瞑想Ps49/A
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瞑想Ps49/A
- この詩篇には、人間の普遍的な問題である死がもたらすものについての格言(知恵)が教示されています。
- その第一は、人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても、人は死ぬとき何一つ持って行くことができないということです(16、17節)。つまり、人の栄誉も財産も人の称賛も死の前には全く無力であるという教えです。
- 第二は、人は死後も栄華の中にとどまりつつげることはできないということです。人は心の中で自分たちの家は永遠に続くと思い込んでいるのです。しかしそれは幻想に過ぎません。
- 第三は、人はたとえ栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅び失せる獣に等しいということです。
- 「悟り」を得るとはどういうことでしょうか。
- ①「よみ」の存在を知ることです(14、15節)。ヘブル語では「シェオール」(שְׁאוֹל)です。詩篇の中ではそれほど多く使われていません(6:5、16:10、11を参照)。よみは神との交わりが絶たれた場所であり、そこではだれも神をほめたたえることができません。そしてそこは神の言うことに耳を傾けることをしない者たちが行く所であり、住む所です。
- ②よみからたましいを引き上げる(買い戻す)ことは人間には不可能だということを知ることです。なぜなら、たましいの贖い代はあまりも高く、この世の富をいくら積んだとしても買い戻すことはできないからです。それほどに、たましいの代価は高価なのです。人間的には永久に諦めなければなりません(7~8節)。
- ③しかしながら、神だけがたましいをよみの力から買い戻してくださるということを知ることです(15節)。「買い戻す」とは、「身代金を払う」「代価を払う」「贖う」とも表現されます。神は御子イエス・キリストを通して、私たちをよみからいのちの道に引き上げてくださったのです。
- これらの三つのことを悟ることが大切だと信じます。ただ栄華の中でそれを得ることは難しいかもしれません。ただ私は、イエス・キリストを通して、よみから買い戻された者であることを心から信じて感謝します。