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瞑想(3)「先取」

ק コーフ瞑想(3) 「先取」

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  • 詩篇119篇には22のブロックから成り立っていますが、それぞれのブロックにしかない特徴的なものを取り出して味わうことは、しばしばより深いものを見出すことができます。
  • 段落「カーフ」での特徴的なことばは147,148節に出てくる「カーダム」קָדַם
    (qadam)で、「(夜明け)前に起きて」「(夜明け)前に」「(夜明け)に先立ち」と訳されています。~よりも先に、先んずる、一つ前を進む、先立つ、という意味です。それが主の前に進む、主を迎える、主を朝一に迎えるという意味にもなります。
  • 「先手必勝、後手完敗(惨敗)」という格言がありますが、このことは私たちの信仰生活においても同様です。「先手」とは能動的、意欲的な姿勢ですが、「後手」とは受動的、当為的姿勢です。詩篇119篇の作者は、前者の先取的生き方をしていたということになります。
  • 私たちが朝起きて一番にすることが何か、それがその人の生き方と深くかかわってきます。朝起きて、主を自分の心に迎えることをなによりも優先する生き方か、それ以外のことをしてしまうかという違いですが、主を尋ね求める生き方は後手に回ってできることではないのです。先手必勝です。詩篇119篇の作者のライフスタイルは、朝起きて、まず主を迎え、主のことばを待ち望み、そしてそれに「思いを潜める」(瞑想・黙想)ことを怠りませんでした。詩篇119篇にはきわめて強烈に、心を尽くして主を尋ね求めるという「求道性」に貫かれています。この「求道性」を良くあわらしているのが「カーダム」קָדַםという動詞なのです。
  • もうひとつ、この段落には求道性を表わす語彙があります。それは、「呼ぶ」と訳された「カーラー」קָרָאです。詩篇では多く使われている動詞ですが、この詩篇119篇では、この段落にある145, 146節の2回だけです。本来は、「呼ぶ、呼び求める、叫ぶ」という意味ですが、「向き合う、出会う、出迎える」という意味もあるのです。したがって、この「カーラー」קָרָאも「カーダム」קָדַםと同様に、神を求めて迎えるという意味があります。このように、類義的な言葉を重ねることで意図するところを強めようとする用法はヘブル詩の特徴です。
  • 私たちは、自分の歩みを立ち止まって、振り返り、主が求めておられるかかわりがなにかを沈黙と静けさの中で深く考えなければなりません。私たちの生き方を変える必要があるかどうか、もし、後手後手の生き方になっているならば、そこからより創造的なものは生まれてきません。また、より深いところに隠されている神の宝を見出すことはできません。こうした「先取的なライフスタイル」は御子イエスがしておられる生き方です。「先手必勝、後手惨敗」ということばは「祈りの生活」の基本中の基本なのです。

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