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瞑想(2)「思いを潜める」

ק コーフ瞑想(2) 「思いを潜める」

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  • 詩篇119篇の14節をいろいろな聖書で読み比べてみます。特に、「思いを潜めます」と訳された「スィーアッハ」שִׂיחַの様々な訳語に注目します。

新改訳
「私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。」
新共同訳
「わたしの目は夜警に先立ち、あなたの仰せに心を砕きます。」
口語訳
「わが目は夜警の交代する時に先だってさめ、あなたの約束を深く思います。」
フランシスコ会訳
「わたしはあなたの仰せを思い巡らし、わたしの目は夜警の交代をながめる」
バルバロ訳
「私の目は、夜もすがらさめて、あなたの御言葉に思いめぐらす。」
関根訳
「わが眼は夜番の交代の時に先立って覚め、あなたのみことばを想いめぐらす。」
岩波訳
「わが目は、夜警らよりも早く覚める。あなたのことばに思い耽るため。」
尾山訳
「私は夜通し起きていて、あなたの御約束を深く味わいます。」

  • 以上のように、訳されたことはを併記してみると、一つの原語スィーアッハשִׂיחַの意味するところが見えてきます。一番多いのが「思いめぐらす」で3回。あとは「思いを潜める」「深く思う」「深く味わう」「思い耽る」「心を砕く」が1回ずつです。
  • 「スィーアッハ」שִׂיחַは、詩篇119篇では6回使われています(15, 23, 27, 48, 78, 148)が、詩篇では他に55:17, 69:13, 77: 3, 6, 12でも使われています。「呻く」「静かに考える」「語る」という訳もあります。このことばは、悩み呻くことと、思いを潜めることが結びついたことばです。特に、「スィーアッハ」שִׂיחַが3回使われている詩篇77篇では、自分の心としっかりと向き合う作者の姿があります。さまざまな問いを自分に問いかけながら、呻き、思いを巡らしていきます。そして自分なりの答えを出したかと思えば、それを振り払い、再び、別の視点から問いかけ始めます。そのようにして、最初には気づかなかった深みへと導かれていきます。
  • 自分の心としっかりと向き合うことは、時には、呻きや苦痛を伴います。自分に問いかける。そしてそれを言い表す(語る)ことを通して、神とのかかわりに深みが増し、確固とした揺るぎなさが与えられる、そうした瞑想を意味しています。このような瞑想の訓練(修練)を通して、ぶれない信仰の歩みが形成されていきます。瞑想することの重要性はどんなに強調してもしきれません。イエスがどんなに肉体的に疲れていたとしても、朝早く、暗いうちに起きて、寂しい所へ (一人静まることのできる場所へ) 出て行き、祈りのときを過ごしました。「祈り」と言っても、祈りの課題を順に祈っていたわけではありません。「祈り」とは、御父との親しい交わりです。そして、それがイエスのすべての源泉でした。
  • いつの時代でも有益な働きをした人々の多くは、朝型人間だと言われています。夜明け前の静かな時間は、ことばに表わせない不思議な力が秘められているように思います。詩篇119篇の作者はそのことを経験していたようです。それゆえ「夜明けの見張りよりも先に目覚め、神のみことばに思いを潜めたのです。そうした日々の歩みは、計り知れない霊的な祝福を引き出すと信じます。


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