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神が人を出迎える東の門

5. 神が人を出迎える東の門

【聖書箇所】 マタイの福音書 2章1, 2, 9節

はじめに

  • これまで、マタイの福音書においてきわめて象徴的な語彙を取り上げてきました。「14」「夢」「星」「光」、そして2011のアドベント最後の瞑想のテーマは「東」という語彙です。マタイの福音書にこだわるならば、2章に3回使われています(2:1, 2, 9 )。

【新改訳改訂第3版】

2:1
イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2
ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
2:9
彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。

  • マタイはこの「東方」ということばを象徴的な意味を込めて使っているように思われます。というのも、「東」は神が人と向き合う接点の象徴だからです。
  • かつて、人間が罪を犯してエデンの園から追放されましたが、それはエデンの園の東の門からでした。「東」という語彙は、聖書においては明確な意味をもっています。人はたえず神から離れて東に向かう道をたどるか、あるいは神の招きに応じて東から神のおられる西へ向かう道をたどるか、その両方向が常に歴史の中に描かれているのです。「東」は人がその罪のゆえに追放されて神から離れて行く方角であると同時に、エデンの園に入ってくる、つまり、神の支配する安息の場に入って来る出発点となる方角でもあるのです。
  • マタイが2章で「東」「東方」にこだわっているのは、神の救いの歴史は追放されていた人間が神へとたどり着き、神と出会うということにおいて、神と人とのかかわりの回復と救いの成就を見ているからです。マタイ福音書の2章の東方の博士たちが王となられる方に出会ったことはそのことが成就したことを象徴的に表わしていると言えます。

1. エデンの東へ追放された人間

  • アダムとその妻が神に背いて罪を犯したことにより、神である主は、彼らをエデンの園から追放されました(創世記3章23節)。そしてエデンの中央にあるいのちの木への道を守るため、エデンの園の東側に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれました(3:24)。「エデン」とは安息の園です。神と人とが親しく交わる場でした。しかしそこから人は追放されたばかりでなく、自らそこへ戻ることができないようにされてしまったのです。
  • 夫婦の罪は、兄弟間にまで広がり、弟のアベルを殺したカインは、「主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた」とあります。「ノデ」とは「流浪の地」という意味です。そこにカインは定住します。しかしそこは決して安住することのできない地です。「エデン」と「ノデ」は、正反対の意味を持つ神と人のかかわりを意味する神学的名称です。決してある特定の地理的な意味での地名を意味してはいません。その意味で「エデンの東」は象徴的なのです。
  • アブラハムがその晩年にした最後の仕事は、サラの死後に娶ったケトラから生まれた子どもたちを、丁重に、「東のほう、東方の国にやって、自分の後継ぎとなるイサクから遠ざけた」(創世記25:6)とあります。神の救いを担う者の祝福の本流となるイサクから、他の子どもたちを「東の方」に遠ざけたことはきわめて象徴的です。

2. 幕屋の門(入口)は東側にあり、すべての者が東の門を通って神と出会う

画像の説明
  • イスラエルの民がエジプトから救い出された後に、神の民として会見の天幕(幕屋)を建てるように示されます。その幕屋の正面、すなわち、入口(門)は常に東側にありました。すべて神を礼拝する者たちは、この東にある門を通らなければなりませんでした。東から西へ向かって、これが礼拝の順序でした。
    画像の説明
  • イスラエルの12の部族はそれぞれ神の指示に従って、その幕屋を囲むように宿営しますが、その幕屋の東の正面に当たる場所に、神に仕えるモーセとアロン、および祭司たちが宿営しています。より外枠の東側には、ユダ部族を中心とする3部族が宿営しています。
    画像の説明
    これは神が定めたことでした。また、神の指示によって前進するときには、東側に宿営しているユダ族がその先頭に立ちました。イエス・キリストもユダ族です。
  • さて、幕屋の門(入口)は常に東側にある唯一の門で、だれでもそこを通らなければなりませんでした。ギリシャ人もユダヤ人も、割礼の有無、奴隷も自由人も一切区別なく、すべての者が東の門から入らなければなりません。しかもその門はすでにイエス・キリストによって備えられています。東方からエルサレムにやって来た博士たちはその門であるイエスにお会いしたのです。

3. ヘブル語の視点から

  • ところで、「東」というヘブル語は「ケデム」(קֶדֶם)です。「東の方、東側」は「ケーデム」(קֵדֶם)です。いずれも名詞ですが、この語の元になっている動詞の「カーダム」(קָדַם)は次のような意味を持っています。東は太陽が上って来る方角ですが、そこから「会う」「迎える」「出迎える」という意味を持っています。しかも動詞の場合には強意形ピエル態で使われます。
  • たとえば、詩篇21:3では「あなたは彼(王)を迎えて(קָדַם)、すばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます」とあります。同じく詩篇59篇10節では「私の神は、私を迎えに(קָדַם)来てくださる。」(新共同訳では「神は私に慈しみ深く、先立って(קָדַם)進まれます。」)。つまり、動詞の「カーダム」は「先立って、出迎える」という神の先取的な恩寵的行為を表わす意味を持っています。
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  • 一方、太陽が沈む方角である「西」の名詞は「マーヴォー」(מָבוֹא)です。その元となっている動詞は「ボー」(בוֹא)で、「入る」とか「来る」ことを意味します。だれでも神の臨在の幕屋に「入る」ためには東の門をくぐらなければなりませんが、それ以上に、神が先立って出迎えてくださるという含みを知ることが重要です。

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  • イエス・キリストは「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。」(ヨハネ10:9)と言われましたが、それは幕屋に入る唯一の東門だという意味でもあります。

おわりに

  • かつて私たちは、罪によってエデンの東から追放された身でしたが、今やイエス・キリストによってエデンの東の門から入ることが可能となり、エデンにある神との愛の交わり、永遠の安息の中に住まわせていただける者とされたのです。それゆえ、東方の博士たちのように最高のささげものをもって(といってもすべては神から与えられたものですが)、門をくぐり、神を礼拝し、恐れることなく、喜びをもって神との最高の交わりを楽しむ者となることが保障されているのです。

2011.12.24


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