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私の愛する方よ。急いでください。

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雅歌は、花婿なるキリストと花嫁なる教会のかかわりを学ぶ最高のテキストです。

23. 私の愛する方よ。急いでください。

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【聖書箇所】 8章8〜14節

ベレーシート

  • 雅歌の最後の部分です。8章8〜14節は四つの部分からなっています。
    (1) 8〜9節・・・花嫁の兄弟たち
    (2) 10〜12節・・花嫁
    (3) 13節・・・・花婿
    (4) 14節・・・・花嫁

1. 花嫁の純潔を守ろうとする兄弟たち

【新改訳改訂第3版】雅歌8章8〜9節
8 私たちの妹は若く、乳房もない。私たちの妹に縁談のある日には、彼女のために何をしてあげよう。
9 もし、彼女が城壁だったら、その上に銀の胸壁を建てよう。彼女が戸であったら、杉の板で囲もう。


●花嫁には兄たちがいることが分かります。8章1節で、花婿のことを「あなたが私の母の乳房を吸った私の兄弟のようであったなら」と言っている花嫁のことばは預言的であると解釈しました。なぜなら、これは花婿になるイェシュアの受肉によって実現する神の家族(花婿なるイェシュアを長兄とする兄弟姉妹)と考えることができるからです。5章1節にも、花婿が花嫁のことを「私の妹、花嫁よ。」と呼んでいることから、単なる花嫁と花婿のかかわりだけでなく、家族としての兄弟姉妹の概念も絡んでいます。

●いずれにしても、雅歌8章8〜9節では、花嫁は兄たちから見ると、まだ未成熟で、自分たちの妹に縁談の話があった日には、実際、何をしてあげようかと心配しているのです。もし、彼女が「城壁だったら」「戸であったら」(これらは純潔を意味する表現です)、さらにしっかりと彼女を守ってあげようという意味で、「城壁の上に銀の胸壁を建てよう。杉の板で囲もう。」と表現しています。兄たちは妹が花婿に喜ばれるように、彼女の純潔を守るための支えとなろうとしているのです。

●婚姻の前に、花嫁が純潔であることはとても重要です。終末には、キリストの花嫁はますますそのことを自覚するはずです。これまでのキリスト教の歴史には、救いのプロセスにおいて「義認」「聖化」「栄化」という教理があり、信仰によって義とされた者が、さらに神の愛と恵みを知り、自覚的に「きよめられる」ことを求め、やがてはキリストに似た者とされるという栄化の恵みにあずかるという祝福を伝えてきました。特に「聖化」を強調するグループでは、キリストとともに十字架で死んで、キリストとともに生きるということが強調されています。聖書の中にはこのことがしっかりと教えられているからです。ただし、消極面である「自分に死ぬ」ということが神の愛と恵み以上に強調されると、この教理は落とし穴に陥る懸念があります。というのは、自覚的に「自分に死ねる」のは、神の愛と恵みに支えられなければできないことだからです。

●ブライダル・パラダイムにおける花嫁の霊性は、花婿だけを知り、どこまでも花婿を慕い求めることが特徴です。つまり、やがて花婿と結ばれることを絶えず意識して、そのためにふさわしい花嫁として「整えられる」ことがおのずと目指されます。ブライダル・パラダイムの明確化によって、花嫁のうちに聖化の恵みが包み込まれることが可能であると信じます。

●花婿と花嫁を結び付けてくださった御霊の働きにより、やがて花婿が迎えに来られる前に、花嫁はより整えられて、栄化に向かって成熟していきます。それゆえ、「私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」(黙示録19:7〜8)という日を迎えることができるのです。このみことばによれば、小羊なる花婿との結婚において、花嫁は十分に整えられていることが前提となっています。花嫁が携挙される前に、そのような整えの時代が必ず訪れるということを予感させます。

●花嫁の聖化が促進させられるのは、やがて来る栄光の日(=携挙)に、主が花嫁に対してなさろうとしておられる目的を知ることによってです。その日には、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、花婿なる主がご自分の前に立たせます。この究極的目的を知ることこそが、花嫁をより強力に自らを聖別していく誘因となるのです。とはいえ、この働きもすべては花婿の恵みによるものであることは言うまでもありません。なぜなら、みことばと御霊によって花嫁を養い育てることが花婿の継続的な務めだからです。

●「育てる(養い育てる)」という「サルポー」(θάλπω)というギリシア語は新約聖書で二回しか使われていませんが、「世話をする、面倒を見る、保護する、配慮する」という意味を持っています。それゆえ、花嫁に対する花婿の関心や配慮について、花嫁はよく理解する必要があるのです。と同時に、その中で花婿の愛を知ることこそが花嫁の務めなのです。

●それゆえ、
【新改訳改訂第3版】ユダ24〜25節
24 「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、25 すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。」
となるのです。


2. 花婿を満足させるに十分な花嫁

【新改訳改訂第3版】雅歌8章10〜12節
10 私は城壁、私の乳房はやぐらのよう。それで、私はあの方の目には平安をもたらす者のようになりました。
11 ソロモンにはバアル・ハモンにぶどう畑があった。彼はぶどう畑を、守る者に任せ、おのおのその収穫によって銀千枚を納めることになっていた。
12 私が持っているぶどう畑が私の前にある。ソロモンよ。あなたには銀千枚、その実を守る者には銀二百枚。


●「私は城壁」とは、花嫁自身が純潔であることを述べています。しかも、兄弟たちが妹のことを「若く、乳房もない」と言っていたのに対して、花嫁は花婿を十分に楽しませるほどに成熟していることも述べています。

●さらには、自分のものはすべて「ソロモン」(ここでは花婿の象徴的表現)のものであることを述べています。


3. 花嫁の声を聞きたいと望む花婿

【新改訳改訂第3版】雅歌8章13節
庭の中に住む仲間たちは、あなたの声に耳を傾けている。
私にそれを聞かせよ。


●原文では「庭園の中に座っている花嫁よ。仲間たちはあなたの声に耳を傾けている。私にも聞かせておくれ。」となっています。「仲間たち」がだれであるのかは分かりませんが、花嫁の語る声に耳を傾けているのです。


4. 花婿に対する花嫁の最後の声

【新改訳改訂第3版】雅歌8章14節
私の愛する方よ。急いでください。
香料の山々の上のかもしかや、若い鹿のようになってください。


●雅歌の最後が、「私の愛する方よ。急いでください。」との花嫁の声で終わっています。「私の愛する方よ」(「ドーディー」דּוֹדִי)は、花嫁が花婿に対して呼ぶ呼び名です。また、「香料の山々の上のかもしかや、若い鹿のようになってください」とありますが、「かもしかや、若い鹿」は花婿の華奢で、しかも力あふれる若さのイメージです。「香料の山々」とは、エルサレムとも解釈できます。

●「急いでください」と訳されたヘブル語は「バーラハ」(בָּרַח)の命令形です。「急いで逃げる、急いで行く」などの意味ですが、ここでは「急いで来てください」という意味で使われています。花婿の来ることを待ち望む花嫁にとってはそのことがすべてなのです。そこに向かって、備え、生きているからです。雅歌が「急いで来てください。」ということばで終わっているのは、神のご計画(マスタープラン)の実現において、とても重要なことを啓示していると言えるのではないでしょうか。なぜなら、新約聖書の最後も「アーメン。主イエスよ。来てください。」との花嫁のことばで終わっているからです。決して偶然ではないはずです。


2015.9.19


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