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主の再臨を信じて耐え忍ぶ

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8. 主の再臨を信じて耐え忍ぶ

【聖書箇所】5章5~11節

ベレーシート

  • 野球、テニス、バレーボール。そこに共通しているのは何かと質問されて、あなたは何と答えるでしょうか。答えは、「玉拾い」です。これは「ふるい」としての役目をもっています。これによってその人がどんなに辛くてもやり通すことができるかどうかがテストされます。これは入団の通過儀礼のようなもので、それに耐えて、そこを乗り越えてはじめてレギュラーとされていきます。キリスト者もある意味ではこれと同じ経験を通させられます。というのは、キリスト者もある一つの共通の目標(神のご計画における結末)に向かって生きていきます。その目標とは、神と人とが永遠に共に住むという「完全な救い」です。
  • イェシュアが七十人の弟子たちを伝道に遣わしました。その弟子たちが働きを終えて喜んで帰って来て、こう報告しました。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」と(ルカ10:17)。ところが、イェシュアは「悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と(同、20節)。ここでイェシュアが言おうとしたことは、一時的な成功、一時的な目標の達成をすることよりも、最終的な永遠の成功を手にすることを忘れてはならないことを教えています。しかも、その永遠の成功を手にするのはイェシュアがこの地上に再び来られる時です。そしてこの永遠の救いを手にする上で必要なことは、「忍耐」「耐え忍ぶこと」なのです。

【新改訳2017】ヤコブの手紙5章7~11節
7 ですから、兄弟たち。主が来られる時(=再臨)まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初め(秋)の雨や後(春)の雨が降るまで耐え忍んで待っています。
8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時(=再臨)が近づいているからです。
9 兄弟たち。さばかれることがないように、互いに文句を言い合うのはやめなさい。見なさい。さばきを行う方が戸口のところに立っておられます。
10 兄弟たち。苦難と忍耐については、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。
11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。


1. 忍耐の必要性の理由

  • 聖書は至るところで「忍耐すること」「耐え忍ぶこと」「耐え抜くこと」の大切さを教えています。以下、すべて【新改訳2017】からの引用です。

①「また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」(マタイ10:22,24:13)
②「あなたがたは、忍耐することによって自分のいのちを勝ち取りなさい。」(ルカ21:19)
③「忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと朽ちないものを求める者には、永遠のいのちを与え、」(ローマ2:7)
④「耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる。キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。」(Ⅱテモテ2:12 )
⑤「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。」(ヘブル10:36)
⑥「訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。」 (ヘブル12:7)
⑦「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1:12)
⑧「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。」(ヤコブ 1:4)

  • このように、スポーツクラブに入らずとも、信仰の世界においても「忍耐すること」「耐え忍ぶこと」はとても重要なのです。聖書が教える「忍耐」とは、ただ単に「じっと我慢の子であった」式の受身的な我慢ではありません。またただすべてをあきらめて、受け入れるということでもありません。日本の有名な伝道者(羽鳥明氏)は、「一言でいうなら、永遠に価値あるものを勇敢に勝ち取る心、これが忍耐だ」と述べています。初代教会において、キリスト教徒に対する迫害が始まり、その苦しみゆえに多くの者が背教するという現実がありました。イェシュアが天に帰られてから、50年程経った頃、再臨の待望が薄れて来ていました。ですから、新約聖書の各巻には必ずキリストの再臨についての記述が見られるのです。ヤコブの手紙も当然です。
  • ではヤコブの手紙のどの箇所にキリストの再臨について記されているでしょうか。それは今回の聖書のテキストです(5:1~11)。キリストの再臨はキリスト教のきわめて重要な教えです。この出来事なしに神のご計画は完成実現しません。聖書は決して現世的な処世術を教えている本ではありません。人が認めようと認めまいと、聖書はキリストが再びこの地上に戻ってくると約束しています。ある聖書学者は、「新約聖書にはキリストの再臨について関連する箇所が、3節に1節の割合で書かれている」と指摘しています。それほどの明確な神の約束なのです。

2. 忍耐をもって生き抜いた人の模範から学べ

  • ヤコブの手紙5章7~11節に、三つの面から「忍耐を持って生き抜く人たちに学ぶべきこと」を記しています。

(1) 農夫の模範から学べ(7~8節)

  • 「見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。」とあります。
  • 種を植え、一夜明けて収穫というわけにはいきません。自分の力で天候も雨量も日射量も加減することはできません。しかし確実な収穫を期待しながら待っている農夫に学ぶべきことを教えています。すべてに時があります。

【新改訳2017】伝道者の書3章1~2節
1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。

  • 現代の風潮は「待つことをしない時代」です。都市は眠ることのない町です。コンビニエンスストアは朝、昼、夜も開いています。1~3分ほど待てばすぐに食べられるインスタント食品、家に居ながらにして世界中の情報を手に入れられるインターネット網、野菜も工場で科学的な力により10倍以上の速さで収され、市場に出回ります。土も太陽もなしで、しかし毎日収穫できるという、そんな時代に今私たちは生きているのです。しかし、何が重要なことかを知るにはきわめて疎い時代なのです。

