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ハヌカの祭りの歴史的背景(2) マカバイ記② (2章)

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4. ハヌカの祭りの歴史的背景(2) マカバイ書② (2章)

【聖書箇所】マカバイ記上 2章

ベレーシート

  • マカバイ記上の第2章は、アンティオコス4世・エピファネスの圧制に対して立ち上がった一人の人物がクローズアップされています。その人物の名は「マタティア」です。その名前は「主の賜物」という意味です。彼は「モデイン」という山村に住んでいました(エルサレムの西30㌔に位置します)。フランシスコ会訳では、彼が「エルサレムを立ち去ってモデインに居を定めた」(2:1)としています。彼はエルサレムで起こっていた数々の冒涜を目の当たりにして、嘆きつつ居を移したと考えられます。しかもモデインで彼は有力な指導者であったと記されています(2:17)。
  • ところがそのモデインである事件が起こったのです。その事件とは、一人のユダヤ人が王の命令に従って異教の祭壇にいけにえを献げようとしたとき、これを見たマタティアは義憤を覚えて駆け寄り、その男を切り殺して殺害したのです。また、王の役人の一人をも殺して祭壇を引き倒すという事件です。それから、約一年間ほどして、マタティアは戦いの一年後(B.C.146年)に死にます。そのあとの戦いは息子たちが引き継ぐことになりますが、その功績は第3章以降に記されています。

1. マタティアと5人の息子たち

  • ユダヤ人を強硬にヘレニズム化しようとするアンティオコス4世・エピファネスに傾く人々が多く起こって来る中で、マタティアと5人の息子たちはそれに同調しなかった者たちを代表する一家でした。マタティアの5人の息子たちの名前があだ名とともに年の順にあげられています。

(1) ガティと呼ばれるヨハネ
(2) タシとよばれるシモン
(3) マカバイと呼ばれるユダ
(4) アワランと呼ばれるエレアザル
(5) アフスと呼ばれるヨナタン


●フランシスコ会訳の注では、それぞれのあだ名を以下の意味としています。
(1)「ガティ」・・「幸いな者」
(2)「タシ」・・・「熱心な者」
(3)「マカバイ」・「主の選んだ者」、あるいは「金づち頭の者」
(4)「アワラン」・「目ざめた者」
(5)「アフス」・・「恵まれた者」


  • 箴言において、父が自分の子(あるいは、子たち)に対して「主を恐れること」を教えています。父親の存在(および母親の存在)は子どもたちに大きな影響を与えることが前提とされている家庭教育法が語られ、強調されています。マタティヤとその子どもたちはその良い模範と言えます。つまり、子どもたちが父親の生き方をしっかりと受け継いだところの実際的例証と言えるのです。
  • 父親の姿勢はユダヤ人たちがヘレニズム化されることに対して義憤を覚えつつ、嘆いた人です。その嘆きが7~14節に記されています。そして、王の役人たちの要求に対してはっきりとした態度でこう言い放ちました。「たとえ王の領土内に住む全民族が王に従い、各自その先祖の宗教を捨てて王の命令に服したとしても、このわたしと息子たち、同胞たちはわたしたちの先祖の契約を守って歩みます。律法と掟を捨てるなど、論外です。わたしたちの宗教を離れて右や左に行けという王の命令に、従うつもりはありません。」(2:19~22)。
  • この「律法への情熱」から事件が起こりました。かつてのピネハスがしたように、マタティアは「律法に情熱を燃やす者、契約を堅く守る者はわたしに続け」と言って、息子たちとともに家財一切を残したまま山に逃れました。
  • 同じく、王による災いを恐れて荒野に逃れた多くの者たちがいましたが、安息日に応戦することをしなかったために、その者たちの妻子も、家畜も、すべて殺される結果となりました。その犠牲者の数は一千人に及んだとあります(2:38)。しかし、マタティアととその息子たち、そして同志たちは、協議をして、安息日でも戦いに挑んでくるものがあれば、これと戦うと決めたのです。それに賛同する一群も加わることで、陣営は強化されました。彼らは、律法にしたがわない同胞を憤りをもって倒し、各地の異教の祭壇を引き倒し、国内にいた無割礼の子どもたちには力づくで割礼を施しながら、勝利への道を着々と手にしていったのです。

