****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

2章11~14節「第一のものの名はピション。それはハビラの」


創世記2章11~14節

【新改訳2017】

11 第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。
12 その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。
13 第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。
14 第三の川の名はティグリス。それはアッシュルの東を流れていた。
第四の川、それはユーフラテスである。

יא שֵׁם הָאֶחָד פִּישֹׁון הוּא הַסֹּבֵב אֵת כָּל־אֶרֶץ הַחֲוִילָה אֲשֶׁר־שָׁם הַזָּהָב׃
יב וּזֲהַב הָאָרֶץ הַהִוא טֹוב שָׁם הַבְּדֹלַח וְאֶבֶן הַשֹּׁהַם׃
יג וְשֵׁם־הַנָּהָר הַשֵּׁנִי גִּיחֹון הוּא הַסֹּובֵב אֵת כָּל־אֶרֶץ כּוּשׁ׃
יד וְשֵׁם הַנָּהָר הַשְּׁלִישִׁי חִדֶּקֶל הוּא הַהֹלֵךְ קִדְמַת אַשּׁוּר וְהַנָּהָר הָרְבִיעִי הוּא פְרָת׃

べレーシート

四つの川.PNG

●ここには四つの川(①「ピション」②「ギホン」③「ティグリス(ヒデケル)」④「ユーフラテス(フラート)」)のことが記されています。榊原康夫氏の「創世記1~11章の講解」によれば、
①「ピション」(「ピーショーン」פִּישֹׁון)は「あふれるもの」、
②「ギホン」(「ギーホーン」גִּיחֹון)は「ほとばしり出るもの」、
③「ヒデケル」(「ヒッデケル」חִדֶּקֶל)は「いつも流れるもの」、
④「フラート」(「ヘラート」פְרָת)は「大きな川」
を意味すると記していますが、語源に基づく類推によるものです。

●11節の「第一の」は序数ではなく、基数の「エハード」(אֶחָד)に冠詞がついて「ハーエハード」(הָאֶחָד)となっています。グループの中でも特に際立たせるときに使われます。

●右図を見ると、園から四方、つまり、東西門北の方向に分かれて流れ出ていくイメージとは異なります。聖書が意味する「四」という「数」は「全体」を象徴する数です。以下の例は、全世界、全世界の国々のすべての力を示しています。

【新改訳2017】ゼカリヤ書 2章6節
さあ、すぐに、北の国から逃げよ。──【主】のことば──天の四方の風のように、わたしがあなたがたを散らしたのだ。

【新改訳2017】ゼカリヤ書1章18節
私が目を上げて見ると、なんと、四つの角があった。


1. 四つの川

●ところで、「四つの川」はなにゆえに記されているのでしょうか。いくつかのことが考えられます。

(1) 四つの支流の一つである「ピション」が巡るハビラの地に、「金」「ベドラハ」「ショハム石」のような貴金属・宝石が産出された事実を伝えるためです。「金」は「純金」(黙示録21:18)、「ベドラハ」(בְּדֹלַח)を真珠だと解釈する人もいます(黙示録21:21)。民数記11章7節にマナのことが書かれていますが、その色は「ベドラハ(בְּדֹלַח)のようであった」(新改訳第二版では「ブドラハ」)とあり、出エジプト記16章31節には「それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れた薄焼きパンのようであった」あることから、マナは白い色だと分かります。「ショハム石」はあらゆる宝石を代表しています(黙示録21:20)。

(2)エデンの園から出る水の豊かさを教えるためです。水は「いのちの水」「いのちの水の川」です(黙示録22章)。エゼキエル書47章1~12節にある神殿の敷居の下から流れ出る水のヴィジョンを想起させます。

(3)神と人とが共に住んだエデンの園が、この地上に確かにあった事実を教えてくれています。

●「ピション」が巡るハビラの地の産物については、訳語が様々です。

新改訳2017では「金」「ベドラハ」「ショハム石」
聖書協会共同訳では「金」「ブドラク香」「カーネリアン」
新共同訳では「金」「琥珀の類」「ラピス・ラズリ」
口語訳では「金」「ブドラク」「しまめのう」
新改訳改訂第3版では「金」「ベドラハ」「しまめのう」
中沢洽樹訳では「金」「ブドラク」「ショーハム石」
ウイットネス・リーは「金」「真珠」「しまめのう」

【新改訳2017】黙示録21章11節
都には神の栄光があった。その輝きは最高の宝石に似ていて、透き通った碧玉のようであった。

【新改訳2017】黙示録21章18~21節
18 都の城壁は碧玉で造られ、都は透き通ったガラスに似た純金でできていた。
19 都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、
20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
21 十二の門は十二の真珠であり、どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは純金で、透明なガラスのようであった。