【新改訳2017】Ⅱペテロ3:3~4, 8~17節
3 まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、
4 こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」
8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。
11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
12 そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
13 しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
14 ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。
15 また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。愛する、私たちの兄弟パウロも、自分に与えられた知恵にしたがって、あなたがたに書き送ったとおりです。
16 その手紙でパウロは、ほかのすべての手紙でもしているように、このことについて語っています。その中には理解しにくいところがあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます。
17 ですから、愛する者たち。あなたがたは前もって分かっているのですから、不道徳な者たちの惑わしに誘い込まれて、自分自身の堅実さを失わないよう、よく気をつけなさい。

(2) 預言者たちの模範から学べ

  • 10節に「兄弟たち。苦難と忍耐については、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。」とあります。「預言者」とは、神によって立てられ、神から遣わされた者のことです。彼らは神のことばをそのまま語ります。それゆえ、神に反逆する者は彼らを迫害しました。人々のために立てられながらも、人々から迫害されるという割の合わない使命。そんな預言者から見倣えとヤコブは語っています。
  • ヤコブは使徒となったパウロの書いた手紙を読んでいたようですが、そのパウロがこう言っています。「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです」(ピリピ1:29)。私たちのなすすべてのことは神によって覚えられています。主にあってなす私たちの労苦は決して無駄ではありません。ですから、あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはなりません。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたに「いのちの冠」を与えようと約束されています。
  • パウロは自分が世を去る時がすでに来たことを悟った時、こう言いました。「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日(キリストの再臨)には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」と愛弟子テモテに宛てた手紙に記しています。これこそ、成熟した者の姿です。パウロは自分が死んだのちどこへ行くのかを知っていましたし、そこで何が用意されていたかも知っていました。それゆえ、自分に与えられた「走るべき道のり」を走り続けることができたのです。「行く先の 知らぬ旅路の 衣替え」ではなく、「行く先の、確かな旅路、衣替え」と歌わなければなりません。

(3) ヨブの忍耐の模範から学べ

  • ヨブの忍耐とは何でしょうか。それはこの世の不条理に対する忍耐です。不条理と思われるような中にあっても神を信頼し続ける忍耐。それによってヨブは何を得たのでしょうか。そこに私たちが模範とすべきことがあるのです。
  • ヨブという人は「潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた」とあります。神もヨブのような者はひとりも地上にいないと評価しています。多くの子どもと財産にも恵まれた人、それがヨブでした。ところが、ヨブの知らない天上において、神とサタンとの取引がありました。サタンは「もしヨブのすべての持ち物(財産)が失われたとしたら、必ずや神を呪うに違いない」と言います。神はヨブのいのちにはふれないという条件で、ヨブに対する試練を許可しました。サタンは試みを開始しました。

試練① ヨブ:「私は裸で母の胎から出てきたのだから、また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名は、ほむべきかな。」と受けとめました。
試練② ヨブの友人「こんな禍に会うのは、あなたがきっと何か悪いことをした結果だ。神が正しい者をこんな目に会わせるはずがない。」―これがヨブを苦しめることになります。

  • 神のなさることは私たちの思いや考えを超えていることがしばしばです。それは一見、矛盾しているように見えたり、説明がつかない非合理的なことであったりします。例えば、詩篇37篇や73篇に見られるように、「悪者が栄えるという現実」の中で、神が生きているのかいないのか、妬みもからんで苦しむ姿があります。しかし、神の視点から彼らの最後を見ることができるなら、知ることができるなら、たとえ現実の矛盾した事柄の中でも耐えることができるのです。
  • ヨブ記の結末は、ヨブ自身が自分は何も知らない者であることを悟った時、つまりこの世の矛盾や不合理をあるがままに受け入れたとき、ヨブは神からの祝福を受けたという事実です。彼が「二倍の祝福」を受けたことを心に留めたいと思います。

〔文法情報〕
【新改訳2017】ヤコブの手紙5章7~11節
7 ですから、兄弟たち。主が来られる時(=「再臨」「パルーシア」παρουσία)まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。
8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時(「再臨」「パルーシア」παρουσία)が近づいているからです。
9 兄弟たち。さばかれることがないように、互いに文句を言い合うのはやめなさい。見なさい。さばきを行う方が戸口のところに立っておられます。
10 兄弟たち。苦難と忍耐については、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。
11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。


(1) 7, 8節の「耐え忍びなさい」(アオリスト命令形)・・・期待しながら耐え忍ぶ。7, 8節の「耐え忍ぶ」と訳された「マクロスメオー」(μακροθυμέω)。ヘブル語は「ヤーハル」(יָחַל)。
(2) 8節「心を強くしなさい。」(アオリスト命令形)
「心を強める」と訳された「ステーリゾー」(στηρίζω)
(3) 9節「文句を言い合うのはやめなさい。」(現在命令形)-第3版「互いにつぶやきあってはいけません」
(4) 10節「(模範に)しなさい(λαμβάνω)」(アオリスト命令形)―「模範」という動作を表わす名詞と共に用いて「~をする」となる。
(5) テキストにある二つの完了形
①8節「近づいている」
②10節「立っておられる」


2018.1.4


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