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ボツラにおける主の復讐

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62. ボツラにおける主の復讐

【聖書箇所】63章1~19節

ベレーシート

  • イザヤ書63章1節に「エドムから来る者、ボツラから深紅の衣を着て来る者は、だれか。」とあります。なぜ「深紅の衣」なのか。それは再臨のメシアが「ボツラ」において反キリストの軍勢と戦ってふりかかった返り血によるものです。なぜ、メシアが戦ったのかといえば、それは神の民の救いのためです。
  • 「エドム」(אֱדוֹם)はエサウの子孫ですが、その語幹のדםは「血」を意味し、エドムの主要都市である「ボツラ」(בָּצְרָה)の背景にある語義「バーツァル」(בָּצַר)は「ぶどうを摘み取る」ことを意味します。そのぶどうを摘み取って、ぶどうの酒ぶねを踏むことで着物が赤くなることと、戦いで血のしたたりがふりかかることを重ね合わせています。ちなみに、「ボツラ」とはエドムの主要都市で、ギリシア語は「ぺトラ」です。ユダヤ人たちが反キリストの軍勢から逃れて隠れた地です。
  • イザヤ書63章1~6節は、イザヤ書34章5~6節、9節、およびヨハネの黙示録19章13~16節と呼応しています。

    【新改訳改訂第3版】イザヤ書63章1~6節
    1 「エドムから来る者、ボツラから深紅の衣を着て来るこの者は、だれか。その着物には威光があり、大いなる力をもって進んで来るこの者は。」「正義を語り、救うに力強い者、それがわたしだ。」
    2 「なぜ、あなたの着物は赤く、あなたの衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」
    3 「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。国々の民のうちに、わたしと事を共にする者はいなかった。わたしは怒って彼らを踏み、憤って彼らを踏みにじった。それで、彼らの血のしたたりが、わたしの衣にふりかかり、わたしの着物を、すっかり汚してしまった。
    4 わたしの心のうちに復讐の日があり、わたしの贖いの年が来たからだ。
    5 わたしは見回したが、だれも助ける者はなく、いぶかったが、だれもささえる者はいなかった。そこで、わたしの腕で救いをもたらし、わたしの憤りを、わたしのささえとした。
    6 わたしは、怒って国々の民を踏みつけ、憤って彼らを踏みつぶし、彼らの血のしたたりを地に流した。」


    【新改訳改訂第3版】イザヤ書34章5~6節
    5 天ではわたしの剣に血がしみ込んでいる。見よ。これがエドムの上に下り、わたしが聖絶すると定めた民の上に下るからだ。
    6 【主】の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。子羊ややぎの血と、雄羊の腎臓の脂肪で肥えている。【主】がボツラでいけにえをほふり、エドムの地で大虐殺をされるからだ。


    【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録19章13~16節
    13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
    14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
    15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
    16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。


1. キリストに再臨おける「ボツラ」の位置

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  • 神の終末におけるマスタープランの中でも、キリスト再臨時のピースを時系列に並べることは最も難しいところです。なぜなら、聖書はそのように並べて記してはいないからです。しかしさまざまなピースを整合性を持つように並べることは、神のマスタープランを理解することにもなるのです。その流れの中で「ボツラ」の出来事の位置づけをする必要があります。キリストの最終の地上再臨はオリーブ山ですが、それまで反キリストとの戦いのためにいくつかの場所で現われています。その場所として重要なのは、ハルマゲドンの戦いの舞台となるイズレエル平原、エルサレム、ボツラです。
  • 反キリストによる大患難期の終わり頃に、反キリストは神の民を破滅させるために、世界中からメギドの山の麓にあるイズレエル平原に軍隊を集結させます。そこはイスラエルの中でも最も広い平原です。そこで繰り広げられるのが「ハルマゲドンの戦い」です。しかもそこで戦われるのはキリストのみです。この戦いで反キリストの宗教的・政治的システムである「大バビロン」は決定的な打撃を受けます。
  • この後、反キリストの軍勢は南下しエルサレムの町を包囲して崩壊させますが、すでにユダヤ人たちはエドムの「ボツラ」に退避しています。そのボツラにおいてユダヤ人たちは「恵みと哀願の霊」が注がれ、悔い改めて、民族的な救いを経験します。ユダヤ人たちを根絶しようとエルサレムからボツラに進軍した反キリストの軍勢に復讐しているのがイザヤ書63章です。
  • 反キリストの軍勢は再びエルサレムに引き返しますが、エルサレムのヨシャパテの谷(幼児を神にささげるモレク礼拝をした場所であるケデロンの谷)で最終的な敗北を喫します。その時、彼らが流す血は「馬のくつわに届くほどになり、1600スタディオン(=約300km)に広が」るのです(ヨハネの黙示録14:20)。
  • その後、再臨のキリストは栄光の王としてエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立ちます。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができます(ゼカリヤ14:4)。これは大地震によるもので、これによってエルサムは世界で最も高い山となります。そこを中心にして、旧約の預言者たちが語ってきたメシアによる統治、千年王国が樹立します。おそらくそこに第四神殿も立つはずです。

2. 「まことに、あなたは私たちの父」という信仰告白

  • イザヤ書63章7節以降では、預言者が神の民の代表として神に感謝と信仰告白を述べています。その中でひときわ目立つのが、「まことに、あなたは私たちの父です。」(「キー・アッター・アーヴィーヌー」כִּי־אַתָּה אָבִינוּ)という告白です(16節に二回も)。
  • ユダヤ人たちは、反キリストの支配から逃れるためにエドムの地であるボツラに身を隠していましたが、そこで彼らは「恵みと哀願の霊」が注がれ、かつて自分たちが十字架にかけたイェシュアこそ神が遣わされた神の子メシアであることに霊の目が開かれるのです。そのことなしに、「まことに、あなたは私たちの父です。」という告白は生まれません。イェシュアがキリストであることを告白させる霊こそ、神の霊(御霊)の働きです。イェシュアの贖いによって、はじめてユダヤ人と異邦人は共通の霊の父の家に招かれるのです。

2014.12.5


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