****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

1. はじめに・・旧約聖書における「詩篇」の位置づけ

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

1. はじめに・・旧約聖書における「詩篇」の位置づけ

1. 旧約聖書に対するイェシュアの発言

(1) ヨハネの福音書5章39~40節

  • イェシュアはパリサイ人に対して、以下のように言われました。

【新改訳改訂第3版】ヨハネの福音書5章39~40節
39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
40 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。


画像の説明

●39節の「聖書」と訳された語彙は、メシアニック・ジューの聖書によれば「ケトゥーヴィーム」(כְּתוּבִים)という語彙を当てています。ユダヤ教の聖書の配列は、キリスト教のような救済の歴史という視点からは考えられていません。ユダヤ教の聖書はその重要度という視点から、以下のように配列されています。

A 律 法【トーラー】(創世記~申命記までの5巻)・・基本法

B 預言書【ネヴィーイーム】・・・・・・基本法の解釈と応用
① 前預言書(ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記の4巻)
② 後預言書(イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、12の預言書の4巻)

C 聖文書【ケトゥーヴィーム】・・・・・ 基本法の参考書
①詩歌(詩篇、箴言、ヨブ記の3巻)
②メギロテ(雅歌、ルツ記、哀歌、伝道者の書、エステル記の5巻)
③歴史書(ダニエル、エズラ、ネヘミヤ、歴代誌の4巻)

●ユダヤ教の聖書は、【トーラー】(תוֹרָה)、【ネヴィーイーム】(נְבִיאִים)、【ケトゥーヴィーム】(כְּתוּבִים)の三つのそれぞれの頭文字を取って「タナフ」(תַּנַךְ)と呼ばれています。

●ヨハネの福音書5章のイェシュアの発言では、「ケトゥーヴィーム」(כְּתוּבִים)は「わたし」、すなわちイェシュア自身のことが書かれているとしています。とすれば、「詩篇」もその方向で解釈して行くことが求められます。

(2) ルカの福音書24章26~27節

  • エマオの途上でイェシュアとは知らずに会話を交わした二人の弟子が登場します。彼らはメシアが栄光をもって来られると思っていましたが、そうではないことが聖書から説き明かされるのを聞きました。

【新改訳改訂第3版】ルカの福音書24章26~27節

26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」
27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。


●特に重要なことは、「モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」という部分です。「律法」「預言書」につづき、「聖書全体の中で」ということばから、あと残っているのは「諸書」(聖文書とも言われる)「ケトゥーヴィーム」(כְּתוּבִים)しかありません。

●イェシュアは聖書(タナフ)によって次々と説き明かして行きました。「説き明かす」と訳されたギリシア語の「ディアノイゴー」(διανοίγω)は、理解力や思考力が開かれて悟りを与えられることを意味します。そのときの二人の弟子は「心燃やされ続けた」のです(ルカ24:32)。まさに彼らの「理解の型紙」がイェシュアの説き明かしによって打ち破られた時、内なる感動で心燃やされたことは重要です。詩篇の作者も同様に「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます」(詩篇119:130)と記しています。

(3) ルカの福音書24章44節

  • 復活されたイェシュアはエルサレムにおいても顕現されました。そのときにこう言われました。

【新改訳改訂第3版】ルカの福音書24章44節
さて、そこでイエスは言われた。
「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」


●44節の「わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてある」ということばから二つの事実が分かります。一つは、旧約聖書のことをイェシュアは「モーセの律法と預言者と詩篇」としていることです。つまり、旧約を構成する三つの柱の一つである「ケトゥーヴィーム」(כְּתוּבִים)を「詩篇」としていることです。もう一つは、旧約聖書の「タナフ」は「わたし」、すなわちイェシュアのことについて書いてあるとしていることです。それが詩篇の序文と言われる第一篇においてまさに然りなのです。

●イェシュアが語っているにもかかわらず、なかなかそのことに気づかないとすれば、私たちも当時のパリサイ人と同じく「的外れ」な者なのです。


2. 「詩篇」は旧約聖書のすべてを代表しています

  • 「ケトゥーヴィーム」(כְּתוּבִים)を「詩篇」という言葉でくくることにはそれなりの理由があります。その理由とは、詩篇の中には「トーラー」を愛し、それを何よりも尊い聖なる書とたたえている詩篇があること(詩篇19篇、詩篇119篇)、また、詩篇には神がなさろうとするマスタープランが啓示されていること(詩篇2篇など)、そして歴史におけるありとあらゆる状況の中で、不条理と思える状況の中で、主なる神を信頼していく知恵が多く描かれているということです。その意味で、詩篇は旧約全体をカバーすることができると言えます。詩篇を瞑想することは旧約聖書全体、いや、聖書全体をも瞑想することになるのです。


2016.7.12


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