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ヨセフのことを知らない新しいエジプトの王の恐れによる苦役


1. ヨセフのことを知らない新しいエジプトの王の恐れによる苦役

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【聖書箇所】 出エジプト記 1章

はじめに

  • 出エジプト記第一章は、出エジプト記の中心人物であるモーセが神からの召命を受けて、イスラエルの民をエジブトから救い出す80年ほど前までの背景について記しています。

1. おびただしく増え広がったイスラエルの民

  • ヨセフが生きていたときに、エジプトに移り住み、そこで寄留したヤコブの家族70人がやがておびただしい数のなっていきます。7節には「イスラエルの民は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた」とあります。この7節には5つの動詞があります。

    (1) 「多くの子を産む」を意味する「ファーラー」פָרָה
    (2) 「群がる」を意味する「シャーラツ」שָׁרַץ
    (3) 「増える」を意味する「ラーヴァー」רָבָה
    (4) 「強くなる」を意味する「アーツァム」עָצַם
    (5)  その結果、地は「満ちた」を意味する「マーレー」מָלֵא

  • 神が天と地を創造されたおりに、またノアの洪水によってリセットされた後に、生きものたちを、および人間を祝福して「生めよ、ふえよ。・・満ちよ(満たせ)」と仰せられましたが、その「生めよ、ふえよ・・満ちよ」が、「ファーラー」פָרָה、「ラーヴァー」רָבָה、「マーレー」מָלֵאの命令形です。岩波訳はこれら動詞のたたみかける様子を次のように訳しています。「イスラエルの子らは、多く産んで、ひしめき、増えて、非常に強大になり、(ついに)その地は彼らで満ちた。」と。
  • アブラハム、イサク、ヤコブに対しても、神は「わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやす」と約束されました(創世記17:6/26:24/28:14)。そしてヤコブがエジプトで滞在した17年の間にも、「多くの子を産み、非常にふえた」と記述されています。ヤコブの子孫がエジプトでの寄留地で数を増したのは、それは神が彼らを祝福されたからでした。ちなみに、詩篇105:24にも「ヤコブはハムの地に寄留した。主はその民を大いにふやし(פָרָה)、彼らの敵よりも強くされた(עָצַם)。」と記されていますが、それは彼らをやがてご自身の民とするためであったのです。つまり、神の王国(キングダム)の建設です。

2. エジプト王(ファラオ)の恐れ

  • ヘブル人がおびただしく増加することに対して、「ヨセフを知らない新しいエジプトの王」は恐れました。なぜなら、ヘブル人が増えることがエジプトにおいては大きな社会問題、人種問題となりつつあったからです。脚注1
  • ヘブル人の存在がエジプトの脅威となったのです。もし戦いが起こり、敵に彼らがついたとすれば自分たちはやがて牛耳られてしまうかもしれないという恐れのゆえに、ファラオはこれ以上にヘブル人たちがふえないための二つの策略を練りました。

    (1) 苦役を与えること

    • 倉庫を建造させ、その過酷な重労働によって奴隷化させようとしました。

    (2) 生まれたぱかりの男の子を殺すこと

    • また、ヘブル人(脚注2)の助産婦たちに命じて、生まれてくる段階で男の子を殺害しようとしました。しかもそれは「過酷を極めた」(新共同訳)とあります。

  • しかしエジプトの王の計らいは成功しませんでした。虐待されればされるほど、彼らは増え広がっていったからです。

3. 神を恐れる助産婦たちの勇気ある行動

  • 神の計らいが実現していく背景に、神を恐れる助産婦たちの存在がいたことを聖書は明確に記しています。1章にはなんと9回(7回は名詞、2回は動詞)も登場します。「助産婦」は「産む、生む」という動詞「ヤーラド」יָלָדの名詞形です(15, 17, 18, 19, 19, 20, 21)。この動詞が強意形のピエール態で使われると、「産むことを助ける、産婆として助ける」という意味になります。
  • 二人の助産婦の名前は「シフラー」שִׁפְרָהと「プアー」פּוּעָה。この二人の名前が記されているというのは、おそらく、彼女たちがエジプト王の命令に背いてでも、神を恐れて男の子を殺さなかったことが高く評価されているからだと思います。王に問い詰められたとときにも、「ヘブル人の女はエジプトの女とは違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでいまうのです」と機知に富んだことを述べています。しかし、これはある意味で「いのちを賭けた行為」であり、神はこのことのゆえに彼女たちを大いに祝福しています。ヘブル人のすべての助産婦がこの二人と同様にしたのではなかったのかも知れません。
  • エジプトの男児殺害計画はいつまで続いたのかは記されておりませんが、過酷な重労働はこのあとも、つまり少なくとも80年は続いていくのです。エジプトの王の命令にも決してひるまなかった二人の助産婦の存在は、この世にあって寄留する神の民にとっての大きな励しです。イスラエルの民をエジプトから救い出すために用いられたモーセの誕生は、こうした神を恐れる助産婦たちのいのちを賭けた行動によるところがきわめて大きかったと言えるのではないかと思います。

脚注1
「ヨセフのことを知らない新しい王(ファラオ)」(1章8節)とは?

① エジプト人は非常に早くから自国の歴史を書き残しており、第一王朝から第三十王朝に至る各王朝の歴史の王の名前を一人も抜かさずにたどっていくことができます。しかもその間の様々な出来事を記されています。ところが、紀元前1770年頃から1580年頃の期間については、記録の面から言えば、まことに空白の時代なのです。この期間は北方から「ヒクソス」(外国の支配者)が侵入し、エジプト北部を占領し、南部はエジプトが支配する時代が第十四王朝まで続きました。その後、15、16王朝になるとヒクソスの統一支配によってエジプトは王座を奪われてしまいます。17王朝で再び南がエジプト人の王の手に戻され、18王朝に至ってようやくエジプト全土を奪い返して、ヒクソスを追い出すことに成功したのです。

②「ヒクソス」はセム系の民族で、イスラエルとはいわば同系統の混成集団であったようです。創世記のヨセフ物語に登場するパロはこのヒクソスの王であったと考えられます。親戚関係の民族であったゆえに、ヤコブ一族のエジプト移住も優遇されたと言えます。ところが「ヨセフの知らない新しい王」がヒクソスを追放して国を奪回したエジプト人の王朝であるとすれば、イスラエル民族に対する酷使、虐待政策はよく理解できます。

脚注2
「ヘブル人」と「イスラエルの民」という呼び方について

「ヘブル人」と「イスラエルの民」という呼び方について、ヘブライ文学博士の手島佑郎(てしまゆうろう)氏は次のように説明しています。
「エジプト人との対応の場面ではヘブル人と呼び、自分たちの身内同士で呼ぶときはイスラエルの民と、両方の呼び方が使い分けられている」(「混迷を超えるプロジェクト『出エジプト記』」12頁、1992、ぎょうせい出版)。


2011.11.25


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