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瞑想(3)「ローシュ」

ר レシュ瞑想(3)「ローシュ」

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  • 詩篇119:160の前半にある「すべて」「頭(かしら)」ということばに注目します。

「みことばのすべてはまことです。あなたの義のさばきはことごとくとこしえに至ります。」(新改訳)
「御言葉の頭(かしら)はまことです。あなたはとこしえに正しく裁かれます。」(新共同訳)

  • 新改訳で「すべて」と訳されたことばは、新共同訳では「頭(かしら)」と訳されています。新共同訳の方が原語の直訳ですが、それにしても、「御言葉の頭はまことです」とは実に不思議な表現です。他の聖書の訳を見てみましょう。

    口語訳では「全体」
    岩波訳では「頭」
    関根訳では「帰する所」
    フランシスコ会訳では「終始」
    典礼訳では「基づく」
    アプリ訳では「基い」
    文語訳では「すべくくり」(総計)「聖言のすべくくりはまことなり」
    尾山訳では「すべて」

  • ここで使われている原語のヘブル語は普通名詞の男性形の「ローシュ」רֹאשׁ(ro’sh)です。このことばは実に多くの意味合いをもった語彙です。ちなみに、このことばから派生した女性形の「レーシート」רֵאשִׁית(re’shiyth)は、創世記の1章1節に出てくる「はじめ(に)」ということばです。男性形と女性形ではどう違うのか、意味合いとしてはどうなのか、調べてみたいと思います。

(1) 前者の「ローシュ」רֹאשׁは、旧約で599回です。意味としては、「頭、首長」(head)、頂上、頂(top)、最上(highest, best)、水源(headwater)、最初(first)、リーダー(leader, chief)、最上のもの(fine, choicest gifts)、「はじめ」(beginning)で、「ある目立つ場所」(a prominent place)、「全体、すべくくり」(all, sum)、「要石、頭石、親石」(capstone)、「支配者」(ruler)などを意味します。これらを見ると、頭やはじめが全体を統括するイメージです。物事の全体を表わす「はじめ」、物事の最も重要な立場や位置にあるもの、本質的、根源的、原初的な部分、あるいは、「もの」を表わしているように思います。


(2) 後者の「レーシート」רֵאשִׁית は51回です。創世記1章1節の「初めに、神が・・」で登場する「初め」です。この「初め」は、時間としての「初め」(beginning, starting)か、順序としての「最初、元初」first)か、それとも事柄の重要性を示す知恵としての「初め」(bignning)か、最も価値あるものとして「初め」(supreme)か、王の統治・治世としての「初め」(early)か、最高位にある「首長」(foremost)か、他にも「最上」(best)、「初物」(firstfruits)、「長子」、力の「源泉」(mainstay)など、幾通りにも考えられる語彙です。
これらの意味のイメージとしては、最初のものが全体を代表し、統括するというものです。

  • ところで、最初に注目した詩篇119:160の前半にある「すべて」(新改訳)、「頭(かしら)」(新共同訳)ということばに話に戻すと、「はじめ」רֹאשׁが、全体の「すべて」を統括、ないしは代表しているということができます。つまり、「初め」の中に「すべて」があるという見方、考え方です。これがヘブル人特有の考え方のようです。このヘブル的な思想は使徒パウロがアダムとキリストについて記した対比に見ることができます。「アダムにあってすべて人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(コリント第一、15:22)
  • また、創世記の1章1節の「はじめ」רֵאשִׁיתということばの中に聖書全体が、すなわち神の救いのご計画全体が含まれているということです。


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