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詩14篇「(上から)見おろす」 שָׁקַף シャーカフ

〔カテゴリー愛顧〕  

2節「主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。」

Keyword; 「見おろす、見渡す」 look down, 14:2/53:2/85:11/102:19

  • 神が天から「見おろす」と訳されたシャーカフ(שָׁקַף)は、旧約で22回、詩篇では4回使われています。日本語で、高いところから「見おろす」というイメージは、決して良いものではなく、傲慢さを感じさせます。事実、聖書でもダビデの最初の妻となったミカル(サウル王の娘)は、ダビデが契約の箱をシオンに運び上ろうとしたとき、ダビデが主の前ではねたり、踊ったりしている姿を窓から見おろして、心の中で彼をさげすんだとあります(Ⅰ サムエル6:16)。しかし、神が天から私たちを「見おろす」ときには、人に対する真摯な心をもって目を注いでおられるというイメージの言葉です。私たち人間は神を「見上げます」が、神は天から私たちを「見おろし」、愛のまなざしを注いでくださっているのです。この呼応的なかかわりこそ重要です。
  • この詩14篇では、神の「見おろし」が「神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になる」ためのものでしたが、そこにあったのは神の心を痛めるような地的現実でした。「善を行う者はいない、ひとりもいない」、これが神の人に対する評価でした。神を信じ、神のみこころを行う者はいないという現実に、おそらく神は深く心を痛められたに違いありません。また、預言者エレミヤがエルサレム陥落、捕囚、亡国の憂き目にあった神の民に対して語ったことばー「私の目は絶えず涙を流してやむことなく、主が天から見おろして顧みてくださるまで続く。」(哀歌3:50)とのことばは、神があわれみをもって、再び天から見おろして顧みてくださることを信じ希望を抱いています。まさに、神の「見おろし」は、栄光と誉の冠を与えられた人間に対する愛のまなざしなのです。
  • 詩102篇19節には「主はその聖なるいと高き所から見おろし(שָׁקַף)、天から地の上に目を注がれました。」 その目的は、「捕らわれ人のうめきを聞き、死に定められた者を解き放つために。人々が、主の名をシオンで語り、エルサレムで主を賛美するために。また、国々の民や、王国が共に集められるとき、主に仕えるために。」(20~22節)とあります。
  • 神の「見おろし」というあわれみのまなざしは、天から下ってこられた神の御子イエスを通して現わされました。御子イエスは「・・群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。そのとき、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』」(マタイ9:36~38) また、こうも言われました。「なくなる食物(朽ちる食物)のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」(ヨハネ6:27) 

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