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知恵にふさわしい柔和な行ない

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6. 知恵にふさわしい柔和な行ない

【聖書箇所】3章13~18節

ベレーシート

  • ヤコブの手紙全体の鍵語は「成長」「完全」、そして「知恵」「賢さ」です。成熟した知恵のあるキリスト者とは、

(1) 試練の中で信仰が試され、その結果、忍耐を備えることのできた人(第1章)
(2) 聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそい人(第1章)
(3) 人をえこひいきすることのない人(第2章)
(4) 舌を制御することのできる人(第3章)
でした。

  • そして今回の(5)は、知恵にふさわしい柔和な行いを示すことのできる人です。そうした人こそ成熟したキリスト者であるというのがヤコブの主張です。そこで、「柔和な行い」とはどんな行いなのかを、私たちの真の教師であるイェシュアを模範として学んでみたいと思います。まずは今回のテキストの箇所を読んでみることにしましょう。

【新改訳改訂第3版】ヤコブの手紙3章13~18節
13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。
14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
15 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。
17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。


1. イェシュアの柔和な行い

  • 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく(=柔和で)、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負ってわたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎが来ます。」(マタイ11:28~29)。この聖句は、本来、福音を宣べ伝える働きのために労苦している人々に向けられたことばです。マタイの福音書11章には、福音に心を閉ざし、自分の罪を悔い改めようとしない人々に接したイェシュアの深い悲しみと苦悩が横たわっています。イェシュアが「だれでもわたしにつまずかない者は幸いです」(6節)と言われたその背景に、イェシュアにつまずく人が決して少なくないことを示しています。
  • イェシュア自身、当時の人々の中に宣教の働きを進めて行くことがどういうことかを誰よりもよく知っておられました。反対に会い、働きの実が表われてこない時に、ふと私たちはやりきれない気持ちに襲われたりします。荷を降ろしてしまいたいという誘惑にかられます。主はそのような働きに疲れを覚えている人に向かって、招きのことばを語られたのです。
    ①「わたしのところに来なさい。」
    ②「わたしのくびきを負いなさい。」
    ③「わたしから学びなさい。」
    このキリストの招きの中核となっているのが、「わたしは心優しく(=柔和で)、へりくだっている」ということばなのです。
  • 「柔和である」とは、無関心な人に対して苛立たず、敵視する人を赦し、離反する人に対しても耐えることを意味します。以前、東京の教会にいたとき、ある催しのチラシを小学校の前で配っていました。すると、それを受け取った小学生がそれを丸めたり、破いたりして道路に投げ捨てました。このような働きは数多くあります。聖書を無料で配布しているギデオン協会がありますが、ある大阪の中学生全員にと10万冊の聖書贈呈計画をしたそうです。反応はいろいろでした。あるところでは、学校の三階の窓から聖書を破って外へ投げつけた生徒が数人いたそうです。
  • イェシュアの柔和な行いについて聖書から学びたいと思います。マタイの福音書27章11~14節を見てみましょう。特に14節に注目してください。

【新改訳改訂第3版】マタイの福音書27章11~14節
11 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです」と言われた。
12 しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。
13 そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」
14 それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた


  • 総督ピラトの驚きは、イェシュアの沈黙です。何に対しての沈黙かと言えば、それは祭司長たちの訴えに対してです。多くの人は自分が明らかに悪くても言い逃れをしたり、抗弁したりするものです。しかしイェシュアは自分が正しくてもそれをしなかったのです。自分に不利な決定(評価、仕打ち、扱い)がなされようとしているのに、何も答えないイェシュアの姿から何を私たちは学ぶことができるでしょうか。「わたしは心優しく(=柔和で)、へりくだっている」、このわたしから学べとイェシュアは言っているのです。
  • 自分を陥れようとする議論や挑発に対しても(ヨハネ8章)、またののしりやあざけりに対しても、イェシュアは徹底して沈黙を守られました。この「イェシュアの沈黙の秘密」は、イェシュアが御父を信頼し、すべてをゆだねていたからでした。とはいえ、イェシュアは語るべき時には人の顔を色うかがうことなく、はっきりと語り、論じなければならない時には徹底して論じられました。つまり、イェシュアは「語ること」と「沈黙すること」を明確に区別しておられたのです。この区別をつけること。また「言いたいことと言わなければならないこと」との区別をつけることも重要であったはずです。
  • 言葉の多い饒舌な時代において、はっきりとものを言える風潮の強い時代に生きる私たちにとって、気をつけなければならないことは、Ⅱテモテ2章24~25節やガラテヤ人への手紙にあるパウロの勧めです。

【新改訳改訂第3版】Ⅱテモテへの手紙2章24~25節
24 主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、
25 反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。


【新改訳改訂第3版】ガラテヤ人への手紙 6章1節
兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。


  • 柔和な行いを示すことこそ、真に知恵のある、賢い、成熟したキリスト者の姿であるとヤコブは教えています。しかも私たちの主であるイェシュアも、「わたしに学べ」と言われていることを心に留めたいと思います。

