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バラムが語った託宣(1)

民数記の目次

20. バラムが語った託宣(1)

【聖書箇所】 22章1節~23章12節

はじめに

  • イスラエルの民がヨルダンのエリコを望む対岸のモアブの草原に宿営した頃(40年間に渡る荒野で生活もいよいよ終わりに近づいた頃)、モアブの王バラクはイスラエルの人に対して「恐れた」(22:3)、「恐怖をいだいた」(同)とあります。「恐れ」が二重に重ねられています。前者の「(非常に)恐れた」の原語は「グール」(גּוּר)で、本来「滞在する、住む」という意味ですが、ここでは「恐れた」という意味で使われています。後者の「恐怖をいだく」の原語は「クーツ」(קוּץ)で「ひどく嫌う、嫌がる、恐れる」の意です。民数記21章5節では「飽き飽きした」と訳されています。民数記22章3節では「恐怖をいだいた」(新改訳)、「恐怖に駆られた」(岩波訳)、「恐怖に打たれた」(バルバロ訳)、「恐れおののいた」(関根訳)と訳しています。
  • それもそのはず、イスラエルはすでにエモリ人の王シホンとバシャンの王オグに勝利し聖絶しているからです。バルクはまともに戦っては勝算がないと考え、有能な占い師によってイスラエルを呪ってもらうことを考えました。そこで矢面に立ったのが同族に当たるバラムです。

1. バラムを招聘しようとするバラク

  • モアブの王バラクは、同族の国であるユーフラテス河畔の町に住む預言者(というよりも占い師)のバラムを招こうとして使者を送り、イスラエルの民を呪ってほしいと頼みました。するとバラムは、「主が私に告げられることを答えましょう。」と応えます。神はバラムに言いました。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。またその民(イスラエルの民)を呪ってはならない。その民は祝福されているからだ。」という主の声を聞いたので、使いの者たちを帰しました。
  • バラクはバラムにイスラエルを呪ってもらうために使者を遣わしますが、簡単に断られてしまいました。ところがバラクは簡単には引き下がりません。より身分の高い者たちを遣わし、しかも厚遇の扱いで招聘しようとしたのです。
画像の説明
  • 厚遇の扱いはバラムの当初の判断を覆させ、翌日、遣いの者たちとともに出かけました。神の御旨を知りつつも、自分の栄誉と富を求めて行動したことで、その行く道の前を抜き身の剣をもった御使いが立ちははだかり、前進を阻止しました。自分の欲に目が眩むと、神の阻止さえ見えなくなるようです。バラムを乗せたろばは立ちはだかる御使いを見て、道から逸れたり、壁に身を押し付けたり、しゃがみ込んだりしますが、その都度バラムはろばを杖で三度も打ちました。バラムとろばのやりとりがあった後に、主の使いがバラムの前に立ちはだかり、神の道と反対の道を進もうとしているバラムを諌めました。
  • 使徒ペテロはこのバラムについて次のように評価しています。

    【新改訳改訂第3版】
    Ⅱペテロの手紙2章15~16節
    15 彼らは正しい道を捨ててさまよっています。
    不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。
    16 しかし、バラムは自分の罪をとがめられました。ものを言うことのないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂った振舞いをはばんだのです。

  • 動物が人間のことばを話すのは聖書の中では珍しいことで、この箇所はとても印象的です。ちなみに、創世記3章では蛇が女に語っています。
  • バラムの前に立ちはだかった「主の使い」は、やがてこの世に来られる御子ではなかったかと考える人たちがいます。その根拠は、同じく抜き身の剣を手にもってヨシュアの前に立った「ひとりの人」が自分を「主の軍の将である」と名乗ります(ヨシュア記5:13)。そしてヨシュアは「顔を地につけて伏し拝み」、「わが主」と言います。御使いが礼拝を受けることはありません。したがってここに登場する人とは御子のことではないかと考えるのです。創世記18章でもアブラハムから礼拝を受けている人がいます。1歴代誌21章16節ではダビデと長老たちから礼拝を受けている「主の使い」がいます。

2. 最初のバラムの託宣

  • バラクに招聘されたバラムは、神からの託宣を語る箇所が4回あります。その最初が23章7~10節です。

【新改訳改訂第3版】
7 ・・バラクは、アラムから、モアブの王は、東の山々から、私を連れて来た。「来て、私のためにヤコブをのろえ。来て、イスラエルに滅びを宣言せよ。」
8 神がのろわない者を、私がどうしてのろえようか。
【主】が滅びを宣言されない者に、私がどうして滅びを宣言できようか。
9 岩山の頂から私はこれを見、丘の上から私はこれを見つめる。
見よ。この民はひとり離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。
10 だれがヤコブのちりを数え、イスラエルのちりの群れを数ええようか。
私は正しい人が死ぬように死に、私の終わりが彼らと同じであるように。

※この託宣にはヘブル的なパラレリズム(同義的並行法)が多く使われています。

  • この第一回の託宣の中で強調されていることは、イスラエルという民の【特異性】です。「見よ。この民はひとり離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。」とは、他とは全く異なる民であること、特別に神に選ばれた民であるということを強く意識しているという意味です。しかしそれは彼らが他の国民よりも勝れていたからというのではありません。神の主権的な恵みによって召されたがゆえです。
  • パラムの第一回目の託宣は彼を招聘したバラクを失望させたことは言うまでもありません。次のバラクの言葉はそのことをよく表わしています。

    「あなたは私になんということをしたのですか。私の敵をのろってもらうためにあなたを連れて来たのに、今、あなたはただ祝福しただけです。」(23:11)

  • 第二回、第三回、第四回と主からの託宣がパラムの口から語られるたびに、イスラエルに対する祝福の度合いは増し加わっていきます。

2012.2.17


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