こうして城壁は完成した
ネヘミヤ記の目次
6. こうして城壁は完成した
【聖書箇所】 6章1節~19節
ベレーシート
6:15 こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。
6:16 私たちの敵がみな、これを聞いたとき、私たちの回りの諸国民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が、私たちの神によってなされたことを知ったからである。
- 第6章は、ネヘミヤ記全体の前半の最後の部分に当たります。そしてその前半の最も重要な一句が、15節の冒頭にある「こうして」ということばです。私はこのことばに強く引きつけらます。なぜなら、「こうして」というからには、どうしてそうなったのか、なぜそれができたのかという理由が背景にあるからです。
- ところが、この「こうして」ということばの原語は「ヴェ」という接続詞です。ヘブル語の接続詞「ヴェ」(וְ)、あるいは「ヴァ」(וַ)は、それぞれのコンテキストにおいて「そして、そこで、それで、こうして、すると、さて、また、しかし」とも訳されるのです。ヘブル語で最多く使われている語ですが、その意味はひとえに翻訳者の手腕によっているのです。「こうして」という訳語をある部分に当てるということは、それなりの意味を十分に理解し把握してはじめて使える訳語だということです。そうだとしても、「こうして」という接続詞の一句が持つ意味は大きく、そして深いものがあります。
- 「使徒の働き」においての「こうして」構文は、⇒こちらを参照のこと。
- 「こうして城壁は完成した」・・・城壁が完成するまでにどんな多くの困難と戦いを耐えなければならなかったか、その戦いの厳しさを暗示している一句です。
1. ネヘミヤ記における「こうして」構文
- ネヘミヤ記の中にどれだけ「こうして」という一句が使われているかを振り返ってみたいと思います。
(1) 2章11節「こうして私はエルサレムにやって来た。」
●神の恵みの御手が彼の上にあって、神が道を開いてくださったからでした。
(2) 3章1節「こうして大祭司・・・とその兄弟たちは、・・再建に取りかかった。」
●周到な準備と動機づけをもって協力を求める呼びかけによって、再建工事が始まった。
(3) 4章6節「こうして私たちは城壁を建て直し」
●外部からの攻撃にもかかわらず、祈りによって民が働く気を起こしてくれたことによって。
(4) 4章16節「こうして私たちはこの工事を進めた」
●「恐れてはならない」「神が私たちのためら戦ってくださる」という信仰によって継続がなされた。
2. ネヘミヤ個人に向けられた陰謀
- 6章1節を見ると、城壁はほとんど完成していました。しかし「そうはさせまい」と最後の最後まで、敵は総力を挙げて執拗に攻撃してきました。これまでの外からのことばによる攻撃と内からの問題を克服したネヘミヤでしたが、最後の戦いはネヘミヤ個人に向けられたものでした。
- 1節から14節に、彼が抵抗しなければならなかった三つの攻撃が型があります。
(1) 外へおびき出して、一人にさせる
この攻撃は、優先順位を変えさせようとする誘惑です。敵は四度も「会見しよう」と話し合いを提案してきています。主イエスが「二人でも三人でも、わたしの名において集まるところには、わたしもいる」と言われたように、主にあって集まっているところには特別な主の臨在による守りがあります。ですから敵も、その中にいたのでは手が出せなかったと思われます。私たちのまわりにはしなければならないことが多くありますが、
何を第一に優先させているかが明確でなければ必ず足をすくわれてしまいます。ネヘミヤは敵の「話し合いをしよう」という誘いに対して何と言ったでしょうか。3節「私は大仕事をしているから、下って行けない。」と断ったのです。(2) 悪口やうわさを流布する
四度にわたる誘いを拒絶された敵は、次にしたことは、悪意に満ちたうわさを流したことです。そのうわさとは、ネヘミヤが謀反を起こすために城壁を再建しているとか、自分が王になろうと企んでいるとか、預言者を任命して「自分こそ、われわれに必要な人物だ」と言われている、と言ったものでした。敵はそうしたことを記した開封された手紙を送りつけることによって、その中身を他のユダヤ人にも知らせることで、ネヘミヤを窮地に追い込む作戦を取りました。そしてそうしたネヘミヤを助けるために「いっしょに話し合おう」というものでした。いったいだれがそんなうわさを流したかと言えば、敵のサヌバラテ自身だったのです。このうわさに対して「うそ八百を並べるな」とネヘミヤが断言したところで、うわさを聞いた民の心は動揺するはずです。ネヘミヤが取った対処はたた神に祈るだけでした。「ああ、今、私を力づけてください。」と(9節)。「力づける」とは「強くする」ということで、ヘブル語の「ハーザク」(חָזַק)が使われています。
(3) 味方の裏切り
ネヘミヤを待ち構えていた誘惑の最後の難関は「味方の裏切り」でした。しかもこの裏切りは神のことばを扱う預言者によってなされました。預言者シェマヤ(「神に聞く」という意)は、敵によって買収されていたのです。10節、ネヘミヤは危機の中で預言者のシェマヤに祈ってもらおうとして彼の家を訪ねました。すると彼は家に入れずに、「私たちは、神の宮、本堂の中で会おう」と言ったのです。このことばの意図は、一見、ネヘミヤを守るための友情を装った申し出のように思えました。ところがそこに暗殺しようとする敵の企みがあったのです。最初から悪意がはっきりしている場合には対処はむしろ容易ですが、「光の御使いとして変装してくる」(Ⅱコリント11:14)場合にはそれを見破ることは非常に困難です。しかし、見破る手立ては必ずあるはずです。
ネヘミヤは預言者の言うことを聞いたとき、おそらく何かおかしいと直感したのです。というのは、「本堂の中で会おう」ということばです。「本堂」とは神殿の聖所のことであり、そこには祭司以外の者は入ることは許されていませんでした。そのことは聖書がはっきりと規定していたことなのです。預言者シェマヤの申し出が罠だとネヘミヤが気づいたのは、彼が聖書の規定を良く知っていたからです。ですから、ネヘミヤは「私は入って行かない」と言ったのです。このことは、私たちが聖書をよく学んでいなければ敵の策略を見抜くことは決してできないということです。
3. ネヘミヤ記は、神への奉仕に携わる者にとっての最高のテキスト
- こうして見てくると、15節の「こうして」というこの一句は、どれほどの重みのある言葉であるかが分かるのです。外部からのことばによる攻撃、内部にあった鬱積した経済的な問題、そしてネヘミヤ個人に対する執拗な攻撃・・それらのひとつひとつに対処しながら、城壁の工事は完成したのです。
- 確かに、この再建工事はネヘミヤという卓越したリーダーシップと民たちの一致したフォロアーシップによって実現しました。しかしその背後には神の御手があったことをネヘミヤ記は教えようとしています。
- ネヘミヤはすべての栄光を神に帰したことが明らかにされたことで、敵はみな恐れ、また諸国の民もみな恐れて「大いに面目を失った」のです。「こうして城壁は完成した」と言えるような経験を私たちも持ちたいものです。ネヘミヤ記は、そうした神への奉仕に携わるすべての者たちの最高のテキストだと思います。
2013.11.2
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