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捜す者は見つけ出す

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箴言は「父から子への知恵」、主にある家庭教育の根幹を学ぶ最高のテキストです。

4. 捜す者は見つけ出す

【聖書箇所】2章1〜12節

ベレーシート

  • イェシュアは天の御国(王国)について語る時、しばしばたとえ話で語られ、「(聞く)耳のある者は聞きなさい。」と言われました(マタイ13:9, 43/マルコ4:9, 23/ルカ8:8)。みな共観福音書にあります。他に、ヨハネの黙示録2~3章では「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」とありますが、「耳のある者」「聞く耳のある者」という表現は決して強制的なものではなく、むしろ、子を、あるいは弟子を自らをして求めさせようとするイスラエルの伝統的な教育法の表現です。
  • 有名なイェシュアのことば、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7:7)は、まさにその教育法なのです。「天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます」(マタイ13:45~46)とあるように、良い真珠は探し求め続けている者でなければ見つけることができないのです。このことを言わんとしているのが、今回の箴言の箇所です。

1. 知恵を熱心に捜し求めよ

【新改訳改訂第3版】箴言2章1~5節

1 わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、
私の命令をあなたのうちにたくわえ、
2 あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、
3 もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、
4 銀のように、これを捜し(「バーカシュ」בָּקַשׁ)、隠された宝のように、これを探り出す(「ハーファス」חָפַשׂ)なら、
5 そのとき、あなたは、【主】を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。


●再び「わが子よ。」のフレーズが登場します。父の子に対する教育法です。とても価値ある重要なものとして、「知恵」を中心とした三つの類義語が挙げられています。
(1) 「知恵」(「ホフマー」חָכְמָה)
(2) 「英知」(「テヴーナー」תְּבוּנָה)
(3) 「悟り」(「ビーナー」בִּינָה)

●三つの語彙が挙げられていますが、箴言はこれらの語彙を単数の「これ」(単数)と表現しています。それぞれの語彙の意味よりも、2章の〔教訓2〕の重点が、「銀のように」「隠された宝のように」、「捜す」こと(「バーカシュ」בָּקַשׁ)、「探り出す」こと(「ハーファス」חָפַשׂ)に置かれています。

●「ハーファス」(חָפַשׂ)は、価値あるものを見つけるまで熱心に捜すという意味を持つ動詞です。ギリシア語ではそれに相当するのは「ゼーテオー」(ζητέω)です(ルカ15:4)。「見つけるまで念入りに捜す」という意味です。「人の子は、失われた人を捜して(ζητέω)救うために来たのです」(ルカ19:10)が、その前に、「取税人のザアカイ」も実はイェシュアがどんな人かを見ようと懸命に試みようとした(ζητέω)のです(残念ながら、新改訳はそのことを十分に訳していません)。

●エレミヤ書29章には、バビロンの捕囚となるユダの民にその目的が預言されています。次のように語られています。
「11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。ー主の御告げー。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。14 わたしはあなたがたに見つけられる。・・」と。

●捕囚の民は亡国の憂き目という痛い経験を通して、神のみおしえである「トーラー」を通して、神を知ったのです。その喜びを何よりも表しているのが詩篇119篇です。最も重要な宝は「神を知ること」、「神を恐れること」です。そして、それがまさに「知恵を得る」ことなのです。

●聖書は「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ1:5)と約束していますが、箴言2章1~5節にある動詞ー「受け入れ」「たくわえ」「(耳を)傾け」「(心を)向け」「呼び求め」「声をあげ」「捜し」「探り出す」ーを見るなら、知恵を得るためにはそれを得ようとする熱意が不可欠であることを教えられます。「耳のある者は聞きなさい。」と言われたイェシュアのことばにはそのような意味が隠されていたのです。


2. 知恵はあなたのたましいを楽しませる

【新改訳改訂第3版】箴言2章6~12節
6 【主】が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。
7 彼は正しい者のために、すぐれた知性をたくわえ、正しく歩む者の盾となり、
8 公義の小道を保ち、その聖徒たちの道を守る。
9 そのとき、あなたは正義と公義と公正と、すべての良い道筋を悟る。
10 知恵があなたの心に入り、知識があなたのたましいを楽しませるからだ。
11 思慮があなたを守り、英知があなたを保って、
12 悪の道からあなたを救い出し、ねじれごとを言う者からあなたを救い出す。

  • 知恵が与えられることで得られる数ある宝のうちで、10節の「あなたのたましいを楽しませる」という部分を味わってみたいと思います。新共同訳はこの箇所を「知恵があなたの心を訪れ、知識が魂の喜びとなり」と訳しています。
  • 「楽しませる」「喜びとなる」と訳された動詞は「ナーアム」(נָעַם)です。この動詞は神のすばらしさに感動し、美味しい物を食べた時に味わう満足と快さを表しているように思います。
  • 使徒パウロという人は、「天からの光」を受けた後に、彼がそれまで受け、蓄えてきた知識がすべてつながっていることを、天からの知恵によって初めて感じ取りました。それまで断片的であった知識が論理的に結びつき、自分が迫害してきたイェシュアこそメシアであることを論証できる力を得たのです。それは多くのユダヤ人たちを「うろたえさせた」ほどでした。
  • 使徒の働き9章22節には「イエスがキリストであることを証明して」とあります。ダマスコのユダヤ人たちをうろたえさせるほどの「論証する力」がサウロに与えられ続けました。この動詞の原語はギリシア語の「スンビバゾー」(συμβιβάζω)。以下のような意味合いがあります。

(1) 組み合わす、結び合わす(エペソ4:16、コロサイ2:2、コロサイ2:19)
(2) 比較する、比較して結論を出す、確信する(使徒16:10) concluding
(3) 論証する、調べて結論を出す(使徒9:22) to demonstrate
(4) 教える、指図する(使徒19:33 、Ⅰコリント2:16)、to teach, instruct

  • この力は、イェシュアのことばや行為のすべてが聖書と何らかのかかわりをもっていることを、比較し、結び合わせ、論証して、確信を引き出す特別な能力です。この能力によって、パウロはイェシュアがメシアであることを旧約聖書から確信したのです。またこの力は真理の面のみならず、神の導きにおいても働く能力です。例えば使徒16章には伝道のために教会から祝福されて遣わされたこと、しかし自分たちが計画した方向が二度にわたって聖霊に禁じられたこと、八方塞りの中で祈ったこと、そして幻を見たこと、自分に与えられた召命など。こうした事柄を総合し、結び合わせて、マケドニヤに渡っていくことが神のみこころであるとパウロは「確信した」とあります。
  • このような力を味わえることこそ、「ナーアム」(נָעַם)の祝福なのではないでしょうか。


2015.10.23


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