恩寵用語Ps5
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詩5篇 「囲む」 עָטַר アータル
〔カテゴリー防御〕
12節「まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように、愛で彼を囲まれる。」
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- 「囲まれる」と訳されたアータル(עָטַר)は防衛用語の一つです。旧約で2回、詩篇では5篇12節のみです。「包囲する、覆う、包むようにして守る」という意味です。また、この動詞には同音異義として「冠をかぶらせる」という意味があります(8:5/65:11/103:4)。関根訳はこの意味を採用して「盾のように彼らを囲み、恵みをもって彼らに冠らせ給う(crown)」と訳しています。
- すでに3篇3節にも「私を取り囲む盾」という表現があります。しかし原文では「私のための盾」となっています。つまり、盾そのものが覆いとなって取り囲むために、「私の周りを取り囲む盾」(新改訳)と分かりやすく意訳しています。
- ちなみに、旧約では盾をあらわす語彙が二つあります。一つは3篇3節の「マーゲン」(מָגֶן)、もう一つは5篇12節の「ツィンナー」(צִנָּה)です。ダビデと戦ったペリシテ人の巨人ゴリアテには盾持ちがいましたが、この盾持ちがもっていた盾が後者の「ツィンナー」です。
- 私たちの心、精神の中心はとても柔らかくて傷つきやすく、私たちはそれを守るためにいろいろな盾を持って生きているのです。自分はどんな盾をもっているかが、人生を大きく左右します。私たちは覆いがなければ生きることができません。生まれたばかりの赤子には親の覆いがあります。社会には自分を守ってくれる覆いがあります。しかしその覆いが無責任であったり、気まぐれであったりすると、その覆いの下にいる者たちはひどく傷つくことになります。良い確かな覆い持つ者は幸いです。この詩篇の作者は、愛をもって取り囲んで下さっている方がいることを告白しています。
- この詩篇の作者は3節で「朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします」と述べています。一日のはじめに、神との交わりのために備えをし、自分の心の見張をするということで、私は「モーニング・ウォッチ」(Morning Watch)と名づけています。新約的に言うならば、「キリストのうちにとどまる」ということです。「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができません」と言われた主のことばを深く理解し、日々、主との親しい愛の交わりの中に生きることを選び取ることです。しかし、そうした選び取りを支えているのは、主が先行的恩寵として私を愛で囲ってくれているからです。この囲いの事実を、朝ごとに確認し、日々深めていく必要があると信じます。
- 12節の後半の諸訳は次の通りです。
「御旨のままに、盾となってお守りくださる」(新共同訳)
「恵みをもってこれをおおい守られます」(口語訳)
「大盾のように恩顧で彼を包んで下さる」(岩波訳)
「恵みの盾で囲んでくださる」(典礼訳)
「取り囲みの祝福」
- 詩篇の中には、私たちを取り囲んでほしくない勢力―「敵、中傷する者、憎しみのことばなど」が大半を占めています。そうした情勢の中で、主が私たちをかばってくださり、覆ってくださり、守ってくださることは大いなる平安を得ます。
- 「アータル}(עָטַר)の類義語としては以下のものがあります。
(1)「カーサー」(כָּסַה)「庇う、守る」covering,concealing 旧約152回、詩篇17回、32:1/44:19/85:2/143:9etc. 143:9は礼拝用語「身を隠す」で取り上げています。
(2)「サーヴァヴ」(סָבַב)「取り囲む」、旧約162回、詩篇22回。32:7「あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみからわたしを守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。」32:10「主に信頼する者には、恵みがその人を取り囲む。」
(3)「ハーナー」(חָנַה)「陣を張る、陣を敷く」、encamp 旧約143回、詩篇3回。34:7「主の使いは、主を恐れる者の回りに陣を張る。」他に、27:3/53:5も使われているが、すべて敵の陣として使われている。
- 使徒パウロは他の人々から、彼は狂っていると称されました。「だとすれば、キリストの愛が私たちを取り囲んでいる(スネコーσυνεχω)からだ」(コリント第二5:14)というのがパウロの言い分でした。まさにこれが彼の存在とすべての働きを支えていたものでした。
- スネコー(συνεχω)は「強いる、強要する、有無を言わせない」という意味ですが、以下の訳を見る限り、強制ではなく、自分がそうしたいのだという内なる衝動と理解することができます。
- 新共同訳「なぜなら、キリストの愛が私たちを駆り立てているから。」
- 口語訳 「なぜなら、キリストの愛が私たちに強く迫っているから。」
- 柳生訳 「われわれはキリストの愛によって圧倒されている。」
- LB訳 「確かに、私たちは何をするにしても、自分の利益を求めるのではなく、キリストさまの愛に動かされてしているのです。」
- フランシスコ会訳「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを虜にしているからです。」
- NIV訳 For Christ love compels us.
- 詩篇瞑想の目的は、まさに、私たちの心の内がキリストの愛によって駆り立てられること、神の愛の迫りに、神の恵みの取り囲みに気づかされることでもあります。