****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps136/C

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瞑想Ps136/C

  • この詩136篇は「讃美歌」の交読文として載っており、かつて私の育った教会の礼拝の中では、この詩篇交読を唱えることがありました。しかし私には、この詩篇交読の会衆が唱える部分はただ同じことばを無味乾燥に繰り返すことばとして私の心にむなしく響いておりました。なぜそうなのか。今回この詩篇を味わいながら、その理由は旧約の歴史の中に現わされてきた神の愛について深く瞑想することなく唱えていたからだと思いました。
  • この詩篇136篇の構造はきわめてシンプルで、三つの部分から成っています。

    (1) 命令(あるいは呼びかけ)
    「感謝せよ」(あるいは「たたえよ」、「讃美せよ」) ヘブル語では「ホドー」、英語では「プレイズ」Praiseです。

    (2) 感謝する対象としての主(神)
    創造のみわざからはじまって、自分たちのこれまでの歴史において経験した神を観念的ではなく、歴史に働かれる神としていろいろな表現で語られています。

    (3) 感謝する理由
    その理由とは、主の恵みはとこしえにあることです。神の変わることのない、不変の愛、確固とした愛は永遠であることのゆえです、しかもこれは26回繰り返されています。

  • 神の歴史の中で顕わされた救いのみわざは、出エジプトの出来事から荒野の生活、そして約束の地に入るまでの戦いと約束の地に入ってから、そしてバビロン捕囚とそこからの解放までに及んでいます。新しくされた神の民のアイデンティティを確立するために彼らがしたことは、歴史の中に働かれた神のみわざを思い起こし、そこに神の不変の愛を受け止めることでした。神の愛は彼らの歴史の中に現わされた具体的なみわざを繰り返し思い起こすことによって培われました。それは今日のキリスト教会が聖餐式を通して、イエス・キリストの贖いのわざを覚えることに相当します。
  • ところで、私はこの詩篇がより生き生きとして唱えられるためには、横に読むーつまり神の救いの歴史をしっかりと掴むことが必要だと信じます。栽培種としてのオリーブの木であるイスラエルに、野生種である私たち異邦人が接木されたという事実を正しく理解する必要があります。この事実を正しく理解するならば、イスラエルの歴史はユダヤ人だけのものではなく、私たち異邦人にとってもきわめて重要な歴史となるからです。ここに聖書(旧約、新約)の歴史を把握する必然性があります。
  • ユダヤ民族は神に選ばれた格別な民です。彼らが優秀だからというのではありません。神が一方的に、主権的をもって選ばれた民であり、先祖アブラハムに約束された契約の中に彼らは滅びることなく存在しているのです。そしてやがてアブラハムに対する約束が実現する前に、彼らは民族的に救われ、千年王国において支配的な民族となります。彼らは神の約束の完成においてきわめて重要な民族なのです。私たち異邦人がイエス・キリストを信じて救われるということは、イスラエルの民族につながることを意味します。それはとりもなおさず、彼の歴史に接木されることです。このことの意味を今一度受け止めるならば、私たちの聖書の読み方、あるいは視点はかなり異なってくるはずです。つまり、救いの歴史である聖書そのものが新たな形で向こうから語りかけてくるに違いありません。聖書を「横に読む」、あらたな聖書通読をしていくことに今、導かれています。

2011.7.12

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