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パロとの交渉(2)

7. パロとの交渉(2)

【聖書箇所】 出エジプト記 7章8節~8章32節

はじめに

  • 7章8節から、モーセとアロンとがパロのもとに行き、本格的な交渉を開始します。

1. モーセの杖とアロンの杖との違い

  • モーセが羊を飼うために使っていた杖(「マッテー」מַטֵּה)が神によって特別な杖となりました(4:4)。同じ杖でもモーセの杖は特別に「神の杖」(4:20)と呼ばれています。神はこの杖の目的を次のように述べています。「これは、彼らの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたに現れたことを、彼らが信じるためである」と(4:5)。モーセはその杖を持ってミデヤンからエジプトへと向かいました。
  • それは神の権威を象徴する杖です。エジプトに災害をもたらすときに、「モーセが杖を天に向けて差し伸ばすと、主は雷と雹を送り、火が地に向かって走った。主はエジプトの国に雹を降らせた」(出9:23)とあります。これはエジプトの建国以来どこにもなかったほどの激しいものでした(同、9:24)。やがて、イスラエルの民がエジプトを出たあと、追ってくるエジプト軍と紅海に挟まれて絶体絶命の状況に陥った時にも、モーセがその杖を上に上げたとき、紅海は二つに分かれてイスラエルの民はそこを渡ることができました。またアマレクとの戦いにおいても、モーセがその杖を上げているときにはイスラエルは優勢であることができました。
  • しかし同じ「杖」でも、アロンの杖は、モーセと共に神から遣わされたことをあかしする機能限定、有効期限付きの杖です。

2. 「主を知るようになるため」の災害のはじまり

  • 聖書はエジプトが主を知るためにこれから10の災害が神によってもたらされます。今回の聖書箇所ではその最初の4つの災害が記されています。出エジプトの出来事は、これからのイスラエルの歴史において、繰り返してなされる神の救出の最初のものであり、以後のモデルとなるものです。出エジプトの型を理解して行く必要があります。

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3. 「わたしはパロの心をかたくなにする」とはどういうことか

ハーザク
  • 「かたくなにする」と訳された動詞「ハーザク」(חָזַק)は、「強める、強くする、(心を)かたくなにする、力づける、引き止める、とどめる」という意味があります。肯定的な意味では励ましとなる語彙ですが、ひとたび「心」(レーヴ)לֵבと結びつくと、否定的な意味に用いられます。特に、出エジプト記では「心をかたくなにする」という表現が目立ちます。
  • 主語が「パロ」であっても、「主」であっても、同じく「ハーザク」(חָזַק)という動詞が使われていますが、特に重要なことは、主語が「主」である場合には強意形ピエル態が使われ、またそれに対するパロの行為を表わす動詞もいくつかはピエル態が使われているということです。

(1) 主語が「パロの心」になっている箇所

7:13
「それでもパロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。」
7:22
「それで、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞こうとはしなかった。」
8:19(原文では8:15)
「しかしパロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。」
9:35
パロの心はかたくなになり、彼はイスラエル人を行かせなかった。」


(2) 主語が「主」になっている箇所

4:21
「しかし、わたしは彼の心をかたくなにする(ピエル態)。彼は民を去らせないであろう(ピエル態)。」
9:12
「しかし、主はパロの心をかたくなにされ(ピエル態)、彼はふたりの言うことを聞き入れなかった。主がモーセに言われた(ピエル態)とおりである。」
10:20
「しかし主がパロの心をかたくなにされた(ピエル態)ので、彼はイスラエル人を行かせなかった(ピエル態)。」
10:27
「しかし、主がパロの心をかたくなにされた(ピエル態)。パロは彼らを行かせようとはしなかった(去らせる(ピエル態)ことに同意しなかった)。」
11:10
「しかし主はパロの心をかたくなにされ(ピエル態)、パロはイスラエル人を自分の国から出て行かせなかった(ピエル態)。」
14:4
わたしはパロの心をかたくなにし(ピエル態)、彼が彼らのあとを追えば、パロとその全軍勢を通してわたしは栄光を現し、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」
14:8
主がエジプトの王パロの心をかたくなにされた(ピエル態)ので、パロはイスラエル人を追跡した。」
14:17~18
「見よ。わたしはエジプト人の心をかたくなにする(ピエル態)。・・わたしはパロとその全軍勢・・を通して、わたしの栄光を現そう。・・ わたしが栄光を現すとき、エジプトはわたしが主であることを知るのだ。」


  • 以上を見ると、主が先取的にパロの心をかたくなにされるので、パロの心はかたくなになっていることが分かります。その反対ではありません。主が先取的にパロの心をかたくなにされるのは、王とその全軍勢を通して主の栄光を現わすためであり、エジプトが(またイスラエルの民も)「主を知るようになる」ためなのです。この構図はイェシュア・ハマシーアッハ(イエス・キリスト)に対する当時の宗教指導者たちにも見られます。イェシュアはエルサレムにおいて、指導者たちから多くの苦しみを受け、捨てられ、殺され、三日目によみがえることが定められていたからです。やがてはキリスト再臨による御国到来前の反キリストによって、神の選民イスラエルの民が大患難を受けることも定まっています。それは神の栄光が現わされるための神の救いの構図なのです。
  • しかしそこには霊的な壮絶な戦い、すなわち、主がパロの拒絶に対する圧倒的な力をもってご自身の栄光を現わし、ご自身が主であることを示す戦いがなされたことが強意形ピエル態の存在によって知ることができるのです。
kaved
  • ちなみに、心のかたくなさを表わすもう一つの語彙があります。それは、「カーヴェードכָּבֵדです。出エジプトでの箇所としては、エジプトのパロ、およびその家臣たちに使われています。本来、この動詞は「尊ぶ、重くする」という意味で、名詞形は「栄光」を表わす「カーボート」כָּבוֹדです。つまりヘブル語の「栄光」とは重い事柄を意味するということです。神の栄光とは天と地において、最も重い事柄という意味になりますが、この「カーヴェード」(כָּבֵד)は「ハーザク」と同様、ひとたび人の「心」と結びつくと、「強情になる」、「心を頑迷にする」、「心を頑なにした」という否定的な意味合いとなります。出エジプト記では、8:15, 32/9:7, 34/10:1/14:4, 17で使われています。これらはいずれも神に対する高慢な重い心の態度であり、やがては神のさばきをもたらすことになります。

2011.12.6


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