詩118篇/B
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瞑想Ps118/B
◆この詩篇は、詩57篇と詩60篇のそれぞれのある部分から抜粋されて結び合わされたものです。すでに存在する詩篇から抜粋されて構成されている詩篇はそれほど多くはありません。大切なことは、どのような意図をもって二つの詩篇から抜粋されているかということです。
◆前半(1~5節)の部分では、ダビデの神への賛美への意欲を告白しています。 しかもその意欲は並々ならぬものです。その意欲は「私は暁を呼び覚ましたい」(2節b)という表現の中に十分にあらわされていると信じます。
◆「暁を呼び覚ましたい」とはどういう意味でしょう。「暁」(朝、曙)は黙っていてもやがて訪れます。しかし、ここでは暁が作者を呼び覚ますのではなく、作者が暁を呼び覚ますという意気込みがあります。つまり、夜中を徹して神を賛美するという決意です。事実、ダビデは、24時間賛美を実現するヴィジョンをもってそれを実現した人です。また、バビロン捕囚から帰還した人々も、ダビデがしたように、絶えることのない賛美を回復しようとしました。
◆しかし、私がこの詩篇で特に注目したいことばは、6節の「あなたの愛する者が」ということばです。一般論としてではなく、私事としての確信です。作者は、自分のことを神に愛されている者だということをしっかりと自覚している点がすばらしいことです。これは神との生きたいのちのかかわりにおいては最も大切なことだと信じます。
◆しかし後半(6~13節)の部分では、神に愛されているにもかかわらず、現実には「神よ。
あなたは、もはや私たちの軍勢とともに、出陣なさらないのですか。どうか敵から私たちを助けてください。」と祈っています。戦いにおいて不利な状況にあったようです。苦境に立たされていたようです。そうした中で6節、「あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。そして私に答えてください。」と祈っています。「自分が神に愛されている者なのですから、それなりのあかしを私に見せてください。」ということでしょうか。この祈りに対する答えが7~9節にあります。神が「喜び勇んで」勝利を与えることが約束されています。
◆この世において、信仰の戦いを余儀なくされる者にとって、ときには信仰の「ゆらぎ」を経験します。信仰生活はその連続だと言えます。そのゆらぎに勝利し、力ある働きをしていくために必要なことは、自分が神に愛されているという確信です。このなしには本当の勝利を得ることができないのです。自分が確固として愛されているという確信は、さまざまな状況にぶつかってもゆるがないと信じます。つまり、勝利をもたらす力は神との愛のかかわりであると言えます。
◆「愛のかかわり」・・それは、不信に変えて信頼をもたらします。それは不安や恐れに変えて平安をもたらします。それは、疑いに変えて確信をもたらします。それは不従順に変えて従順さをもたらします。それは、つぶやきにかえて賛美をもたらします。ここに、詩57篇と詩60篇からの抜粋の結びつきがあると信じます。