの子シェラフ、シェラフの子エベル(עֵבֶר)から、やがてヘブル人(עִבְרִי)アブラハムにつながっていく系譜が記されているのです。やがてその系譜から主イエス・キリストが誕生します。私たちは今やこのイエス・キリストとつながることにより、同じ系譜の中に招かれているのです。

創世記10章の諸国民の広がり

画像の説明

  • ノアの箱舟がとどまった場所はアララテ山で、現在のトルコです。後に使徒パウロが第一次伝道旅行で訪れたアジア地方でもあります。上の図を見ると、その地域からセム、ハム、ヤペテが分かれ出たことが見えます。ヤペテの子孫は主に北方(紫色)、ハムの子孫は南方(ピンク色)、セムの子孫は東方(緑色)ですが、ハムの子孫とセムの子孫とが重なっている地域があることが分かります。ハムの子孫のニムロデが支配したシヌアルの地はセム族の地域の中にあります。ニムロデはやがてアッシリヤ、バビロンという超大国の首都となるニネベやバベルの町を建てました。

「民族の起源について」は⇒こちらを参照


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