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幸いなのは、あわれみ深い人々

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11. 幸いなのは、あわれみ深い人々

ベレーシート

  • 「幸いな人」の第五は「あわれみ深い人々」(5:7)です。原文を見てみましょう。

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この原文のヘブル語版を見てみましょう。

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1. 語彙の整理

  • 八つの幸いな者たちの後半は、「あわれみ深い者たち」から始まります。「あわれみ深い」を意味するギリシア語は形容詞の「エレエーモーン」(ἐλεήμων)です。その複数形は「エレエーモネス」(ἐλεήμονες)。動詞の「エレエオー」(ἐλεἐω)は、新約聖書で29回。共観福音書ではマタイが7回、マルコが3回、ルカは4回です。興味深いことに、共観福音書で共通しているのは盲人の「ダビデの子よ。あわれんでください」という嘆願です。イェシュアは盲人の目を開眼しています。ちなみに、ヨハネの福音書にはこの動詞は使われていません。
  • 形容詞の「エレエーモーン」(ἐλεήμων)のギリシア語をヘブル語に戻すと「ラフーム」(רַחוּם)です。その複数形は「ラハマーニーム」(רַחֲמָנִים)。これが名詞になると男性形では「レヘム」(רֶחֶם)、女性形では「ラフマー」(רַחְמָה)です。語源となっている動詞は「ラーハム」(רָחַם)。初発箇所は出エジプト記33章19節です。

【新改訳改訂第3版】出エジプト記33章19節
主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、【主】の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」


※「恵む」は「ナーハン」(נָחַן)、「あわれむ」は「ラーハム」(רָחַם)が使われています。


2. 「あわれみ」は神の重要な属性の一つ

【新改訳改訂第3版】出エジプト記34章6節
【主】は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「【主】、【主】は、あわれみ深く(רַחוּם)、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、」


  • 「ラーハム」の名詞「レヘム」(רֶחֶם)、および「ラハミーム」(רַחֲמִים)は、胎、子宮、同情を意味します。子宮や胎はからだの中で唯一他者のために存在する器官です。そこからどんな相手であっても自分の内の深くに受け入れる、抱き続けるという意味になるだけでなく、自分の血と肉、いのちまでも分け与えることさえ意味します。
  • 「エレエオー」(ἐλεἐω)の類義語に「かわいそうに思う、深くあわれむ」を意味する「スプランクニゾマイ」(σπλαγχνίζομαι)があります。新約では12回、そのうちマタイは5回の頻度です(9:36/14:14/15:32/18:27/20:34)。この語彙が登場した後には、必ず具体的な行為が発動されています。この語彙をヘブル語換言すると「ラフマー」(רַחְמָה)の複数形「ラハミーム」(רַחֲמִים)に満たされた(נִתְמַלֵּא)状態となります。
  • この「あわれみ深さ」は、不幸な人や弱者に対して心を動かされることを意味すると同時に、罪の赦しの大きさと結びついています。例えば、マタイ18章でたとえ話に「一万タラントの借金を免除された人」が登場します。しかし彼は百タラント貸していた仲間の者を捕まえて、借金を返すまで牢に投げ入れました。そのことに対するさばきが、以下のように記されています。

【新改訳改訂第3版】マタイの福音書18章32~33節
32 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。
33 私がおまえをあわれんでやった(ἐλεἐω)ように、おまえも仲間をあわれんでやる(ἐλεἐω)べきではないか。』


※ここでの「あわれむ」のヘブル語は「ラーハム」(רָחַם)です。


3. 終末における「定めの時」に現わされる「あわれみ」

  • 主のあわれみは、御国の福音の終末における「定めの時」においても重要な概念です。

【新改訳改訂第3版】詩篇102篇12~14節
12 しかし、【主】よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御名は代々に及びます。
13 あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます(רָחַם)。今やいつくしみ(חָנַן)の時です。定めの時(「モ―エード」מוֹעֵד)が来たからです。
14 まことに、あなたのしもべはシオンの石を愛し(רָצָה)、シオンのちりをいつくしみます(「慕います」חָנַן)。


  • イェシュアは「あわれみ深い者たち」は、やがて「あわれみを受ける」と約束されました。ここでの「受ける」は未来形の受動態です。つまり、御国が完成する時に神からの「あわれみ」を受けることが約束されています。
  • 「主の祈り」の中に以下の祈りがあります。

    【新改訳改訂第3版】マタイの福音書6章12節
    私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

  • 上記の祈りは、マタイ5章7節にある主の約束を背景にしたものと言えないでしょうか。他者に対する「あわれみ」の心は、私たちが神からどれほどの赦しが与えられたかを計るバロメーターでもあります。私たちは、他者に対して、あわれみの心を出し惜しみしていないかどうかを今一度探ってみる必要があります。

2017.3.5


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