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詩90篇/B

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瞑想Ps90/B

  • 詩篇90篇、91篇、92篇には共通するテーマがあります。そのテーマとは「神を住まいとする」ことです。詩篇90篇では「神を住まいとする」(1節)ことと、「自分の日を正しく数える知恵を得る」(12節)こととは密接な関係にあるように思います。神を住まいとし、「自分の日を正しく数える知恵の心」が与えられることで、「すべての日に、喜び歌い、楽しむように」なり、生涯にわたって輝いて生きることができるのだと信じます
  • そもそも、「住まい」とは何か。それは、「神の愛の語りかけを聞くことのできる場」です。「神の愛の語りかけ」の極めつけは、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(わたしの心に適う者)」という天の父の声です。この声は、御子イエスが30年間の沈黙を破って公生涯に入られる時に語られた御父の声です。この声こそ、闇のただ中にあっても、光の中にとどまりづけることができるようにしてくれる、自由に生きることを可能にしてくれる声です。それは途切れることのない永遠の愛の声であり、その声を聞く者にいのちを与え続けてくれる声です。この天からの神の愛の声は、御子イエスだけでなく、御子イエスを信じ、御子イエスとかかわるひとりひとりにも同じく聞くことかできます。この天からの愛の声は、押し付けがましい声ではなく、とても穏やかで、やさしく、気づきにくい場所で語られているようです。この天からの声を聞く者は幸いです。
  • 御子イエスが12歳頃、両親と一緒にエルサレムの神殿に礼拝に行った帰り、両親とはぐれてしまいました。自分を探し見つけた母マリアに対してイエスはこう述べています。「わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」(ルカ2章49節) このことばには、イエスが公生涯に入る前に30年の準備期間がなぜ必要であったか、その秘密が隠されているように思います。イエスの力と知恵と愛の源泉は、常に、御父の家に住むことだったと知ることはとても重要なことだと信じます。
  • 神とは違って、私たち人間は有限の存在です。老人になれば自分の限界を嫌というほど突きつけられます。そうした限界を受け入れなければなりませんが、それは老人にとってはまさにひとつの危機的経験(クライシス)と言えます。しかし、神を住まいとして生きている人は神の住まいへの憧れが日増しに強くなってくるものだと使徒パウロは述べています。⇒Ⅱコリント5章1~8節、ピリピ1章23節後半を参照。
  • 自分の死をはっきりと意識して生きる人とそうでない人とでは、生きるいのちの質が違ってきます。死は人間であるかぎり百パーセントの確立で訪れます。死を意識して生きることで、より充実した生が与えられると信じます。死は、人間側から見れば喪失を意味しますが、神の側から見れば、歓迎を意味します。死は御父の家への完全なる帰郷を意味します。
  • 神を住まいとすることで、自分の日を数える知恵が与えられ、御父の家への帰郷への憧れ抱きつつ、地上における神とのかかわりを生き、楽しむことができればと思わせられます。

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