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瞑想Ps74/A

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瞑想Ps74/A

  • 詩73篇で作者のアサフは人間の最も深い問題である「嫉み」に悩まされ、それに翻弄されながらも、聖所での瞑想によって悟りの光が与えられ、その問題から脱出しました。詩74篇でも、アサフはいつまで続くか分からない暗闇の状態の中で、なぜ神が何も動こうとしてくれないのか、そうした疑念と戦っている姿を見ることができます。詩74篇には「なぜ」「いつまで」「なぜ」という問いが繰り返し、神に向けられています。
  • 9節では「もう私たちのしるしは見られません。もはや預言者もいません。いつまでそうなのかを知っている者も、私たちの間にはいません。」と半ば、あきらめの心境を語っています。ここでは、「私たちのしるしは見られない」、つまり、神の選びの民としてのしるしである聖所もことごとく廃墟となり、神のことばを語る預言者もいない。そして今や出口のない状況の中で、嘆くことしかないのです。「なぜ」いつまでも神は私たちを拒まれるのか。「なぜ」神はなにもせずにおられるのか(1、11節)。「いつまで」私たちは敵にそしられるのか。「いつまで」御名が侮られるのか(10節)。神が全能であられるなら、なぜ敗北を許されるのか。なぜ神がご自分のために行動を起こそうとされないのか。わからない、わからない、わからない・・。
      
  • 苦しみの耐え難さは、苦しみがいつまで続くのかわからないという点にあります。もしわかっているならば耐えることもできるでしょう。しかしいつまで続くか分からないということが、苦しみをさらに増し加えます。自分はもう神から突き離され、見捨てられてしまったのではないかというさまざまな思いが湧いてきます。これは信仰の危機です。しかしそうした危機の中で、作者は「思い起こしてください」(1節)、「心に留めてください」(18, 22節)、「忘れないでください」(19, 23節)、「目を留めてください」(20節)と嘆願しています。
  • そのような嘆願が神に向けられるとき、閉塞感の中にも、霊的な暗闇の中にも、自分たちのアイデンティティを見直すことをはじめているように思います。その証拠が、神と自分たちの関係を表わす表現の中に見られます。つまり、「私たちの(本来の)しるし」です。たとえば、
    「あなたの牧場の羊」(1節後半)、
    「昔あなたが買い取られたあなたの会衆」(2節)
    「あなたがご自分のものである部族として贖われた民」(2節)
    「あなたの山鳩」(19節)
    「あなたの悩む者たち」(19節)
  • また、異教の人々によって、あるいは異教的支配の中で、主の御名が汚され、侮られ、そしられている現実を訴えています。そして、そのことを「心に留めて」(18節、22節)、「永久に忘れないでください」(19節)と神に祈っています。それは、神の民として御名が侮られていることに悲しみを抱くようになってきているからだと思います。
  • いつ出口が見つかるともわからない状況の中で、「どうか、契約に目を留めてください。」(20節)「しいたげられる者がいやしめられて帰ることがなく、悩む者、貧しい者が御名をほめたたえますように」(20節)との回復への期待、再起の祈りが起こってきていることはすばらしいことだと思います。
  • もう一度、「私たちのしるし」(9節)が回復されること、その願いが起こって来ていることが、この詩篇にいのちと光を与えているように見えます。

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