****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

塚本虎二著「主の祈りの研究」初版の序文から

主の祈りの瞑想

塚本虎二の「主の祈りの研究」の初版序からの抜粋


  • 基督教の何であるかを簡単に知ろうとするならば、その祈りを研究するのが第一である。それは多分キリスト教に関する如何なるものを研究するよりも、基督教を知る近道であろう。幸い基督教には、主イエス・キリスト自身から、信者の祈りの典型として与えられた祈りがある。これがいわゆる「主の祈り」である。極めて単純平明な、ギリシャ原語わずか57語からなる小さないのりである。日曜学校の幼い生徒も自由に暗唱することができる。しかしこの簡単な祈りの中に基督教の全体が集約され、その一語一語、一句一句のうちに宇宙大の秘義と無限の思想とが秘蔵されている。実に主の祈りは、ある哲学者の言うように、「イエスに関する・・最大価値ある財産」である。
  • 「主の祈り」はこのように基督教の「最大価値ある財産」であり、また極めて単純平明であるむにもかかわらず、不思議にもその真の意味が了解されない。殊に永年教会生活をしているクリスチャンまでもが、この祈りの何であるかを知らないことは驚くべき事実である。すなわち今日の教会も信者もこの祈りをただ形式的にとなえるだけで、これがクリスチャンの祈りの典型であり、理想であり、その中に基督教教の奥義が全部秘蔵されていることを知らない。宗教改革者マルチン・ルーテルはかつて主の祈りを「最大の殉教者」と言った。この祈りの本来の意味が忘れられて、ただ徒に形式的に繰り返されることを言ったものであろう。
  • 著者もまたルーテルと共に、教会的形式主義の捕囚となったこの「最大の殉教者」のために義憤を感ずる者である。この小著も・・この「殉教者」のために聖十字軍を起そうとするに過ぎない。もし神の恩寵によって、すこしでもこの光栄ある職責を果たし得るならば、著者の感謝の杯は泡だち溢れるであろう。

    昭和4年(1929)3月22日


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