2. 偽りの知恵と上からの知恵

(1) 偽りの知恵

  • ところで、「柔和な行いを・・示せ」とあるように、一般的な「行い」と言えば目に見えることですが、ヤコブはここで単なる目に見えるものだけでなく、行いの源泉となる心の動機や思い、つまり人の目には見えないところまで含めた「行い」と表現していることが分かります。つまり、人から行いがほめられたとしても、自分を吟味するようにということです(14節)。
  • ヤコブは教会の中に、自分こそ知恵ある者だと自称し、自分を誇りながら、現実には知恵とは程遠い生き方をしているキリスト者たちがいることを訴えています。ここでヤコブが「知恵」ということばを使うとき、それはその人の心を支配している原理のようなものを指して使っています。その人を支配し、考え方や生き方に大きな影響を与えるところの心の原理、つまり、知恵とは頭の問題ではなく、心の問題だということです。特にヤコブは、神のために熱心な活動をする者たちの心の中に「苦いねたみと敵対心」があることを見抜いています。もし、すべての活動の原動力がそのような動機からなされているのなら、そのような知恵は「上から来たものではなく、地に属し、悪霊に属するもの」で、決して誇ってはならないと言っています。聖書は見えるところがよければ良いとは決して言っていません。非常に鋭い、そして厳しい指摘です。人の目に映る外側の行動だけでも立派になるのは大変ですが、聖書は私たちの心の動機にまで光を当ててきます。人を欺くことはできても、神を欺くことなどできないのです。
  • 全く関係ない者同士の関係では起こらないことが、教会間において、教職間において、信徒同士の間において「ねたみや敵対心」が起こるのです。パウロはピリピ人への手紙1章で、「人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。」(15, 17節)と述べています。つまり、上からの知恵ではなく、地に属する知恵です。もし、「苦いねたみと敵対心」が心の中にあるならどういうことになるのでしょう。16節には「秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがある」とあります。教会間においても兄弟姉妹の間においても、ねたみと敵対心があるならば、秩序を保つことは難しくなります。さまざまな問題が必ず起こって来るのです。
  • このような箇所はさっと読み流してしまいたいところですが、しっかりと心に留めて神の語りかけを聞かなければなりません。ここで問われていることは、私たちのもっている知恵、つまり私の心を支配している原理、ものの考え方、判断をつかさどっているものがどこから来ているか。上から来ているのか、それとも地や肉に属するものかということです。
  • 神の救いのみわざは、私たちを外側のレベルではなく、内側の、しかも心の奥底までも新しく造り変えることができます。ですから、少し外側が変えられたからといって満足してしまうのではなく、もっと深いところまで取り扱かっていただくことを願う者でなければなりません。私たちのうちにおられる御霊こそ私たちのあらゆる点において成長させ、成熟させてくださる方です。そのために絶えず私たちをキリストの似姿になるべく、深いうめきをもってとりなしてくださるのです(ローマ8:27~28)。その結果、私たちのうちに神への渇きが起こされるのだと信じます。確かに、悪の性質は私たちの心の奥に深く根付いています。それゆえ、気づかされるのに時間がかかります。しかしひとたび気づかされた時、私たちが切に神を求めるなら、その時から、新しい、きよめられた生涯が始まって行くのです

(2) 上からの知恵
(神からの知恵=聖霊が私たちに与えてくださる知恵)のチェックリスト

  • 自分のうちに「上からの知恵」が与えられているかを知るために、以下のリストに従ってチェックしてみましょう。

【新改訳改訂第3版】ヤコブの手紙3章17~18節
17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。


①「純真」(「ハグノス」ἁγνός)
●「第一に」とあるように、特に重要な知恵が「純真」だとしています。これは自分のうちに宿る悪い原理から解放されることを求める心です。神はその叫びに必ず答えられます。

②「平和」(「エイレーニコス」εἰρηνικός)
●神と私たち、人間同士の正しい関係をいつも求めていく心です。

③「寛容」(「エピエイケース」ἐπιεικής)
新改訳2017は「優しく」と訳しています。
●律法主義的な態度(規則、常識、経験の尺度)で人をさばかない心です。

④「温順」(「ユーペイセース」εὐπειθής)
新改訳2017は「協調性」と訳しています。
●喜んで神に聞き従おうとする柔らかな心です。

⑤「あわれみ」(「エレオス」ἔλεος)
●「慈悲」とも訳されます。相手の立場になって行動する心です。悩み苦しんでいる人に対して、実際的な助けの手を差し伸べる心です。

⑥「良い実」(「カルポス・アガソス」καρπός ἀγαθός)
●相手を健全に成長させようとする心、建徳的な心です。

⑦「えこひいきがない」(「アディアクリトス」ἀδιάκριτος)
新改訳2017は「偏見がなく」と訳す。
●これは人を「差別することのない」公平な心。人にへつらったり、ゴマをすったりしない心です。

⑧「みせかけのないもの」(「アヒュポクリトス」ἀνυπόκριτος)
新改訳2017は「偽善がありません」と訳す。
●「偽りのない心」のことで、自分のことを良く見せる偽善者のようではないことを意味します。

⑨「義の実
(「カルポス・ディカイオスネー」καρπος δικαιοσύνη)
●信仰に基づく正しい実践がもたらす数々の「美徳」を意味します。

⑩「(義の実の種が)平和のうちに蒔かれる
(「エン・エイレーネー・スペイケタイ」ἐν εἰρήνῃ σπείρεται)
●種を平和のうちに蒔くとは、無理なく実践されることを意味します。同時に、それは将来的に大きく成長することをも示唆しています。平和という目的に対して、「平和のうちに蒔く」とは手段においても、徹頭徹尾、「平和」を重視した働きであることを記しています。反対に、この世の知恵は「平和」のために戦いを通して実現しようとします。主にある者たちが神のご計画に参与するために必要なことは、「平和をもって事をなすこと」です。イェシュアは山上の説教の中で、「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」と語られたことがここに反映されています。ちなみに、私たちは、イェシュアを信じることで、すでに神の子どもとされています。しかしそれは立場上の「神の子」です。しかしここでの「神の子ども」は実質的な、知恵ある神の子なのです。やがては必ずそのような「神の子」となることが約束されているのです。それゆえ御国においては戦いがなく常に平和なのです。


2017.12.21


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