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聖なる、聖なる、聖なる

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4. 聖なる、聖なる、聖なる 万軍の主

【聖書箇所】 イザヤ書6章3節

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【読み】
「カードーシュ カードーシュ カードーシュ アドーイ ツェヴァーオート メロー ホル ハーーレツ ケヴォードー」

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の【主】。その栄光は全地に満つ。」
【口語訳】
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。
【新共同訳】
「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
【NKJV】
Holy, holy, holy is the Lord of hosts; The whole earth is full of His glory!


【瞑想】

イザヤ書6章3節にあるのは、預言者イザヤが神の御座で聞いた御使いセラフィムの交唱です。ラテン語で「サンクトゥス」と呼ばれます。日本の讃美歌では「讃詠」と言います。セラフィムという御使いはイザヤ書6章にしか出てきません。イザヤが主の王座の上に六つの翼を持ったセラフィムを見、彼らが主を賛美しているのを聞いたのです。彼らの任務は絶えず神の栄光をたたえているということです。

「聖なるかな」というフレーズは、神の本性、本質を表わす概念であり、ことばで説明することは不可能です。ですから、私たちが「聖なるかな」と賛美する歌には、神についてほとんど何も説明されていないことが多いのです。あまりにも深淵であるゆえに、他のことばを必要とせず、一見、歌の中身(内容)が何もないようにさえ思ってしまうほどです。しかし「聖なるかな」(Holy)という一言にすべてが言い尽くされているのです。しかし、神の本性についての一つのヒントがあります。

光の三原則.PNG

それはヨハネが見たヴィジョンです。黙示録4章には「御座に着いておられる方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった」と記しています(3節)。碧玉は青、赤めのうは赤、緑玉は緑です。神は光の中に住んでおられます。光の三原則ー青、赤、緑ーそれらの色が一つに集まる所は「白」です。これが色であれば一つになる部分は黒ですが、光の場合は白です。すなわち、神の本性は「白光」で見えないのです。御座の中央は白光で輝いているのです。そこに神がおられます。

イザヤ書のセラフィムの他に、ヨハネの黙示録では前もうしろも目で満ちた「四つの生き物」が、御座の中央と御座の回りで、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」と昼も夜も絶え間なく、賛美し続けています。その御座の礼拝の光景をヨハネは見て記しているのです。

万軍の主」とは、単に御使いの軍勢を率いて戦う主のことではなく、天と地のすべての軍勢を率いる神、支配する神という意味です。全世界の歴史を支配する神が聖書を貫いています。英語では「オールマイティ」(Almighty)と訳されます。「万軍の主」ということばではじめて聖書に登場するのはサムエル記上1章3節です。特に、イザヤ書(70回)とエレミヤ書(87回)に多く使われています。エゼキエル書には全く使われていません。

「万軍の主」の「栄光」(カーヴォード)については、⇒ここをクリック

イザヤが登場した時代は、北はアッシリヤ、南はエジプトという大国の勢力に挟まれ、翻弄された時代でした。イザヤが神から与えられたメッセージは、その大国の狭間にあって、主なる神を信頼して「静かにしている」ことでした。しかし政治を司る王たちはなかなかそのことができなかったのです。イザヤのメッセージはどんなときにも外国と同盟関係を結ぶことなく、主にのみ信頼して、静かにしていれば、神が守ってくださるというものでした。イザヤは最初から最後まで一貫して「神から来る静けさ」を説いた預言者でしたが、それは、主こそ「ツェヴァ―オート」צְבָאוֹתという啓示を見たからでした。


【付記】
「イザヤ書6章3節のセラフィムの歌」ー「カード―シュ」⇒楽譜

2013. 2.18


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