****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

2章11~14節


創世記2章11~14節

【新改訳2017】創世記2章11~14節
11 第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。
12 その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。
13 第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。
14 第三の川の名はティグリス。それはアッシュルの東を流れていた。第四の川、それはユーフラテスである。


  • ここには主動詞はなく、「巡って流れていた」と訳された冠詞付きの分詞「ハッソーヴェーヴ」(הָסֹּבֵב) があるだけ。第二の川である13節も同じく「クシュの全土を巡って流れていた」とあります。
  • 動詞の「サーヴァヴ」(סָבַב)は、イェシュアがガリラヤの全域を「巡って」に使われています。そのようにして、ガリラヤ全土にくまなくイェシュアが御国の福音を宣べ伝えられたのは、エデンから流れる地には「良質の金や宝石(=「ショハム石」とは「縞めのう」のこと)があった」ように、御国には何にもかえがたい尊い宝があることを教えるためだったと考えられます。
  • さらに、14節の第三の川の「流れていた」は冠詞付きの分詞「ハホーレーフ」(הַהֹלֵךְ)が使われています。これは動詞の「歩く」を意味する「ハーラフ」(הָלַךְ)が語幹となっていますが、おもむくままに歩いて(=流れて)いるのではなく、神のご計画とみこころにそって流れていることを指し示しています。イェシュアも同様、御父のご計画とみこころに従って歩まれていました。十字架の道さえもそうです。「ハーラフ」(הָלַךְ)は神の前における人のすべての行為を要約する統括用語と言えますが、イェシュアがその模範を示した最後のアダムとなりました。第四の川には「流れていた」という語彙はありませんが、これはヘブル的修辞法の一つで、省略していると考えられます。この第四の川の流れ行くところから、アブラハムが神に召し出されているのです。
  • 「エデンの園」にある「すべての木」(食物としての実がなる木)と「源泉としての一つの川」は、いずれも「神のことば」であるイェシュアを象徴するものです。また、「一つの川」は、やがて終末におけるメシア王国においてエルサレムの神殿から流れ出る豊かないのちの水をも象徴しています。
  • やがて訪れるメシア王国(千年王国)では「渇き」がありません。なぜなら、生ける「水」と「その流れ」が豊かにあるからです。新天新地における「聖なる都」、「新しいエルサレム」にも、神と子羊との御座から流れ出る「水晶のように光るいのちの水の川」があるのです(ヨハネの黙示録22:1)。その「いのちの水の川」とは御霊ご自身とも言えます。その「水」を飲むことのできる人は幸いです。それゆえ、「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来い。」(イザヤ55:1)と呼びかけられているのです。「水」はヨハネの福音書において重要なテーマとなっています。「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:38)とイェシュアは言われました。「聖書が言っているとおりに」とあるように、この祝福はすでに旧約で何度も繰り返して語られていたことなのです。

(1) 詩篇46篇4~5節【新改訳2017】
4 川がある。その豊かな流れは神の都を喜ばせる。いと高き方のおられるその聖なる所を。
5 神はそのただ中におられその都は揺るがない。神は朝明けまでにこれを助けられる。

(2) エゼキエル書47章1, 9節【新改訳2017】
1 彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。
9 この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。

(3) ゼカリヤ書14章8節【新改訳2017】
その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に、残りの半分は西の海に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。


2018.11.29

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