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瞑想(2) 「心を傾ける」

詩119篇(12)「(心を)傾ける נָטָה ナーター 

(カテゴリー:従順 )

112節「私は、あなたのおきてを行なうことに、心を傾けます。いつまでも、」(新改訳)
112節「まことを尽くして、わたしはおきてを守る。いつまでも、終わりなく。」(典礼訳)

Keyword;「傾ける、向ける、尽くす」 119:36, 51, 112, 157/ 141:4/

  • 「(心を)傾ける」と訳されたナーターנָטָה(natah)は、神にも(恩寵用語)、人にも(礼拝用語)にも用いられます。旧約では215回、詩篇では29回使われています。礼拝用語として使われる場合には、神のことばに耳(心)を傾けるということであり、恩寵用語として用いられる場合には、神が人の祈りや叫びに耳を傾けられるということになります。ただし、神が私たちの叫びに耳を傾けられるそのあり方は尋常ではありません。「天を押し曲げて降りてきてください。」(144:5) の「押し曲げる」とか、「伸ばす」(102:11)、「広げる」(104:2)、「差し伸ばされる(腕)」(136:12)と訳されるように、心だけでく、身を乗り出すようにして耳を傾けるくださる、親身になってかかわってくださるイメージです。
  • 礼拝用語として使われる場合には、神の方向に向かって、反れることなく、一途に向かっていくことを意味します。詩119篇の他の節を見てみましょう。
  • 36節では「私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾けないようにしてください。」
  • 37節には、「むなしいもの見ないように私の目をそらせ、あなたの道に生かしてください。」と言い換えられています。
  • 51節では「高ぶる者どもは、ひどく私をあざけりました。しかし、私は、あなたのみおしえからそれませんでした。」 
  • 157節では、「私を迫害する者どもは多い。しかし私はあなたのさとしから離れません。」とあります。
  • 「心を傾ける」ということは、それを阻もうとする環境にもかかわらず、あえて、そうしていこうとする強い意思が感じられます。119:105~112の段落では、特にその意思が濃厚です。「しかし私は」というフレーズでそれが強調されています。109節の「私は、いつもいのちがけでいなければなりません。しかし私は、あなたのみおしえを忘れません。」とか、110節の「悪者は私に対してわなを設けました。しかし私は、あなたの戒めから迷い出ませんでした。」に見られるとおりです。
  • ちなみに、「心を傾ける」ということばのイメージを新約的にいうならば、イエスを「仰ぎ見る」に近いと思います。「仰ぎ見る」はギリシャ語のアフォラオー(αφοραω)という言葉です。⇒参照
  • 作者の「心を傾ける」の根拠は、単なる、熱意だけではありません。111節にあるように、「あなたの定めはとこしえにわたしの嗣業です」(新共同訳)という確信に基づいているのです。この作者は祭司かレビ人であったかもしれません。祭司やレビ人は本来、「主ご自身が彼らの相続地」だったからです。この事実を真に目覚めさせたのはバビロン捕囚の経験でした。祭司とレビ人はバビロン解放後、新しい神の民の再建のために大きな霊的役割を担ったことが歴代誌に記されています。神殿礼拝のみならず、みことばを教えることにおいても、レビ人が多く登用されました。

恩寵用語としての「ナーター」נָטָהも参照


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