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こうして、ダビデの名声はあまねく全地に及んだ

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14. こうして、ダビデの名声はあまねく全地に及んだ

【聖書箇所】Ⅰ歴代誌 14章1~17節

ベレーシート

  • 14章の最後に「こうして、ダビデの名声はあまねく全地に及んだ。」とあります。「こうして」構文ー「こうして」と言うからには、「どうして」というプロセスが背景にあります。「ダビデの名声があまねく全地に」及び、ダビデに対する「恐れ」がすべての国々に引き起こされたということは、やがてキリストの地上再臨のダビデ的メシアであるイェシュアによるご支配が実現する「千年王国」における「型」と言えます。そのときには、すべての国々の民たちが王の王であるキリストに従い、慕うようになることを予告しています。まさにダビデ王国はメシア王国の型なのです。そのことを念頭において聖書を読まなければなりません。なぜなら、イェシュアは当時の指導者たちに対して、「聖書が、わたしについて証言している」と語っているからです(ヨハネの福音書5章39節)。

1. 「ペレツ・ウザ」と「バアル・ペラツィム」に見る神の割り込み

  • 「ペレツ・ウザ」(13:11)と「バアル・ペラツィム」(14:11)、この二つの場所はダビデにとって失敗と成功の思い起こさせる場所です。前者の「ペレツ・ウザ」はダビデにとって失敗の場所です。神の箱を移動するという聖なる動機ではじめたイベントでしたが、ダビデが主の律法に記されている規定通りに運ばなかったために、神がウザを打ち砕いたことで、彼は死を余儀なくされました。人との協議によって志を一つにしましたが、具体的な事柄には主に尋ねなかったことによる失敗を経験しました。
  • しかし、ダビデはペリシテ人との戦いにおいては、逐一、主のみこころを伺っています。その結果、神がペリシテ人を打ち破ってくださいました。

【新改訳改訂第3版】Ⅰ歴代記14章
8 ペリシテ人は、ダビデが油をそそがれて全イスラエルの王となったことを聞いた。そこでペリシテ人はみな、ダビデをねらって上って来た。ダビデはそれと聞き、彼らを迎え撃ちに出た。
9 ペリシテ人は来て、レファイムの谷間に突入した。
10 そこで、ダビデは神に伺って言った。「ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」すると【主】は彼に仰せられた。「上れ。わたしは彼らをあなたの手に渡す。」
11 それで、みなはバアル・ペラツィムに上り、ダビデはそこで彼らを打った。そして、ダビデは言った。「神は、水が破れ出るように、私の手を用いて私の敵を破られた。」それゆえ、その場所の名はバアル・ペラツィムと呼ばれた。

画像の説明

  • 13章11節の「ウザ・ペレツ」も、14章11節の「バアル・ペラツィム」も、そこに共通しているのは「パーラツ」(פָּרַץ)という動詞です。つまり、神がみこころに反することを神ご自身が「打ち破る、打ち壊す」ということです。新改訳では「割り込む」という訳語を当てていますが、これはユダが嫁のタマルを通して産れた双子に「ペレツ」と「ゼラフ」がいます(創世記38章27~30節)。最初に胎内から出て来たのは「ゼラフ」の方でしたが、その子が手を引っ込めたとき、もうひとりの子の方が出て来たので、タマルはその子を「割り込んで出て来た」ことから、「ペレツ」(פֶּרֶץ)と名付けたとあります。「ペレツ」は「パーラツ」の名詞形です。
  • このペレツからヘツロン、ラム、アビナダブ、ナフション、サルマ、ボアズ、オベデ、エッサイ、そしてダビデへとつながります。このようにひとつの割り込みが、歴史の流れを大きく変えるのです。
  • 動詞「パーラツ」(פָּרַץ)には、「打ち破る」という意味の他に、「広がる、はびこる、あふれる、ふえる、富む」という拡大のニュアンスがあります。ということは、「こうして、ダビデの名声はあまねく全地に及んだ。」(17節)ということの背景に、「パーラツ」の御手が働いていることはいうまでもありません。

2. ダビデの「シャーアル」(שָׁאַל)

(1) 10節
そこで、ダビデは神に伺って言った。「ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」すると【主】は彼に仰せられた。「上れ。わたしは彼らをあなたの手に渡す。」

(2) 14~15節
そこで、ダビデがさらに神に伺ったところ、神は彼に仰せられた。
「彼らを追って上って行くな。彼らには面と向かわず、回って行き、バルサム樹の林の前から彼らに向かえ。15 バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは戦いに行け。神はすでに、ペリシテ人の陣営を打つために、あなたより先に出ているから。」

  • ここで重要なことは、ダビデが神に伺っているという点です。この「伺う」という動詞が「シャーアル」(שָׁאַל)で、前任者の王サウルの名前です。神は最初の王としてサウルを王として選んだのは、気まぐれや、偶然ではありません。彼の名前が神に「尋ね求める」ことを意味する名前だったからです。聖書では名前はその実体を表わすという概念があります。もしそうではなく単なる記号としての名前であるならば、神の名前は意味を持ちません。神の御名はすべて神の実体を表わしているのです。「御名があがめられる」とは、神の実体のすべて(歴史の中に現わされた神の力と権威の全貌)があがめられることを意味するのです。
  • 「ダビデ」の名前の意味は「愛される者」です。なぜダビデが愛される者なのか、それは彼が神を尋ね求める者であったからです。そのことによって、ダビデは神の代理者としての務めを果たすことができたからです。
  • 13章において、ダビデは神の契約の箱を「シャーアル」しましたが、14章では、神ご自身を「シャーアル」したのです。
  • そして、やがてこの世に来られるダビデ的メシアとは、ダビデのように御父の代理者として、御父にいつも伺い、御父の心を成し遂げる存在なのです。その名は「イェシュア・ハマシアッハ」(=イエス・キリスト)です。御父は「死に至るまで忠実であった」御子イェシュアを死からよみがえらせ、「すべての名にまさる名」、「イエスの御名」という名前を与えられました。この「イエスの御名」こそ永遠の勝利をもたらす方であり、「天の御国のかぎ」なのです。

2014.1.11


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