●新しいエルサレムの城壁は碧玉、都は「純金」、城壁の土台石はあらゆる宝石で造られ、門は真珠、都の大通りは透き通ったガラスのような純金ででできた建造物です。新しいエルサレムの全体は金の都そのものです。

●出エジプト記28章6~21節を読むなら、金縁の細工にはめ込まれたしまめのうはエポデの肩当てに付けられたこと、また12の宝石は大祭司の胸当ての金縁の細工にはめ込まれたことが分かります。

●Ⅰコリント書3章12節には、教会は火で燃えることのない「金、銀、宝石」で建てるべきことをパウロは語っています。パウロは創世記の「ベドラハ」を「銀」に置き換えています。

●イザヤ書54章11節以降には、神と民が共に住む場所としての都エルサレムの再建(回復)が預言されています。そこが宝石で飾られることが預言されています。
【新改訳2017】イザヤ書54章11~12節
11 苦しめられ、嵐にもてあそばれ、慰められなかった女よ。見よ。わたしはアンチモンであなたの石をおおい、サファイアであなたの基を定める。
12 あなたの塔を紅玉にし、あなたの門をきらめく石にし、あなたの境をすべて宝石にする。


2. 「流れていた」

●11節と13節には「~を巡って流れていた」という表現と14節の「~を流れていた」という表現の二つがあります。似ていますが、語彙は異なります。ここには主動詞はなく、いずれも分詞です。

(1) 「~を巡って流れていた」

●「巡って流れていた」と訳された冠詞付きの分詞「ハッソーヴェーヴ」(הָסֹּבֵב) があるだけ。第二の川である13節も同じく「クシュの全土を巡って流れていた」とあります。

●動詞の「サーヴァヴ」(סָבַב)は、新約でイェシュアがガリラヤの全域を「巡って」という箇所に使われています。そのようにして、ガリラヤ全土にくまなくイェシュアが御国の福音を宣べ伝えられたのは、エデンから川が流れる地には良質の金や宝石(=「金」「ベドラハ」「ショハム石」)があったように、御国には何にもかえがたい尊い宝があることを教えるためだったと考えられます。

(2) 「~を流れていた」

●14節の第三の川の「流れていた」は冠詞付きの分詞「ハホーレーフ」(הַהֹלֵךְ)が使われています。これは動詞の「歩く」を意味する「ハーラフ」(הָלַךְ)が語幹となっていますが、おもむくままに歩いて(=流れて)いるのではなく、神のご計画とみこころにそって流れていることを指し示しています。

●同様にイェシュアも、御父のご計画とみこころに従って歩まれていました。十字架の道さえもそうです。「ハーラフ」(הָלַךְ)は神の前における人のすべての行為を要約する統括用語と言えますが、イェシュアこそその模範を示した「最後のアダム」となりました。第四の川には「流れていた」という語彙はありませんが、これはヘブル的修辞法の一つで、省略していると考えられます。実は、この第四の川の流れ行くところから、イスラエルの父祖アブラハムが神に召し出されているのです。

3. 源泉としてのいのちの川

●やがて訪れるメシア王国(千年王国)では「渇き」がありません。なぜなら、生ける「水」と「その流れ」が豊かにあるからです。新天新地における「聖なる都」「新しいエルサレム」にも、神と子羊との御座から流れ出る「水晶のように輝く、いのちの水の川」があるのです(黙示録22:1)。その「いのちの水の川」とは御霊ご自身です。その「水」を飲むことのできる人は幸いです。それゆえ、「ああ、渇いている者はみな、水を求めて来るがよい。」(イザヤ55:1)と呼びかけられているのです。「水」はヨハネの福音書において重要なテーマとなっています。「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります」(ヨハネ7:38)とイェシュアは言われました。「聖書が言っているとおり」とあるように、この祝福はすでに旧約で何度も繰り返して語られていたことなのです。

(1) 【新改訳2017】詩篇46篇4~5節
4 川がある。その豊かな流れは神の都を喜ばせる。いと高き方のおられるその聖なる所を。
5 神はそのただ中におられその都は揺るがない。神は朝明けまでにこれを助けられる。

(2) 【新改訳2017】エゼキエル書47章1, 9節
1 彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。
9 この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。

(3) 【新改訳2017】ゼカリヤ書14章8節
その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に、残りの半分は西の海に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。


●最後に。創世記2章において、エデンには「人」「園」「木」「水」「川」、そして三つの産物である「金」「ベドラハ」「ショハム石」がありました。それらのすべてが何を意味するのか、それを聖書全体から考える必要があります。

2020.4.15
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