2. 父マタティアの訣別説教

  • 父マタティアの死期が近づいた時、彼が息子たちに語った訣別説教が光を放っています。「今は高慢とさげすみのはびこる、破滅と憤りの世だ。お前たちは律法に情熱を傾け、彼らの先祖の契約にいのちをかけよ。我らの先祖がそれぞれの時代になした業を思い起こせ。そうすればお前たちは、大いなる栄光と永遠の名を受け継ぐことになる」と言って、アブラハム、ヨセフ、ピネハス、ヨシュア、カレブ、ダビデ、エリヤ、「ハナンヤ、アザルヤ、ミヒャエル」(おそらく、シャデラク、メシャク、アビネデゴのこと)、そしてダニエルといった、信仰の勇者たちの名を挙げながら、マタティアは息子たちに言います。

61 それゆえ代々にわたって次のことを心に留めよ。神に希望をおく者は決して力を失うことはないと。
62 罪人の言葉を恐れてはならない。彼の栄光など塵あくたや蛆虫に変わってしまうだろう。
63 彼は、今日は有頂天になっているが、明日には影すら見えなくなる。元の塵に返り、そのはかりごとは消えうせる。
64 お前たちは、律法をよりどころとして雄々しく強くあれ。律法によってこそお前たちは栄誉を受けるのだ。
65 見よ、お前たちの兄弟シモンは知略にたけた男だ。いつも彼の言うことを聞け。シモンはお前たちの父となるであろう。
66 ユダ・マカバイは若年のころから剛の者である。彼を軍の指揮者として仰げ。彼は諸国民との戦いを戦い抜くであろう。
67 お前たちは、律法を実践する者全員を集め、民のために徹底的に復讐することを忘れるな。
68 異邦人たちには徹底的に仕返しし、律法の定めを固く守れ。」

  • マタティアの訣別説教で教えられることは三つあります。

第一に、拠り所がこわされたなら、何もできないということを確信していたことです。それゆえ息子たちに「律法をよりどころとして雄々しく強くあれ」と命じました。そして、神に希望をおくものは決して力を失うことはないと力強いを励ましを与えました。

第二は、人間の栄光とはかりごとは消え失せるということです。それゆえ、「罪人のことばを恐れてはならない」と命じました。事実、アンティオコス4世エビファネスの栄光とそのはかりごとは消え失せました。

第三は、息子たちの賜物(リーダーとしての資質)を見抜いていたことです。シモンは戦いの策士として、またユダは統率者としての資質を見抜いて、他の者はその二人に聞き従うように命じたのです。

  • このような訣別説教を語ることのできる父親はすばらしいです。まさに箴言における「父」の姿を彷彿とさせます。このような主にある家庭教育が建て上げられていく必要があります。これは日本のキリスト教会における緊急の今日的課題ではないかと思います。

3. 信仰の継承のあかし

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  • トーラーに情熱を傾けた祭司の一家、および、彼らに影響を受けて戦った者たちの働きによって、汚された神殿は奪回され、聖別されて再奉献されることになります。そのことを見た子どもたちは、ドレイデルという駒を作って遊ぶようになったという。その駒は四角錐の形をしており、その四面には四つのヘブル文字が書かれてあった。その四つの文字とは、「ヌーン」(נ)、「ギメル」(ג)、「ヘー」(ה)、「シン」(שׁ)で、これは、「ネース・ガードール・ハーヤー・シャーム」の四つからなる単語の頭文字です。意味は「大いなるしるしがそこにある」です。「しるし」の「ネース」は「旗」を意味し、その旗は神による勝利の旗という意味です。神による勝利は常に「奇蹟」を伴っていたので「ネース・ガード―ル」で「大いなる奇蹟」とも言われます。「そこに」とは律法(トーラー)の中にという意味です。
  • 子どもたちは、敵の兵士が近づくとトーラーを隠して、駒で遊んでいるように見せかけ、敵の兵士が去ると、またトーラーを出して学ぶことをしたそうです。実に賢い子どもたちです。滝廉太郎の「お正月」という歌があります。「もういくつ寝ると お正月 お正月には 凧あげて こまをまわして 遊びましょう はやく こいこい お正月」とありますが、いのちを賭けた戦いから生れたユダヤの子どもたちが考案した駒遊びを考えるなら、あまりのレベルの違いに驚かされます。この遊びは現代のユダヤにおいてもなされているようです。
  • 信仰の継承を目的とした当教会のミニストリーとして、「ヒナヤーヴ」(הניב)があります。これも「ヒンネー・ナハラット・アドナイ・バーニーム」(הִנֵּה נַחֲלַת יהוה בָּנִים)という詩篇127篇3節にある「見よ。子どもたちは神の賜物である」の四つの言葉の頭文字を取って作った言葉です。信仰の継承は難事業であると同時に、最重要課題です。「ヒナヤーヴ」のミニストリーにおいても、同じように駒を作って双六遊びを考案するような心意気を持ちたいところです。

2015.12.11


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