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恩寵用語Ps40(2)

詩40篇(2) 「(耳を)開く」 כָּרָה カーラー

〔カテゴリー愛顧〕

6節「あなたは私の耳を開いてくださいました。」(新改訳)
6節「あなたは私の耳たぶに穴を掘られた。」(バルバロ訳)
6節「あなたは私に耳の穴をうがった。」(岩波訳)

Keyword;「耳を開く、穴を掘る、突き通す」dig, pierce 7:15/22:16/40:6/57:6/94:13/119:85

  • 「耳を開く」と訳された「カーラー」(כָּרָה)は、旧約では15回、詩篇では6回使用されています。本来、「穴を掘る」という意味です。井戸や墓を掘る(創世記26:25, 50:5, 民数21:18)、人を捕えるために穴を掘ったり、逆に、墓穴を掘ったりという風に使われています。しかし、詩40篇6節の「耳の穴を掘る」「耳を開く」と訳されているのは比喩的な用法です。
  • 詩40篇6節の用法は、出エジプト記21章1~6節にある奴隷が自ら主人に仕えたいと願うあかしとしての「耳をきりで刺し通す」ことと同様です。奴隷が規定の期間を主人に仕えた後に、さらに自発的に主人のもとで仕えたいと願うならば、神のもとに行き、戸の柱のところで、耳をきりで刺し通さなければならないことが記されています。そうすることで、奴隷は強制的ではなく自発的な奴隷として、いつまでも主人に仕えることができました。余程、すばらしい主人でなければ、その主人のもとにとどまろうとは思わないないはずです。きりで刺し通された耳の穴は、自ら喜んで仕える決意をしたあかしなのです。
  • 詩40篇6節もそのように考えることができます。いみじくも、そのことが8節に記されています。「わが神、私はみこころを行うことを喜びとします。あなたの教えは私の心のうちにあります」とは、「耳を開かれた」ことと同義です。
  • さて、詩40篇6節は新約のヘブル人への手紙10章5節でキリストに当てはめられて引用されています。ただし、「あなたは私の耳を開いてくださいました」という部分が、「あなたは、・・わたしのために、からだを造ってくださいました。」なっています。おそらく70人訳聖書からの引用だと思われますが、いったいこれはどういう意味でしょうか。キリストは神のみこころを行うために来られたわけですから、この「からだ」も当然「神のみこころを行うためのからだ」であることは言うまでもありません。
  • ヘブル2章14節にはこうあります。「そこで、子たちはみな血と肉を持っているので、主もまた同じように。これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」と。このようにキリストのからだが神のみこころを行うためにささげられた(しかも一度だけ)ことにより、私たちは贖われ、聖なるものとされているのです。御父の御子に対するゆるぎない愛は御子をして「耳を開かせた」のでした。同様に、神の愛と恵みは私たちの耳をも開かせるに十分なのではないでしょうか。

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